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「今日、授業やりたくないな」と思ったあなたに 第1回 優れた教材や授業があることの幻想 

以下の記事はアルク『英語の先生応援メールマガジン』に掲載させていただいたものです。英語の先生向けの記事ですが、アルクさんのご厚意で、僕のnote.でお読みいただくことができるようになりました。英語の先生はぜひ以下のURLからメールマガジンに登録をしてみてください。

https://alc-nds.com/k-alc-magazine/2024/03/2403/


みなさん、こんにちは。元中高一貫校の英語教師で、現在は世界を旅しながら学校や孤児院を訪問し、英語や日本語の授業を行なっている飯塚直輝です。「英語の先生応援マガジン」では、2017年から2年半「鎌倉男子のアウトプット活動実践記」というタイトルで連載をさせていただき、鎌倉を訪問する外国人観光客に英語で案内する活動の紹介と報告をさせていただきました。読者の方でも覚えている方がいたら嬉しい限りです。

今回、連載のお話を頂いた時、正直驚き戸惑いました。英語教師を辞めた自分が現場で奮闘されている先生方に、何か語れることがあるのか不安でしたし、現場で生徒と向き合う先生方の感覚が何よりも一番信じられるもので、元教師の言葉は嘘っぽくなってしまう、そんな風に教員時代の僕は「元教師」の言葉を見聞きするたびに思ったこともあります。

しかし、この連載のテーマは「現場の先生方を元気にする」こと。旅を始めてから、現職の先生方から「学校がつらい」「授業がうまくいかない」「生徒の問題を対処できない」などの声を聞く機会も多く、現場で汗を流し奮闘する先生方に自分が少しでも何かできることはないか考えていました。また、世界で子どもたちを教える中で僕が得た知見は、先生方にも役立つものがあるかもしれません。そして、何よりも言語を教える先生方にとって、海外の学校や子どもたちの様子はワクワクするものであるはず。そんな思いで3回の連載を引き受けさせていただきました。僕の「ことば」が、これを読む先生方に何か温かいメッセージとして届くことを願っています。

ネパールの学校で授業開始!

ネパールへ行ったのは2023年の6月。カトマンズから2時間ほど車で移動した場所にDhulikhelという比較的大きな街があります。今回は、この街に1週間宿泊しながら、近くの学校、Hymalayan Internatinal Academy で授業をさせてもらうことになりました。

授業を始める前日、学校や生徒の様子を知るために見学に行かせてもらいました。この学校は公立学校で、月曜から土曜まで授業があります。生徒数は160名ほどで、2歳児から15歳までの子が通っています。160名の生徒に対して、先生は16名。計算上は10名の生徒を1人の先生が担当するはずですが、未就学児のクラスは教室に2名の先生を置かなければならず、先生がいない教室もありました。その場合は、1人の先生が2つの教室間をウロウロしながら、生徒が勉強しているか確認します。この場合、教えるよりも管理することが先生の役割なのです。先生が教室にいてもその役割はさほど変わりません。ある授業を覗くと、生徒が一言も話さず何かに取り組んでいました。何をやっているのかと尋ねると、教科書の内容をノートに丸写していたのです。先生の数が足りていない教室では、生徒が自分で進められる作業が中心となってしまい、授業中に問題を解く、考える、話し合う時間はありませんでした。その代わり、生徒の字がとても上手なのです。これには驚きました。

絞り出した授業内容は…

さて、僕が担当するのは、小学5年生から中学3年生までの5クラスで、この子たちに6回授業を行います。それまで僕が訪れた国では、授業をやらせてもらう機会があっても、一つのクラスで多くて3回ほど。3回分の授業は用意しているものの、あと3回は新たに考えなければいけません。困ったぞ。先生方は、もし海外で授業を行うとしたら何を行いますか?僕が絞り出して考えたのは以下の通りです。

  1. 飯塚の自己紹介、簡単な日本語の表現、寿司文化紹介クイズ

  2. Count 30、単語説明ゲーム、日本の数字を教える

  3. 日本の歌、手押し相撲、あっち向いてほい

  4. 間違い探し

  5. 箸を使ったおまめ運びゲーム(わさび罰ゲーム)

  6. アンコール授業

アイデアが浮かばず、4回目には間違い探しをやることに。もはや僕の教材ではありません。お恥ずかしい。5回目のおまめ運びは、ネパールの子たちが手を使って食事をすることから思いついた活動。こちらは我ながらナイスアイデア。これを5回目に持ってきてトリに、そして大トリの6回目は、今まで行った活動の中でアンコールがあれば、それをやることにしました。

