友人の子育て
仕事で知り合ったプロダクションの社長がいた。デザイン会社で、彼自身もデザイナーである。イーズカより10歳ほど年上の団塊世代である。
彼は結婚が遅く、幼い息子がいた。彼の会社にはよく遊びに行っていたので、子育ての愚痴を聞かされた。
「イーズカさん聞いてくれる? 息子を叱ってたんだけど、謝らないんだよ。ずいぶんあ~だこ~だと話したけれど、どうも謝ることだけは納得していない。
どうも想像したところ、やらかした悪さをもう一度やりたいらしい。謝ってしまうと、それが出来なくなるので謝りたく無いようだ。」
笑ってしまった、「間違いなく、アンタの息子だ」。彼も理屈の人で、論理的な話の組み立て方をする。それが息子に明確に遺伝している。
彼がその後どのように対処したかは知らないが、子育てとは「じぶんで自分に説教するようなものだ」と思った。
次に大学の後輩の夫婦がいた。ダンナが証券会社に就職し、ロンドン勤務になった頃、イーズカはデンツーに居て正月休みに遊びに行った。
幼い娘がいて、彼女は築地産院で生まれていた。会社の近所だったし、嫁さんとも親しく生まれたその日に面会に行った。
そして驚いた。嫁さんは小柄な人だがチョー美人である。その彼女が出産直後数時間なので、まるで「出がらし」のようになっていた。
出産とはこれほど過酷な作業なのか、と圧倒された。その娘が3歳くらいの時にロンドンに赴任した。
一週間ほど滞在させてもらったので、目の前で子育て現場を目撃した。
この夫婦は美男美女で、互いにチョー・ワガママである。ダンナは日本からLPレコードを千枚以上も持ち込み、音楽の趣味を楽しんでいた。
嫁さんは嫁さんで、「この娘はワタシに似なくて、ちっとも美人にならないの」とほざいていた。
ある時、娘がムズガッた。母親が叱ってもダメである。ついに泣き出して、母親も「アンタなんか知らない」とそっぽを向いた。
次の瞬間、父親が「まあまあダメでしょう。ママを怒らせちゃあイケナイよ」と娘を宥めだした。
信じられない光景であった。キチンと父と母の役割を分担していた。あのチョー・ワガママどうしが、親としての姿を演じ切っていた。
なるほど「子育てというのは、ワガママの極致に居た親が、我が子という更なるワガママな存在と対峙して、自らのワガママを押さえていく」ステップなのだ、と納得した。
子育てしないと、親はワガママなままで死んでいく。
人間社会など、子育てという行為が無かったら、自己愛と自己主張がぶつかり合うトンデモナイ地獄になっていく。今ですらこの惨状なのだから、子育てが無かったら社会など崩壊してしまう。
これを知ったのが、イーズカ35歳の頃でありました。「結婚はしなくても、子育てはやった方が良い」と思った記憶がある。
それから約30年経った今、イーズカは婚活に励んでいる。いや、30年延々と婚活しながら成果が上がっていない、と言った方が正確かもしれない。
付き合ったオンナからは、返品につぐ返品で無事に納品できた試しがない。
リスクマネジメントの観点から見ると、クレーム処理だけは上達したが、業務改善がまったく進んでいない。
婚活の世界に於いても、イーズカは「反面教師」であった。