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2021.1.8 1日目。

パンデミックの語源はギリシア語の「パン(全て)+デミア(人々)」に由来する。
緊急事態宣言中の「一生活者」としての記録です。

▼今日の仕事は午前中のみ。

「最後の昼餐」にと、サイゼリヤに行った。これからまた外食産業が落ち込みそうだから、最後に好きな飲食店にお金を落としたいなと思って。

あ、間違い探しは10個コンプリートしました!!!(プチ自慢)

サイゼリヤの間違い探しは、まったく子供用ではなく、大変にむずかしい。これだけで本が出ているほど。。。

▼一都三県は再びの緊急事態宣言。これに伴い、イベントと飲食店は「20時」というラインで終わるようにしているみたいだ。末広亭(寄席小屋)も普段は21時閉演のところ20時で終わるように調整、飲食店には20時閉店の貼り紙。

でも前回の宣言とは違い・・・・・(あくまで私個人が見た日常風景だけど)電車は人が減ったようには見えなかった。結構な満員電車。特に朝の私が乗る路線の混雑具合は100%近いといっていいと思う。

あと他に影響を受けたところ(変えたところ)はあるのかな。まだ1日だけど「前回とは違うから」みたいな町の空気を感じた。

「感染の機会は飲食!」と言い過ぎたせいで「飲食以外ならいいんでしょ?」となっているような気もする。「人の接触を減らす」のか「飲食の場を気を付ける」なのか・・・。

というか本当に最大のターゲットは「飲食」なのか。屋形船→夜の街→飲食・・・とターゲットが移ってるだけのような気もしてしまう。

▼都から、理由なく自粛(20時閉店)要請に応じない飲食店の名前は公表する、という方針が報道された(ジッサイ公表されるかは不明)。

理由なく応じない店なんてないと思うんです。

理由はあるでしょう。それぞれ。

コロナ感染拡大を願っている店なんてない。でも、いろいろな事情があって、応じることができない/しないという決断をする店もあるんじゃないのかな。

▼なんか・・・ほんと初歩的なことだけど、「言い方」って大事だと思う。

仕事し始めた新人時代、言われたことありませんか?? 私はいまだに言われます。

私は「複数の人で何かをするとき」、人の事情や気持ちを汲み取る能力がなく、人を傷つけてしまう言い方をしてしまうので、いろいろな人から注意を受けてきました。演出の時もね・・・どれだけ言っても伝わらないと、聞いてもらって変わってもらえないと意味がないから。伝わるように何度も言い方を変えて伝えようとする。

私自身も、言い方一つで反発もすれば、がんばろうと思えることがある。

緊急事態に甘いこと言うなって言われるかもしれないけど、こんな時だからこそ、政府や当局の「言い方」「伝え方」大事だと思うんです。

全員が気持ちよく「はい、自粛します!」なんてことは、ありえない。ありえないが「反発を減らす努力」は、もうちょっとしてもいいんじゃないだろうか・・・・・・・・・・・・・。

もちろん反発されても何でも必要ならやらないといけない。

でも「反発を減らす努力」ってしてる? むしろ安倍政権の頃から「反発を増やす」ことが多いように思えてしまう。

政治家とか警察の高官が会食してたり・・・。おじいちゃん(高齢男性)は感染するとリスクが高いんですがーーー。

それでもじっと黙って耐えている、医療従事者、エッセンシャルワーカー(小売りのお店等含め)、接客業、立場の弱い非正規、敏感な子、そして末端の官僚・・・。

▼日本人の「耐性」は、「自然災害の多い国」だからこそ培われたものなのかもしれない。

自然には、文句を言っても仕方がない。減災はできるが、自然災害(地震、台風、大水など)それ自体を避けることはできない。

このウイルスは自然災害といえるかもしれない。「自然破壊による人災」とか諸説あるけど、ウイルス自体は自然のものであるから。

でも、日本における現在の自体は、天災ではないと思う。


▼・・・しかし犯人捜しをしているヒマはない。

私たちはとにかく、個々人でできる範囲で感染予防を徹底しつつ「普通に」生活することで対抗するしかない。

情報や雰囲気に振り回されて、自分を見失ってはならない。それが一番怖い。

スペインかぜの時より、確実に日本は豊かになっているし、知恵もある。

だから精神をしっかり持つことなのだ。感染爆発の中心地にあって、正気を保つことは大事だ。正気を保つにはいつもの日常を生きることだ。



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委員長/日本語教師
これからも書き(描き)続けます。見守ってくださいm(__)m