失敗者叩き 日本の“イジメ加害者”の正体は、“被害者”と“正義”です。
要するに「加害者叩き」が「失敗者イジメ」になっているということ。
はい、えー、またすぐに更新止まりそうな気がしつつ、取り急ぎイジメ現象学のとりあえずの結論を書き綴って起きます。
それがタイトルにある通りの、
「日本の“イジメ加害者”の正体は、“被害者”と“正義”です。」
であります。
正直きちんと伝わるか自信がないのですが、簡単に言えば、「ねじれ」「矛盾」「パラドックス」な構造が深く関わっているということです。だからこそイジメ問題は拗れてくると。
この結論を導くのに最も重要となるのが以下の前提認識、
「被害者は悪くない。加害者が100%悪い」
です。
この誰もが正しいと思っているであろう発想ですが、これは“ワザと”他者を傷付けてくる加害者を抑制するには効果的に働く性質があるものです。
しかしその一方で、“ワザとではなく”結果的に他者を傷付けてしまう加害者にも効果的に働いてしまう性質を孕んでいます。
要するにこれが、
「失敗者叩き」
“加害者”に対するイジメ加害を誘発してしまう論理だったいうことです。
例として、「誤って他者の足を踏んでしまった」場合の流れで説明致します。
以下、大まかな失敗者叩き発生のチャート図です。
「被害者は悪くない。加害者が100%悪い」
このような教えは、既にイジメトラブルが起きている状況(簡略図でいうiが付いている方)で説かれる場合は問題を終息に向かわせる力があります。
しかし一方で、まだイジメトラブルが発生していない状況(簡略図でいうxが付いている方)で説かれる場合は問題を拗れさせイジメトラブルへと発展させる働きがあるものです。
この教え自体に問題があるからこそ、親や教師がイジメを止めに入った際に、“イジメ加害者”側が「だって相手が悪いんだよ」などと謳うわけです。
何故ならば彼ら“イジメ加害者”こそが“(足を踏まれた)被害者”なのだから。
また「遊びのつもりでした」という文言なのであれば、それは“(足を踏んだ)加害者である”「失敗者イジり」をして遊んでいたということを意味している可能性があるということです。
それは露悪的な場合もあり得ますが、基本的にはイジメを無くそうという正義に基づいた行動の先に、このような拗れた関係性が出来上がることを意味しています。
こんな教えを説いていたからこそ、いつの時代もイジメトラブルが頻発する事態を招いていたということがイジメ現象学としての1つの結論であります。
また別の書き方をするならば、
日本のイジメ問題とは、
基本的に「イジメを無くそうとして起きてきている問題」
だということです。
だからこそどの学校でも成果を上げることが難しく、“加害者”に厳しい体制を取れば取るほどドツボにハマっていくことになると。
何故ならば多くの児童生徒が、“正義”に基づいた行動を起こすたびに悲劇は繰り返されてきたのだから。
イジメとは群れであり、イジメることとは群がることを指す言葉である。
なぜ多くの“人”が他者をイジメてしまうのかと言えば、それは相手が加害者だったから。相手が加害者だと思い込んでしまったから。
距離感を意識して、イジメ問題に前のめりにならないようにすることをおすすめ致します。
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