小さな島での先生生活 (世界一周旅行記 ケニア ルシンガ島)
どこか小さな島で先生をやってみたい。そんな夢が昔からあった。
ケニアからウガンダへ陸路で行くのに、ケニアの首都ナイロビからウガンダの首都カンパラへバスを使って行くと20時間ほどかかってしまう。そのため、今回はナイロビとカンパラの間、つまり国境付近に滞在をして、少しのんびりしようと思った。
見つけたのは、ケニア、ウガンダ、タンザニアの国境が重なるビクトリア湖の中にある小さなルシンガ島。国境まで、フェリーを使うと3時間ほどで行ける。ナイロビ近くにあるコイノニアからウガンダに行くのには絶好の場所だ。そんなわけでこの島にある小さな小学校で、夢の島の先生生活をスタートさせた。
しかし、夢なんてすぐ覚めるもの。島に入り驚くことばかりだった。トイレは穴、シャワーはなくて溜まった雨水(オタマジャクシが泳いでいることもある)を桶で掬って身体を洗う。停電はしょっちゅう起こる。書くまでもないが、扇風機や洗濯機などは当然ない。ビクトリア湖はマラリアが蔓延している地域なので、蚊帳の中で寝る。ちなみにベッドのマットレスはぶっ壊れていて、どんどん腰が痛くなる。
唯一の救いはボランティアハウスのお母さんの作るご飯が絶品だということ。薪調理で作る料理は本当に美味しく、毎日山盛り食べているのに、どんどん痩せていく。僕の一番のお気に入りは、地鶏の卵とトマトを合わせた「トマたま」。これをたっぷりご飯の上に載せて食べる。地元民は月に一回ほどしか食べられない噛みごたえ抜群の地鶏とトマトを一緒に煮た鶏のスープは絶品だった。
この島に滞在した2週間、平日は学校で英語の授業を行った。学校に通うのは未就学児(5、6歳児)から小学校6年生まで。経済的な理由で学校に入るのが遅れてしまう子がいるため、14歳の子でも小学4年生ということもある。学費は島の中でも格安で、月あたり350円ほどだが、その金額も払えないほど彼らの家庭は困窮している。子どもたちの制服はどこかしら穴が空いたり破れていて、家で一日一食しか出せないご家庭もある。そのため学校の給食は無償で提供されている。学費が安く、給食が無料のこの学校に遠くから1時間以上かけて通う子も少なくない。
子どもたちの家に遊びに行かせてもらうと、家は小さく、トイレは庭に穴を掘っただけという家庭もあった。この学校の子どもたちは親と暮らしていない子が多く、彼らの親の多くはHIVやその他感染症で亡くなってしまっている(これに関しては別記事でまとめようと思う)。
貧しくても、食べるのに困らなければ問題はないだろう。今まで僕が訪れた国では、貧しいけれど自給自足していた人たちは多くいた。残念ながら、この島では多くの野菜は育たない。魚は獲れるが、獲れた魚は市場へ出されるため、お腹が減ったら魚を取れば良いということでもない。島民たちが、贅沢できるとしたら、繁殖力の強い野うさぎや地鶏を締めて食べることだろう。極めて自給自足がしにくい島なのだ。
そんな彼らはモノを異様に欲しがっていた。何かと寄付をせがまれた。心を痛めながら、それをやんわり拒否し、彼らと共に過ごす時間を多く作ることにした。日中は彼らに授業をやり、ボランティアハウスに戻り昼食をとる。夕方はビクトリア湖で子どもたちと泳いだり、ボランティアハウスでのんびりする。休みの日は教会に行き、スワヒリ語の聖歌を口ずさんだり、子どもたちに誘われてウサギ狩りに出かけたこともあった。
この島には街灯がないので、陽が沈めば真っ暗な世界になる。湖に夕陽を見に行って、暗くなるまでに戻らずに、真っ暗な中迷子になってしまったこともあった。もちろん明るければ安心というわけもない。17時を過ぎて湖で泳いでいると、カバに出会う。「やったー!カバに出会えるんだ!かわいいカバちゃん」とか言っている場合じゃない。地元ではカバは非常に危険な動物だと認識されており、先日も12歳の女の子が湖に入った際に、水中にいたカバを刺激してしまい、カバに攻撃され殺されてしまった。僕も何も知らずに17時過ぎに湖を地元の子どもたちと泳いでいた時に、何か鋭い視線を感じると思ったら、二匹のカバに睨まれており、ビビり倒した。
ケニアの人たち、特にこのルシンガ島の人たちは、彼らの感情が「流れる」ように外に出ていた気がした(現地の人は “flow” という言葉を使っていた)。子どもたちは嬉しいことがあると、飛び跳ねるし、下校する時も大笑いしながら歩いている。葬式の時は、参列者で大声で叫び、歌う。
感情を内に閉じ込めず、外に出すことで、心と身体が常に結びついている人たちなのだ。心の情動が豊かな人たちは素敵だ。いつも思うけど、2週間はあっという間だった。