いじめファウンダー イジメ問題を起こす人たち 仲間外れはイジメじゃない論
イジメは群れ、イジメることは群がること。
イジメ問題とは群れの問題、人間関係の齟齬によって起こり得る問題である。
1、仲間外れをイジメ問題から除外した世界で
一般的に「仲間外れ」はイジメに該当すると考えられがちだが、必ずしもそうとは言えない側面がある。
そこで仲間外れの問題に対し「イジメ=群れ理論」を採用し、
「イジメを群れ。イジメることとは群がること」だと置き換えて考えてみる。
すると、仲間外れは基本的に“群がられている訳ではない”のだから、“イジメられている”こととは別の性質を持った問題だと捉えることが可能となる。
このような前提から仲間外れへの問題認識を改めてみた場合、「仲間外れにされがちな人」の一部が持っている、ある特徴が浮かび上がってくる。
それは「加害的な存在」である、ということだ。
それこそストーカーや悪質クレーマーのように、世の中には一緒にいることによって危機を招くようなタイプの人間が少なからず存在しているものである。
彼らは加害的な存在だからこそ仲間外れにされている。
他者を平気で傷付けてしまうからこそ距離を置かれている。
そんな可能性があるにも拘らず、彼らをイジメられている存在として扱ってしまうことは非常に危険な態度であるということである。
そしてこのような理不尽さを振りかざす人ほど、
「イジメはダメ」
「仲間外れも許さない」
といった美辞麗句を論う性質が強い。
これは一見すると素晴らしい意見のように思えるが、「イジメ=群れ」として置き換えてみたならば、
「イジメはダメ」→「群れはダメ」
「仲間外れも許さない」→「群れ外れも許さない」
というように、群がる(イジメる)ことも群がらない(イジメない)ことも同時に否定するメッセージがそこに現れてくる。
こういった矛盾を孕んだメッセージ→ダブルバインド(二重拘束)を用いて他者の自由を奪うような存在を、イジメ問題を起こしてしまう者、いじめファウンダーと呼ぶことにする。
2、いじめファウンダー イジメ問題を起こす存在
いじめファウンダー/founderとは、
イジメ問題を「創設(found)する人」「創設してしまう人」のことである。
(以下、ファウンダー)
彼らファウンダーは、自らが正しいと思っている考え方や在り方の問題性に気が付くことが出来ずに、結果的に他者を傷付けてしまうような存在である。
より分かりやすく言うならば、それはジャイアニズムやヒロイズムに囚われている人たちのことであり、自己中心的で、自分が見えていないことがその特徴である。
彼らは自らが加害者に「陥る」可能性があることに気が付けない人たちであるため、殊更に「イジメはダメ!」「加害者を絶対に許すな!」などと大声で謳い続ける性質がある。
しかし彼らの謳う否定的な意見,見解もまた誰かを傷付ける恐れがある。それが典型的な加害者に向けられるならまだしも、何かの手違いで加害者ではない者に向いてしまうことも起こり得る。
あるいは強者の脅しに屈する形でイジメに加担してしまった弱者に向けられでもしたら、正義による弱者叩きという別のイジメ問題へと発展しかねない危険性が潜んでいる。
彼らは問題を俯瞰的に捉えることが出来ないことから、直上的に感情的に反射してしまった結果として、ファウンダー自身も結果的に加害者へと陥る結果に至るのである。
3、いじめファウンダーの特徴
ファウンダーの基本的な特徴は、正義を叫ぶことにある。
正義だからこそ自分の異常性に気が付かず、正義だからこそどんどん前のめりになっていってしまう。また正義だからこそ反省すること,反省させることへの難しさがあり、周りも指導を誤るケースが起こり得る。
そして本当に大ごとにならないとその問題認識が改まる機会もないため、歳を重ねた先で、犯罪に手を染めるような事態に陥っていってしまうことになりかねないのである。
そんな彼らファウンダーの傾向を、仲間外れに対する認識から伺ってみると以下のような性質を見てとることができる。
要するにファウンダーとは、一緒にいても遠くにいても他者の悪いところばかりが気になってしまうタチの悪いクレーマー気質でもあるのだ。
それ故に近くにいるとイジメ問題(人間関係の齟齬)が起こりやすく、いざ相手が離れようとしても、今度はそれを自らに対する加害(仲間外れ)だと見做す非常に厄介な性質を持つ。
特に仲間外れが悪いことだと家庭で躾けられた者からすれば抜群に相性が悪い対象である。なぜならばそれはファウンダーと同じ価値観(仲間外れは悪)を持つ者同士なのだからである。
だからこそ必ず仲間に引き込まれてしまう問題がそこに潜んでいる。
いわゆるNOと言えないタイプの人間と、それらに絡んでくる不良たちの発想は、互いにファウンダー的であるのだ。
そして何かをきっかけにしてトラブルが起こると、加害(自分への仲間外れ)に対する反撃を始めてしまい、イジメ問題を肥大化させていくことになる。それも「だって相手が悪いんだよ!」「お前らが悪いんだからな!」などと謳いながら。
これらの特徴は、ヤクザや暴力団といったいわゆる“反社”な人たちが、業界から足を洗おうとする者に対して制裁を加えるのと似たようなものである。
離れる側としては仲間外れに“している”つもりはないのだが、ファウンダー側からすれば仲間外れに“されている”のだ。
いわば結果的に仲間外れに「なっている」ことを「行為」として認識することで自らが傷付き、その傷付いた心=「被害者意識」を担保,理由にして“制裁”を加えようとしてくるのである。
そんな彼らは仲間外れを嫌い、また実のところ仲間想いでもあり、自分と仲間とを“一体として”捉える性質が強く、その結果が裏目に出やすいのである。
自分と他人の境界線が見えていない人たち、それがいじめファウンダーなのだ。
まとめ
イジメ問題を起こす人たち=ファウンダー気質の存在から見えてくるのは、仲間外れをきちんと許容することの重要性である。
このポイントを理解できれば、俗に言う「イジメられる(仲間外れにされる)側に何も問題はない。イジメる(仲間外れにする)側が悪い」といった意見の限界も見えてくる。
特にこれを叫ばれるとワガママなタイプから逃れる術を失ってしまうのだから、他者の意見は話半分に聴くようにしなければいけない。
世の中には加害者的であるからこそ距離を置かざるを得ない、仲間外れにしなければいけない相手が意外といるということである。
もしも彼らファウンダーの存在を無視してイジメ対策を組み立ててしまうと、非常に長い時間を相手のご機嫌伺いに費やさざるを得なくなる問題が噴出してくることになる。
相手の“お誘い”には「NO」を突きつけても良いし、そもそも「NO」を言わないままで去っていく自由もあって然るべきなのだ。
もちろんなるべく礼儀を尽くすことに越したことはないのであるが。
イジメや仲間外れを極端に嫌う神経質な性質は、誰の得にもならない世界を創出する土台となってしまうので注意しなければならない。
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