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【後編】再生可能エネルギーに託された、福島の人たちの想い| 再生可能エネルギー福島視察レポート

いろんな幸運の重なりで実現したバイナリ発電所

視察ツアー2日目は、朝から土湯温泉にある地熱発電所(以降、バイナリ発電所)の見学に向かいました。案内人として、元気アップつちゆのマネージャーである佐久間さんが立ち会ってくださいました。
温泉街から2キロほど登った山の中にあるこのバイナリ発電は、土湯温泉が持つ地熱を利用して発電されています。

普段は立ち入り禁止の場所。見学には事前予約が必要。

年間400kwの電気が発電されており、これは5〜600世帯分を賄える発電量です。土湯温泉街は2〜300世帯ほどのため、このバイナリ発電だけで住民が暮らしていける電力を発電できているのです。住んでいる土地で発電した電気を使うという、まさに地産地消が叶えられています。

発電の仕組みは140度ある源泉のお湯と蒸気をセパレーターで分離し、それぞれの熱を利用してペンタンを気化させます。ペンタンとは30度以上の温度で気体になる特性を持つ液体で、気化したペンタンの蒸気の力を利用してタービンを回し発電しています。

そして気化したペンタンを今度は10度の湧き水で冷やすことによって、一旦液体に戻し、また熱して発電するという単純な循環により、発電が行われているのです。発電装置が目の前で手に取るようにわかるので、仕組みをよく理解することができました。ひっそりとした温泉地の山奥とのコントラストも相まって、ビジュアル的にもかっこいいです。
ここにバイナリ発電所を作ることができたのは、3つの幸運があったからだと千葉さんは言います。

<バイナリ発電所を作ることができた3つの理由>
1. 土湯温泉の泉質
2. 送電網が、温泉街から2km離れた発電所まで伸びていたこと
3.  再生可能エネルギー事業を進めることに、土湯温泉街の住民が理解してくれたこと

1つめは土湯温泉の泉質です。140度もの源泉がたっぷりとあるうえに自噴しているためポンプが必要ありません。さらに源泉をつかったバイナリ発電では、源泉の不純物が多いとパイプを詰まらせてしまうことも多いのですが、泉質がよいため不純物が少ないという特長を持ちます。確かに、前日に入った温泉は肌触りがよく、さらさらしていて気持ちよかったです。

2つめは再生可能エネルギーの売電をおこなうための送電網が、温泉街から2km離れたバイナリ発電所まで伸びていたこと。送電網をひくためには、1kmおよそ1億円かかると言われていますが、土湯温泉はバブル期に温泉付き別荘をつくる計画をたてていたため、ここまで東北電力が送電線を敷設していてくれたことが幸いしたそうです。

3つめは小水力発電とあわせて、バイナリー発電を同時に敢行する再エネという新事業に土湯温泉街の住民が理解してくれたことです。地域の住民が一丸となって、復興に向けて力を合わせることが、本当に素晴らしいと思います。

日本には27000箇所も源泉があり、世界をみても地熱発電のポテンシャルが高い国です。しかし1999年から原子力発電が普及拡大につれ、地熱発電を事業化する企業はほぼいなくなっていったようす。

小学生でも読めるように、漢字にはすべてふりがなをふっている
こちらの階段をあがると、バイナリ発電機を一望できるテラスにでる。
雪が降ってもつもらないように、階段の下に融雪装置が設置されている

続いてはバイナリ発電の二次産業として作られた、オニテナガエビ養殖場の見学に向かいました。

この可愛いオニテナガエビの養殖場は、バイナリ発電で排出される水を再利用するために作られました。その水というのが、ペンタンを冷ます過程で10度から20度程度にあったまった冷却水の再利用です。東南アジア原産のオニテナガエビは26度の水で成長するため、5度ほど温度を上げて育てています。

大量の自然水のおかげで水温を維持する光熱費などがかからないため、CO2排出量ゼロの養殖場となります。現在は3万匹ほどのオニテナガエビを育てており、将来は土湯温泉街の旅館の御膳で提供する未来を描いているんだとか。それが叶った暁には、ぜひ食べに土湯温泉を尋ねたいです。

排出された水で育てる生物としてスッポン、うなぎ、チョウザメが候補にあがったそうですが、それらはあまり可愛くないうえに(笑)、育てるのに時間がかかるという理由から、オニテナガエビが選ばれたそうです。

また、温泉街にはオニテナガエビの釣り堀を設置している場所があり、その場で釣ったエビを焼いて食べる体験ができます。なかなかエビを釣る機会なんてないですよね。観光としても楽しめる娯楽の役割を、このオニテナガエビ養殖は果たしているのです。

この中の一匹を釣って食べるって考えると、ちょっぴり複雑気持ちに

資源をひとつも無駄遣いせずに、土湯温泉復興のために利用する元気アップつちゆの精神には、感服しっぱなしでした。

土地の地形が存分に生かされた小水力発電

続いては川沿いの山道を歩き、小水力発電所に向かいました。急斜面の地形の上に建っている土湯温泉では、荒川の支流である東鴉川(ひがしからすがわ)の水力を利用した小水力発電を行なっています。

