文科省の罪
前にも書いたが、文部科学省というのはサイテー・最悪の省庁である。
何もしなかった戦争直後が最高で、物事に関与すればするほど害悪しかしていない。
江戸時代には日本全体の教育を管理する組織など無かった。幕府は放置したが、武士たちは藩校に学び、町民や農民は寺子屋や私塾に通っていた。
この全階層にわたる教育熱心さにより、江戸時代の日本の民度は高く、日本を訪れた外国人は全員が驚愕していた。特に下層というか貧乏層の、道徳心の高さに圧倒されている。
当時は日本全体を統括する組織もシステムも無かったが、各藩が独立国のようなもので、それぞれ勝手にやっていた。
それが、たぶん世界最高の民度を保っていた。
江戸時代の庶民は、歌舞伎や浄瑠璃、浮世絵や仮名手本を楽しみ、世界水準の文化を享受していた。だから300年近くも幕藩体制が続いた。
しかし、これらの文化と人々を切り崩し、絶滅させようとしたのが明治維新政府だ。
自分たちの豊かさを否定して、西洋崇拝から富国強兵路線に舵を切った。
遅れて来た「帝国主義国家」が世界史に登場する。江戸時代の豊かな文化を全否定したのが、「文部省」である。
アジアに向けた帝国主義支配を文化・教育面から支えたのだ。太平洋戦争中に、その狂信性は頂点に達し戦後も脈々と生き残っている。
戦後、大学進学率が驚異的に伸びた事により、文部省の影響力は高まり、中央教育審議会というものがノサバリ出した。大学を筆頭にした教育の管理強化が進んだ。
文部省がやったことにはロクなことが無い。まずは文部省が認可する「学校法人」という税務特典の付与に始まり、大学教員の資格審査に関与し出した。
文部省が認める教員資格など、何の意味もない。かえって教員をバカにしただけである。
イーズカは1976年に慶応大学に入学した時から、「大学教授など、バカしか居ない」と思っている。「コイツらから学ぶものなど、ひとつも無い」と確信した。
だから友人と読書会を開いて、すべてを自分たちで学んだ。慶応は元々「私塾」なので、先輩が後輩を教えるという姿こそが、慶應義塾そのものである。
慶応には、言語学の鈴木孝夫氏など尊敬できる教員も居たが、「みずから学ぶ」ことが殆どだった。
卒業後もその姿勢は続いている。「学び」とは、常に主体的なもので、受け身では何も得られない。
現在の大学教育はヒドイ。教員と呼べる人材など、ほぼ居ない。こんなバカに学んだら、脳ミソが腐るような連中ばかりである。
大学という組織が、そんな風に成り果てている。大学とか学校法人というものを、すべて解体廃止しない限りはダメだと思う。
この程度の連中に大学を占領させていたら、日本社会にイノベーションなど二度と起こらない。
文部科学省など、即座に解体し、各都道府県の教育委員会が勝手に教育できるようにする。全国一律の共通テストなど全廃、大学もすべて廃校、「文科省が教育機関を認可するなど、法律で禁止する」。それくらいしないと日本など、もうどうにもならない。
あれほど素晴らしい江戸時代から、これほど醜い現代社会までわずか150年くらいしか経っていない。国会答弁で、東大出のエリート官僚たちが述べる、論理として成立しない言い訳の数々。あれを見れば日本の教育が、無意味・無価値であることが良く分かる。
教育は、社会のカナメだから、大学など全廃しなくては救われない。新型コロナ・ウィルスが絶好の機会を与えてくれた。
くたばれ、文科省。消えてしまえ、大学!! である。