「寝落ち」習慣
今夜は夜11時に起きてしまった。裁判所に行き、あまりに暑くてクタバッテいたのだろう。マッサージに行き、夕食を食べ、ジムの風呂に行って帰って来て、サングリア一杯で寝落ちした。
これが朝3時ならまだ良い。もう20年以上、毎朝4時に起きている。ブログというものを書き始めた時、仕事が忙しいので早朝しか書いている時間が無い。夜に書くと恥ずかしい文章になってしまうので起きてから書いていた。
朝4時から一日が始まるので、18時以降はいっさい仕事しないようにしていた。飲んで踊って過ごしていた。
しかし夜11時なんぞに起きると、出勤の朝7時まで8時間もある。仕事も作文もはかどり過ぎる。
いまは150ページ超の検定テキストの作成をしているから良いが、普段だと「書き過ぎ」てしまう。
すると余分な事を書いてしまう。みずからの恥さらしなら良いが、他人の恥まで晒すと人間関係に亀裂が生じる。
「芸が、身を亡ぼす」パターンにハマる。
考えてみたら、早起きはいまに始まったことではない。中学生時代にやっていた。
イーズカは静岡のド田舎のお茶農家の生まれである。農家の敷地は広く、作業場のようなものがいくつもあった。みかんの貯蔵庫、農機具置き場、ニワトリの飼育場、豚の飼育場など、職場に住み込んでいる感じである。
使われなくなった「離れ」があり、そこを勉強部屋と言う名の遊び場にしていた。高校生になると週末に友人たちが集う酒飲み場と化していた。ほぼ毎週、どこかの友人宅で飲んでいた。
中学生の頃はラジオ深夜放送が流行っていた。学校では卓球部に居て、これが結構ハードなトレーニングをしていた。家で夕食を済ますと、そのまま寝てしまう。
深夜3時に起きて深夜放送を聴いていた。たまには勉強もした。毎晩である。
近所の農家のオヤジさんたちは、飲んだくれて朝方に帰って来る。イーズカ家の離れには電気がいつも点いている。
ムラ中から「何たる勉強家だ!!」と呆れられていた。実際に成績も良かったが、実態としては深夜放送で遊び、読書していただけである。
ただ読書量だけは凄まじく、岩波新書を片っ端から読破していた。体力があるので、何冊でも読めたし中身も簡単にアタマに入った。今はその遺産で食っている。
由緒正しい農家の生まれなので、ゴロゴロしているのが苦手である。働くか、遊ぶか、何かしていないと落ち着かない。
父も昼は野良仕事で汗だくになり、風呂を浴びて夕食を済ますとジャケットを羽織って遊びに行ってしまう。飲み屋に行っていたのは知っていたが、後にダンスクラブに通っていたことが判明した。
母方の祖母が亡くなった時、東京から駆け付けたら夜中の12時過ぎになった。親戚の叔父さんたちが酔っ払っている。
「オマエの親父はダンスが上手かったのを知ってるか? 特にワルツが上手かった」と教えられた。
どうも焼津や静岡市内にまで出掛けてダンスクラブに通っていたらしい。現在のイーズカの生活パターンとほぼ同じであった。あのド田舎で遊び人をやるのは大変である。
昼間は働き者、夜はチョー遊び人、という世界である。友人たちからは「それは、血だね」と言われている。
ああ、まだ朝の4時だ、7時まで何をして遊ぼうか?
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