リハビリ
今日から時々、文章を書くリハビリを始めたいと思う。
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noteをまめに書いていた時はもう5年も6年も遡るんだ、と時の流れを感じようとする。
けど、なんかイマイチである。
時の流れについて語る時、「早かった」「遅かった」とよく言うけれど、noteと距離をとっていた時間については何となくそんな感じではない。
ただぼんやりと、もうその感覚には戻れない悲しさ寂しさと、
その時からまるっきり進化してしまった自分を感じる。
よかった、退化じゃなくて。。
相変わらず私は小難しいことやくだらないことを交互に考えているのだけど、ここ最近一番考えていることが「表現とは」というテーマだ。
ほんとについ最近まで、「伸び伸びと、自分の意見を伝えること」が近い回答だったのだけど、変わったのである。
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私にはずっと気になってたこと、何でだろうとおもってたことがあった。
例えば、私は歌うことが好きなのに、どう歌っても思ったふうに伝えられなかった。
歌ってる時は楽しくて、いろんな想像を膨らませているのに、録音を聴くと全然そんなふうに聞こえてこない。
この「何故?」という問いに答えられないまま、学生ミュージシャン時代を終えてしまった。
当時は「これが才能の限界というやつなのかな」くらいに片付けていた。が、どうもそうじゃないらしいことが最近わかってきた。
例えば写真。私は数年前から写真撮影という手段をつかって、自分の視覚世界を表現していた。
その時々の刹那的なところを捉えて、映しているスタイルで「日常の小さな感動が伝わればいいなぁ」と思いながら撮影していて、自分の写真は拙いながらも大体気に入っていた。
だから特に高みを目指すような作業でもないし、でも手を抜いてるわけでもなく、最近はちょっと宙ぶらりん感を感じていることもあった。
めちゃくちゃ全力で楽しんでやっている訳ではなく、ある程度の楽しさで取り組んでいる姿勢にもずっと何となく違和感も感じていて、でもその謎は謎のままどんどん時間が過ぎていってた。
これに関しても「これが才能の限界というやつなのかな」くらいに片付けていた。が、やっぱりどうもそうじゃないらしい。
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書くリハビリなので、続きは次の記事にします。
疲れた。(笑)
文章ってプレーンなのに、自分を裸にされてる感じがして困る。