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ここ5年くらいのこと

note書くのは久しぶり。
なんとなく、個人的にブログとnoteは明確に違うものなのだと思っているのだけど、未だに何が違うのかはちょっとよくわかっていない。
とりあえず、いけばなと着付けの話題についてはnoteを、そのほか雑多なことについてはブログに書くということにしている。
(noteを運営している(株)ピースオブケイクについては、昨年からどうも問題山積みでばたばたしている感じがあったのでなんとなく離れていたのもある。)


免許のこと

あまり堂々と書くことではないのだが(書いてるけど)、今現在、私自身の流派での所持免許はちょうど真ん中くらい。8年前に師範代資格を得た後、お稽古には通っているけど上位免許を申請していないためだ。
(ちなみに出産育児や仕事の都合などで一時休んでいる人はいるものの、そんなに長期間上位免許の申請をしていない弟子は私くらいかもしれない。
同時期かそれより後に免許を取った人達は、早い人はすでに4つくらい上の免許を持っている。)

もちろん理由のひとつには金銭面もあるけれど、それ以外に自分自身はどこまでいけばなを続けていられるだろうか、という点において、まだ自信が持てないから、というのがある。
そんなことを言いながらぼちぼち14年くらいやっているのだから、まあこの先も花をいけているのだろうなと思うけど。

免許制度に不満はないし、伝統文化の運営の観点から考えればあった方が良いだろうと思う。技術を次の世代に繋いでゆくのは大変だし、繋がなければならないプレッシャーの重さは独特のものなのだろうな、とも。

免許は、文化を繋いでゆく人を育成する目的もあるのだけれど、自分は繋ぎ手になれるのだろうか?ということを自問自答しつつ、相変わらずまだぐだぐだと煮え切らずにいる。

場所と時間と道具と体力、と問題も山積み。ひとつずつ解決していくよりないだろうなぁと思いつつも、時間と体力でギブアップしている。


型を外していくこと

そんな感じで前にも後ろにも進めないな、ともやもやしながらやっていたことは、お稽古とは別に、型を大事にしつつも、型から外した新しいものをいける、ということだった。

数年前、うつが原因で時々自分で花材を調達するようなった。教室が家から遠くて通うのが難しかった時期は、近所の花屋で花材を買ってきては家でひたすら盛花(深さの浅い水盤にいける花)をいけていた。庭の枝を切って入れたりもしたなぁ。

流派によって使用する花材に地域色がある、ということを知ったのはこの頃だったと思う。関東と関西では意外と花材が異なる。もちろん今は、大幅な流通の進歩があって各段に手に入りやすくなってはいるけれど、伝統的に使っている枝ものは特に地域性が出て面白い。

時々百貨店などで開催されているいけばな展を見に行くことがあるのだけれども、関東と関西で開催されている両方のものを見比べると、花材は流派ではなくて地域に紐づいているのだな、と感じる。どの流派でも似たような花材が横断的に使われているのだ。


春にいける桃や桜は大体どこでも手に入るけど、元気のよいナツハゼは関東ではあまり見かけない、とか。
流通の問題か、あるところにはあるかもしれないけど。

その代わり、東京の花屋で売っている花はかなり華やかである。アレンジメントで使うことも多いからだろう。草ものが多く、色鮮やかな洋花が並ぶ。最近は枝ものを取り扱うお花屋さんも増えてきたけれど、数はそんなに多くはない。

おいてある枝ものは実際に触っていけてみないとどんな性質かわからないから、新しい枝を見つけては買ってきて、時にはバキバキ折って失敗したりしつつ、合わせる花材をお花屋さんとあれこれ相談しながら買ってきては入れる花は、わりと華やかなものになることが多い。

また、実家においてある花器はほとんどが貰い物。母の知り合いからいただいたものがほとんどである。普段お稽古で使っているものとは形も高さも異なるので、高さをどのくらいのサイズにするかということや花の留め方など悪戦苦闘しながら生けていくうちに徐々に形になっていき、おそらく技術が向上した。

始めたばかりの頃は家に大した道具もなく、あれこれ修正したりワイヤーでくくったりするのにやっぱ道具は必要だなと思ったこともあって、少しずつ道具をそろえていき、今ではひと通りの道具が家にもそろっているので、あれこれできるようになった。

今は自分のいけたいものを自由にいけられるのが楽しい。たまに型に戻りたくなって基本に戻ることもあれば、のびのびと自由にド派手にいけることもある。月刊誌を読んでいて、あぁ、この花材生けよう!と思っていけることも時々ある。


周囲と比べて凹むこともあるのだが、積み重ねてきた技術は着実に自分のものになっている実感もあり、初見の花材を適当にいい感じにいれる、という点においてはわりといい感じになってきたのではないかと思う今日この頃。

自分の色を出していきつつ、続けていけたらいいな、と思う。

文化を紡いだり繋いでいくためには、課金するのはもちろん必要なことなんだけど、もう一歩踏み込んで技術を元にお金を引っ張ってきて、まわしていくシステムを構築していくのも必要なんじゃないかなぁ…、と思ったりしているところではあるのだけど。


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