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火のないところに煙は立たない!

よく諺で、「火のないところに煙は立たない」と言われるが、最近は、SNS上で火が全くないのに、炎上しているような話が沢山あると聞く。人間社会は乾燥し過ぎてしまったのであろうか?

ところで、ジジイの話は、本当の本物の話。

昨晩炊いた薪ストーブは、できるだけ部屋の中を温めて朝起きる時もぬくぬくしているように、寝る時に薪を焚べたまま就寝に入るのだけれど、未明には燃え尽きてしまう。

朝、炉を開けると燃え尽きた残骸が多少なりとも残っている。その残骸を動かすとその下あたりでチラチラと赤く小さな残火が複数残っている。

早速、庭に落ちている枯れ枝を数本拾い、細かく折って持ち帰るのと同時に、木工で使った端材や、より太い楢の薪を用意する。

まずは、すぐに着火する乾燥した新聞紙などを一枚ほど適度に丸めてそのチラチラと赤い残火の上に置く。そして、その上に手で折った枯れ枝をバラバラと撒いておいて、その上や傍に少し細めの薪(端材や細めの楢)を配置してあげる。

すると、あちらこちらと新聞紙の端から煙が立ち上るので、吹子のごとく、少し自分の口で、フーフーと風を送ってあげると、たちまち新聞紙が燃え始め、その火が枯れ枝に移り、あっという間に炉内は赤い炎が立ち上がる。

こうなればしめたもので、あとは、徐々に太い楢の薪に移っていくのを待つだけである。

数分後の炉内

数分後には、炉内は真っ赤に燃え上がり、また、昨晩のように、薪ストーブが少しずつ温まっていくので、今日も快適な一日が過ごせるというわけである。

火は、一度消えたとしても、種火が下の方に燻っているので、そんなわずかな種火からでも条件が合えば、大きく燃え上がるのは、あっという間なのである。

でも、逆にいうのであれば、条件が合わなければ、その種火は、そのまま燃え尽きてしまい。火は起きないとも言える。

火が付くか、つかずに消えてなくなるかの境目を臨界点というのだろうか?

物事というのは、きっとこういう自然現象から学ぶべきところは沢山あるのだろうと思う。

例えば、今まで誰にも注目されずに一人悶々と作品を作り続けてきた芸術家(例えば、画家とか作曲家)とかが、ある時何かの起爆剤(ある人との出会いとか、ネットのような時代の技術を使う)に出会い、加速度的に有名になるなんていう事は、その臨界点を超えた時、加速度的に人生が変化してゆくという事なのだろう。

モジリアーニのように死んだ後に評価されるなんていうのは、何が起爆剤になって臨界点を超えたのだろうか?なんて考えている。

我、木工作品も、いつか何かの起爆剤に出会って臨界を超えることがあるのだろうか?なんてささやかな期待を胸に秘めて、今日も、木工所へ足を向けるのである。