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「Happinessが入ってたんだよ」

ケニアのコイノニアに3度目の訪問をしました。6年ぶりの訪問をした9月とは違って、4ヶ月ぶりの訪問となった先日は、学校に入ると子どもたちが「また来てくれたんだ」と嬉しそうにハグや握手をしてくれました。

6年前も、9月も、常に僕のことを大好きで、いつも隣に座ってくる子がいます。フランシスです。彼は中学3年生で、バトミントンが好き。まだ声変わりをしていないあどけなさが残り、優しくて世話好きな、少しマイペースな男の子です。

今回は僕の滞在時間が短く、彼と多く話すことはできなかったのですが、印象的だったことがありました。

彼と話す中でふとクリスマスの話になりました。「Mr. Naoはクリスマスをお祝いしたの?」と彼が尋ねます。「チキンを食べてお祝いしたよ」と答えると、彼が「クリスマスボックスには何か入ってた?」と尋ねました。

僕はサンタさんからのプレゼントのことかと思い「僕は大人だから、プレゼントはもらわなかったよ」と答え、「フランシスは箱に何が入っていたの?」と彼のプレゼントを聞いてみました。

コイノニアの生徒たちの家は裕福でない子も多く、彼の家も例外ではありません。しかし、それでも何かプレゼントをもらったのではないかと思い、聞いてみたのです。

彼が嬉しそうに答えた言葉は僕にとって予想外でした。

「僕の箱にはHappinessが入っていたんだよ」

これを聞いて一瞬言葉に詰まってしまいました。要は彼はプレゼントを何ももらえなかったわけです。でも、フランシスはそう答えずに、「幸せが入っていたんだ」と言ったのです。

なんて美しい言葉なんでしょうか。僕は感動して、「そうか、よかったねフランシス!」と言いハグをしました。

もし私たちがフランシスならば、「何ももらえなかった」と嘆くこともできるでしょう。「家計が苦しいが、これも将来の糧になる」みたいな無理くりなポジティブさで悲しみを覆い隠そうとすることもできるでしょう。でも、彼は空の箱の中に<幸せ(Happiness)>を見つけたのです。

僕たちがフランシスから学べることは多くあると思います。空の箱を嘆くのではなく、そこに幸せを見出すこともできます。言い換えれば悲しく虚しい社会に絶望するのではなく、希望を見出しそれを美しく変えることもできるということです。

フランシス、君から素晴らしい教えをいただいたよ。どうもありがとう。

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