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最も効果的だったダイエット方法

大晦日に、初めて一人暮らしをした町へ行ってみたけど、ナベについて思い出した以外別に何もなかったというテキストを投稿しました。

今でも使ってるナベを買ったのが東大和市だったと思い出したという話です。東大和市の後、横浜の鶴見区に引っ越して2年、さらに横浜の旭区に引っ越して1年住みました。この旭区の1年はなかなかエグい体験でした。

引っ越しをした段階で、新卒で入った会社を辞めることを決意していました。引っ越しするのに無職だと色々ややこしかろうと、引っ越してから辞めるという計画的犯行だったわけです。転職先が決まっていたわけでもないので、できるだけ安いところを選んで引っ越しました。

引っ越し後ほどなくして会社を辞めたわけですが、3年半苦しい思いしかありませんでしたからその開放感は最高でした。朝起きて会社に行かなくていいというだけで、お日様の暖かさや空気のおいしさが違うんです。その後の人生で何度も同じ開放感を味わうことになるわけですが、初めてのこの時は格別でしたねえ。この快感を味わうためだけに就職すると言っても過言ではありませんよ。

社員旅行の積立金を返してもらった分と、有給消化による最後の給料、わずかな手持ちのお金、それが尽きるまでダラダラしていました。最高でしたねえ。人生を自分の手に取り戻した気分でした。

しかし当然お金は尽きてくるんですが、本腰入れて就職活動なんて気はサラサラなくて、バイトを始めました。シール集めるとお皿がもらえるあの有名なパンの工場です。面接とかはなくて、説明会みたいなのに参加すれば全員採用というタイプの募集です。

週3回まで仕事の予約ができて、夜勤で日当1万円という条件でした。なんせダラダラしたいので週3すらイヤで、週2回しか働いてませんでした。ということは月収8万円程度です。そのうち4万円が家賃で消えるわけですから、貧乏でしたねえ。

バイトがある日は食事が出ますし、パンも食える。それがそのバイトをやってた理由なんですが、パンは食堂で食う分には食い放題だけど持ち帰りは厳禁だったんです。でも、作業服の中や帽子の中にパンパンに詰めて更衣室まで持ち出して、いつも持ち帰ってましたよ。さもしい話ですが、命をつなぐパンですから。

それでもいつも腹を減らしていましたねえ。当時のアパートの近くに路上で野菜を広げて売ってるおばあちゃんがいたんですが、売れ残りを安く売ってくれたので、3個20円の玉ねぎとかを買って腹の足しにしていましたよ。

またある時は、その辺の畑にナスとかの作物が無防備になってるわけですよ。さすがに犯行には及びませんでしたが、何度も盗んでやろうかという思いが頭をよぎったものです。

とにかくずっと腹が減ってる状態ですから、みるみる痩せていきました。ダイエットの方法とか、今も昔もそれを本にしたり商品として売ってるわけですが、当時の私からすればアホかと。暮らしてるだけで勝手にものすごい勢いで痩せるじゃないかと。それはダイエットじゃなくて衰弱というんですけど。

そんな暮らしをしばらく続けて、そろそろ就職しようと思ってなんだかんだあってブラック企業に入社することになり、オートマチックダイエットの日々は終焉を向かえました。入社した会社もかなりの薄給でしたが、普通のメシを普通に食えるありがたみ。あっという間に元通りに太りましたよ。

当時のことを思い出してみたんですが、何ごとも経験だみたいな話ではないんです。あんな経験普通の人はしませんし、しないで済む方がいいに決まってますし、得たものも何もありません。

でも当時の暮らしを思い出すと、クソみたいな毎日だなあと常々思ってはいても、あの頃よりナンボかマシかと思えます。前向きさのカケラもありませんが、励みになるんですよ。励みとはちょっと違うか。

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