一番人気の活動でショック

5回の授業はどれも大成功。普段は机に座って一言も話さずに勉強している生徒にとって、僕の授業内容は新鮮だったようです。あまりに盛り上がりすぎて、隣の教室の先生から注意を受けるほどでした。5回の授業が終わり、明日はあっという間の6回目。上のリストの中で何が最も人気があったと思いますか?もし間違い探しが一番人気だったらどうしようかと不安でした。

間違い探しで盛り上がる子どもたち

最終日の1時間目は小学6年生。「今日は最後の授業だよ」と話すと、生徒たちは「嫌だ」「来週も来てよ」と訴えます。「今までの活動の中で一番楽しかった活動を選んで、今日はそれを一緒にやろう。みんなで決めていいよ。」と伝えると、話し合いが始まります。ネパール語で口論混じりに話し合い、どうやら結論が出たようです。「間違い探しじゃないといいな」と思っていると、ある生徒が話し始めました。「僕たちは…間違い探しをやりたい!」「…うんOK!」あんなに頑張って用意した教材よりも、間違い探しなのかい!ショックすぎます。仕方なく、一応追加で用意していた間違い探しを生徒に見せると、大喜び(涙)。涙を堪えながら、彼らの楽しそうな様子を見ていました。

2時間目は中学3年生。「ここでも間違い探しと言われたらどうしよう」と不安になります。この日の授業内容を話し合って決められるよと伝えると、また議論開始。そして結論が出ます。「僕たちは…日本語の数字でゲームしたい」「Yeeeeeees!」よかった。僕の教材を選んでくれました。そのように一喜一憂しながら全ての授業を終えました。結論としては、それぞれのクラスでお気に入りの教材が違ったのです。

優れた教材や授業は幻想

なるほど、考えてみれば当たり前のことですが、生徒やクラスが違えば、好みの活動は違う。こんな当たり前のことを忘れて、僕は「どの生徒にも響く教材がある」と思い込んでいました。「この教材を使ったら、生徒の成績が伸びる」「あのクラスでうまくいったから、このクラスでも上手くいくはずだ」という言葉を教員時代によく聞きました。こういった言葉は教員を楽にしますが、どこかで違和感がある。教材や方法を信じるあまり、生徒を見なくなってしまうのです。生徒は一人ひとり違います。同じ生徒でも、日によって気持ちの変化がある。でも、その違いを無視して一貫性を求めることで、瞬間瞬間に見ることができる生徒のキラキラした変化を見逃してしまいます

子どもたちは一人ひとり違うから一つの正解はない


同じように、優れている授業があると信じ込むのも違和感があります。僕が高校生の頃、一番好きだったのは倫理の授業でした。老子の「無為自然」という哲学を学び、雷に打たれたような衝撃を受け、そこから自分の生き方が決まりました。今、こうして世界一周の旅をしているのも、その授業のおかげと言えるでしょう。ただ、その倫理の授業、クラス40人のうち39人は寝ていました。起きていたのは僕1人だったのです。おそらく、他の先生から見たら「優れていない授業」だったと思います。ほとんど誰も聞いていないんですから。でも、1人の生徒の人生を変える授業でもあったわけです。

正解はないからこそ

このように考えると、生徒全員に対しての優れた教材や優れた授業があると思い込むのはやめた方が良さそうです。では、授業は「何をやってもいい」「誰も聞いてなくてもいい」ということなのでしょうか。まさか、そんなわけありません。何をやっても正解はないからこそ、考えたいのは先生方の個性や思い、つまり「あなただから生徒に伝えられること」。僕が教員時代は、世界と生徒をつなげ、生徒に世界の問題や世界で活躍する方について伝えることで、平和な世界に少しでも近づければと思って授業を作っていました。決して、優れた授業とは言えなかったかもしれませんが、僕の授業内容に感動し、進路を変えた生徒を見てきました。さて、優れた教材、優れた授業なんてないとしたら、先生方は授業を通して何を伝えたいですか?先生方が人生で大切にしてきたことは何でしょう。それを授業で生徒に伝えてみましょう。教材に反映させてみましょう。39人寝ていても、1人の生徒の人生を変えるかもしれませんよ。


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