水力発電は落差と水量さえあれば、電気を作ることができるシンプルな発電です。この東鴉川は急な落差と安定的な水量が流れており、水力発電にぴったりな地形の川だったのです。

また、砂や岩の流れをせき止める砂防堤が35箇所あり、第3砂防堤が取水口のダムの役割を果たしています。もともとあった砂防堤を利用しているため、わざわざダムなどを作っておらず、土地のありのままの姿を利用した再生可能エネルギー発電です。


ゴロゴロとした岩がかっこいい(岩は自然と調和するよう作られた人工物です)
電力を生み出しているタービンがある場所

ここにあるタービンは、直径20cm幅40cmという小さいサイズながら、年間140kwという電力を発電しています。そのことから、水のエネルギーの大きさが垣間見えます。

地面はアクリル板になっており、水の流れがわかりやすい工夫がされていました。さらに今後は、発電の様子をよりわかりやすくするために、発電量のリアルタイム表示を構想中とのこと。それが実現すれば、水が電気を作っていることの実感をより深く持てることになるでしょう。

そして自然の川をおすそ分けしてもらうからには、環境破壊問題にも目を向けなければなりません。
東鴉川にはイワナが生息しているため、この小水力発電ではイワナが育つために最低限必要な維持水量は保てるような工夫をおこなっています。それをしなければもっと発電できるのですが、もともと川に住んでいるイワナたちに迷惑をかけないような対策をとっているのです。イワナにとっては家である川を、人間の都合で奪うのはよくないですもんね。

水力発電は「孫のために作るもの」と言われているほど、5つある再生可能エネルギーの中でも特に耐用年数が長く、長い目でみれば一番利益をあげることができるんだとか。
しかし民間企業が水力発電事業に乗り出そうとすると、10〜20年では採算がとれないため、なかなかふんぎりがつかないんだと、佐藤教授はおっしゃいます。

環境保全と利益のバランスは、再生可能エネルギー事業に乗り出そうとしている人にとっては、切実な問題なのです。

会津で大規模な再生可能エネルギー事業を実現している会津電力

土湯温泉街には玉こんにゃくや温泉プリンなど、温泉街ならではのグルメもあって、いつかゆっくり食べ歩きにくるぞと誓いました。おいしい蒸し料理をランチでいただいた後は、会津電力雄国発電所の見学のために会津へと向かいました。

会津電力は大和川酒造店9代目当主である佐藤彌右衛門の発起により、2013年に設立されました。会津は食料自給率が1000%と言われるほど、自然豊かな土地です。震災による原発事故で、幸いにも放射能被害は会津地域におよぶことはなかったのですが、水と米以外にも、安全なエネルギーを自ら作れなければ自給自足ができないことに改めて気がついたそうです。

この危機感から、会津電力が立ち上がりました。現在発電所は89箇所に及び、全部で年間6145kwもの発電量を誇ります。さらに来年には年間9600kw発電する風力発電が3基完成予定のため、そうすると発電量は3倍まであがります。本気でエネルギーを自給自足しようという心意気をひしひしと感じます。

それは会津の住民たちも思うところは同じで、会津電力は地域周辺市町村の7〜8の自治体が出資しているめずらしい会社なんだとか。会津電力に対する住民たちの期待の裏には、彌右衛門さんの存在の大きさもあるように思います。彌右衛門さんは会津で廃業をよぎなくされたお店の建物を買い取ってカフェに改築されたりと、みんな困ったらまずは彌右衛門さんに相談するくらい、多大な貢献を会津に対して行なっているからです。

余談ではありますが、2012年に元気アップつちゆが設立、2013年に会津電力が設立、さらに2014年に飯舘電力が設立されたことから、2012〜2014年の間は福島県の再生可能エネルギー事業の黎明期だったことが伺えます。10年が経とうとする現在も、それぞれの会社は日々、再生可能エネルギー事業に尽力しています。

目的地である会津電力雄国発電所は、会津電力の齊藤さんがご案内してくださいました。


会津は雪が降る地域のため、太陽光発電の太陽光パネルも工夫がされています。0度15度30度45度60度と、太陽光パネルの角度別で年間発電効率の実験を行なったうえで、一番発電効率がよかった30度の角度でパネルを設置しています。地道な実験を積み重ねたからこそ、土地の特性に合わせた発電ができているのです。

佐藤教授いわく、積雪地で先陣を切って太陽光発電所を作った功績は大きいとのこと。それまで会津は雪が降るからと、太陽光発電をはじめる人がいなかったそうなんです。
ですが会津電力がはじめたことで、「じゃあうちでもやろうかな」と太陽光発電をはじめる人たちが増えていったそうなので、どうにかエネルギーを自給自足しようとした執念が、周りの人にも大きな影響を与えたことが伺えます。

さらに雄国発電所には再生可能エネルギーの学習体験施設「雄国大学」も併設されており、イラスト付きで、わかりやすく再生可能エネルギーについて学べるパネルが展示されていました。「すべては未来の子供たちのために」をスローガンに掲げる会津電力は、再生可能エネルギーについての授業をするために学校を訪問したりなど、学校や市民に対して再生可能エネルギーの啓発活動を行なっています。

