みんなわがままで自分勝手。それでいい
こんにちは、吐く息が白くなったことに気がついて少しテンションが上がった奥田です。
今日はこれまで生きていて感じた「わがまま」について書いていこうと思います。
幼少期の「人に迷惑をかけてはいけない」という教育
僕は幼少期、両親から迷惑をかけてはいけないという教育を叩き込まれていました。
「先生の言ったことは必ず守りなさい」
「親の言うことは聞きなさい」
そのほかにも他者に迷惑をかけずに言われた通りに生きていくことに対してはとても忠実になっていました。
当時はその状況が異常だとは思っておらず、他の家もそうなんだろうと思っていました。
「人の目を気にすること」が当たり前になった学生生活
幼少期の経験から学生時代は相手に迷惑をかけることを悪だと思い込み、相手からの要望が全て受け入れ、周りから嫌われることを恐れていました。
大学生の時に同じ学部の数回しか話したことがない男の子から
「テストやばいからカンニングさせて」
と言われたときにもしかすると自分は都合の良い人間なのかもしれないと思いそこから少し人間不信になってしまいました。
※このことはこれまであまり言ってこなかった
人間関係も親しい人だけで良いやと新たな出会いに対して消極的になっていましたし、どこか他者を馬鹿にしているというか斜に構えている部分がありました。
「こうあるべき」と凝り固まった概念で悩んだ社会人生活
大学を卒業して会社員をして(副業はやろうと思ってた)、定年になるまで働いて老後を送る。
これをぼくの中では当たり前だと思ってた。
なので、留学をしていたりギャップイヤー的な1年を過ごしている人を見ると「え?大丈夫」と偉そうに人の心配をしていました。
(人の心配をしている前に自分の人生を生きろって話なんですが。)
会社員を辞めるときにはその考えはなぜかなくなっていたのですが、その固定概念は親も持っていたので会社を辞めるときにはとても反発を受けました。
「いつになったら次の会社に入るの?」
「フリーランスなんてやっていけるわけない」
と言われましたが、その意見を聞かずフリーランスとして死ぬことなく1年間活動できたことは自分の中で両親に対する反抗という要素もあったなと思います。
「嫌い、苦手」という感情を持っていいと気がついた
これまでの自分は「嫌い、苦手」という感情に対していけないことという感覚がありました。
そう思ってしまう自分が嫌いになるぐらいに。
でも、よく考えれば会う人会う人全員が自分と相性がいい人であるかのせいの方が低い。
そしてそれは自分だけではなく、相手も等しくそう。
ずっと言えなかった「嫌い、苦手」もこれから違和感として大切にして生活をしていくことにしようと決めました。
自分の嫌い、苦手な人は
・怒りで人をコントロールしようとする人
・最低限のマナーがない人
・ポイ捨てする人
・人を人として思っていない人(人間は都合の良い道具ではない)
・人を馬鹿にする人
・自分の大切な人を馬鹿にする人
・人の外見をイジる人
です。これまではなぜかそういう人たちに会っても距離を取ったり、指摘したりしてこなかったけど嫌われても良いから感じた違和感は言ってみることにする。
嫌われる人には嫌われるし、好かれる人には好かれる。
当たり前だけど、人間不信を経験している身からするととても勇気がいる決断をしたと思う。
好きも嫌いも真正面から向かっていこうと思う。
最後に
こうやって自分の頭の中のことをつらつらと書く時間を取れるだけで人生がちょっと生きやすくなる。
肩の力を抜いて、深く息を吸って自分を大切に思ってくれる人にフォーカスして生きていれば何も怖くない。
書いたなら自分の人生で証明したいと思う。
人生なんて自己満ですから、やりたいようになればいい。
おしまい。