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風土記の地名物語――常陸国9
香島の国の続き。冒頭の「神社」は香島(鹿島)神宮を指します。地誌中心で、物語性や神秘性はほとんど感じられないのですが、読むほどに味わい深い内容、文章だと思います。
香島神宮の周辺
神社の周りは、卜氏の居所となっています。土地は高く開けており、東と西は海(鹿島灘と北浦)に面していて、峰と谷は村里とが犬牙交錯っています。山の木と野の草とは家の内庭のまがきを隠す垣根となり、谷川の流れと岸の泉は朝夕に水を汲むのに十分なほどに湧き出ています。
嶺の高みに家を造れば、松や竹が垣根の外側を守るように生え、谷の中腹に井戸を掘れば、蘿やひかげが崖を覆います。春にその村を通れば、百もの草や野の花が咲きほこり、秋に道を過ぎれば、千もの木々が錦のように色づいています。神仙が隠れ住む秘境、霊異が形となって生まれ出る地と言うべきです。その美しさと豊かさの全てを書き表すことはとてもできません。
社の南には郡の役所が、北には沼尾の池があります。古老の語るところでは、この沼は神代の昔に天から流れて来た水沼なのだそうです。生えている蓮根は他とは味わいが大きく異なっていて、甘さにおいてより優れています。
病気の人がこの沼の蓮を食べると早く癒える効き目があります。また、鮒や鯉がたくさん住んでいます。以前には郡役所の置かれていた場所です。橘の木がたくさん植えられており、その実はおいしいのです。
香島郡の「大海」沿いの地域
郡役所から東に二、三里のところに高松の浜があります。大海(鹿島灘)から流れ着いた砂と貝が積もって高い丘となり、自然に松林が生じました。椎や柴の木が混じり、もはや山野のようです。
松の木の下、あちらこちらで泉が湧き出ています。周囲八、九歩ほどで、清らかな水がたまり、とても好ましいものです。慶雲元年(西暦704年)、国司である埰女の朝臣が鍛佐備の大麿らを率い、若松の浜の砂鉄を採って剣を造りました。
ここから南の方角、軽野の里から若松の浜に至る三十里あまりは、みな松の山です。毎年、伏苓、伏神などの薬草を掘ります。若松の浦は常陸と下総、二つの国の境をなしています。安是の湖に産する砂鉄は、剣を造るとはなはだよく切れます。しかし、ここは香島の神山なので、勝手に入って松を伐り、鉄を掘ることはできません。
軽野の東の大海の浜辺には、漂着した大きな船があります。長さ十五丈(43.6メートルほど)、幅は一丈あまりです。朽ち、壊れて砂に埋まり、今なお残っています。天智天皇の御代に、国土を探し求めようとして遣わされ、陸奥国の石城の船大工に大船を造らせたところ、ここに至って岸に着き、たちまち壊れたのだと言われています。
常陸国9 解説
「香島神宮の周辺」の「犬牙交錯って」の原文は「峰谷犬牙邑里交錯」。定型かもしれませんが、かわいい表現。読み方は吉野裕訳(平凡社文庫版)にならいました。社の南の郡役所跡は、 神野向遺跡として保存されています。
「香島郡の「大海」沿いの地域」の舞台は鹿島市から神栖市にかけて。戦前に国文学者の久松潜一が風土記の取材のために訪れた神池=寒田池(この地域の記述は私訳からは省いた)は、今は鹿島臨海工業地帯にほとんど呑み込まれています。その他の海岸線は、同氏が、優雅な自然美はなく壮大で「素樸」、と表したのに同意できます。「安是の湖」は利根川河口の港。見出しの写真は、神栖市で撮影した鹿島灘です。
軽野の浜辺の朽ちた巨船という辺り、渋澤龍彦作「ダイダロス」に登場する、由比ヶ浜の砂浜に埋もれた巨船を連想して嬉しくなりました。木造船の朽ちた骨格から蟹がのぞいていたとしたら……。なお、同作を収める『うつろ舟』の表題作は、常陸の国の浜辺に漂着した不思議な船の話です。