再生可能エネルギーは未来のために在り続けるものだという信念の強さを感じました。未来の子ども達に、胸を張って会津を託せるようにという、彌右衛門さんの想いがあってこそです。

江戸末期から続く歴史ある大和川酒造店

続いて雄国発電所から少し車を走らせ、大和川酒造店北方風土館にお伺いしました。

大和川酒造店は江戸末期寛政2年(1790年)に創業された老舗の造り酒屋であり、現在は会津電力で発電した電気で酒造りを行なっています。
北方風土館では建設当時の酒造りの作業蔵を開放しており、その時代に建てられた江戸蔵、大正蔵、昭和蔵を見学することができました。220年以上前に建てられた蔵が、今も残っていることに、まず驚きました。

当時仕込み蔵として使用されていた「江戸蔵」には、昔使用していた道具を展示しており、酒造りの工程を学ぶことができます。原料であるお米は自家栽培しており、精米具合によってお酒のランクが変わることも初めて知りました。仕込み水は飯豊山という万年雪の雪解け水を使用しています。飯豊山の水は試飲することができるのですが、口当たりが滑らかでとてもおいしい水でした。

貯蔵蔵として使用されていた「大正蔵」は、現在は商品蔵として大和川酒造店で製造しているお酒を紹介しています。襲名制の当主の名前「彌右衛門」を冠したお酒をはじめ、たくさんのお酒が所狭しと並べられている姿は圧巻です。

同じく仕込み蔵として使用されていた「昭和蔵」は音響効果が高いため、現在はイベント蔵としてピアノ発表会や音楽イベント、講演会など喜多方市民に広く利用されているそうです。町に根付く酒造店だということが、ここでもみることができました。

作業場として使用されていた二階の手すり部分は一升瓶で作られており、現在は展示会などに活用されています。無料で楽しめるお酒の試飲コーナーもあり、気に入ったお酒はその場で購入することが可能です。調子に乗って何杯も試飲してしまうと、あっという間に酔っ払ってしまうため、ほどほどに楽しみました。どれを飲んでも目が覚めるようなおいしさで、お土産のお酒選びに悩んでしまうほどでした(笑)。
大和川酒造店の歴史を学びながらお酒も楽しめて、観光としてもとても楽しい場所でした。

東京の電力を支えている猪苗代発電所

大和川酒造店北方風土館を満喫したあと、いよいよ視察ツアーは終わりに向かっていきました。

車中で猪苗代第二発電所&猪苗代第一発電所の見学を行いました。こちらは東京電力の発電所で、会津よりも一段高いところにある猪苗代湖から流れる急流を利用した水力発電所になります。

「関東平野」の文字通り、関東圏は平な土地のため大きな水力発電所を作ることができないことから、福島県のこの地に水力発電所が建てられました。ここから東京に電気を送るために、日本の長距離送電が発達した歴史があると佐藤教授は説明されました。

周辺の道路には大きい鉄塔が連なっており、東京に電力を運ぶための送電線が通っています。送電線を1km通すのに1億円程度かかると聞いていたので、この送電線を東京から福島まで通すのに、どれほどの予算がかけられたのか、計算するだけでめまいがしてきました。そこまでして福島で電気を作らなければいけないほど、東京の電気消費量は膨大なんだということを、改めて実感しました。

そして最後は十六橋水門の見学に行きました。これは猪苗代湖の水位を調整するために作られた施設で、猪苗代発電所にも水を流しています。

巨大な水門は、間近で見るとすごい迫力

佐藤教授は、東京に電力を送る工夫をするまえに、電力を作ることができる土地に人を寄こした方が理にかなっているはずだと、おっしゃっていました。人間は生きているだけでエネルギーを必要とするため、人の数とエネルギーの量のバランスは、常に考えていかなければいけないのです。

視察ツアーをめぐるなかで、首都圏の膨大な電力を賄うために作られた福島県の東京電力福島第一原子力発電所の事故の痕跡は、12年経った後でもいたるところに見受けられました。
原発事故の計り知れない影響、そこから立ち上がろうと再生可能エネルギー事業をはじめた人々の姿を、生の実感として受け取ることになりました。

それは、ネット検索だけで知られるようなことではありませんでした。
再生可能エネルギーについても、東京の電気がどこから運ばれてきているのかも、実際に視察ツアーに参加しなければ、知ることができませんでした。そして、まだまだ学ばなければいけないことがたくさんあることを実感しました。

現在は、過去の選択の結果です。
未来は、今からの選択の結果で変わっていきます。どういう未来を子供たちに残していきたいのか、後世に繋いでいきたいのか、それを深く考えるきっかけとなりました。
膨大な電気を必要とする都会に暮らすわたしたちにまずできることは、電気の生産元を選ぶこと、そして電気を節約することです。

今回の視察ツアーをレポートを読んでいただきありがとうございました。少しでも再生可能エネルギーに興味を持っていただければ幸いです。

(文:李生美)