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風土記の地名物語――常陸国10
香島郡の最終回。常陸国風土記中でも特によく取り上げられる童子の松原の伝説が中心です。童子の松原の位置は不明ですが、神栖市の利根川に近い浜辺に「童子女の松原公園」が設けられています(上の写真。当ブログ番外編を参照)。
郎子と嬢子の出会い
軽野の南に童子の松原があります。はるかな昔、年若い男女の童子がおりました(当地では、それぞれ「神のおのこ」「神のおとめ」と言います)。男は那珂の寒田の郎子といい、女は海上(現在の神栖市波崎)の安是の嬢子と名づけられています。
二人はともに容姿が端正で、その美しさは村里に光り輝くほどでした。二人は互いの評判を聞くにつけ、会いたいと同じように願いをいだき、我慢してこらえる心が消えてしまいました。月を経、日を重ねた後、当地で「うたがき」「かがい」と呼ばれる嬥歌の集いで、二人は偶然に出会いました。
郎子は、次のように歌いました。
あの阿是の乙女が、小さな松に木綿の布を垂らして、私に向かって振っているのが見える。ああ、あなたは阿是の小島、なんてかわいいんだ。(いやぜるの 阿是の小松に 木綿垂でて 吾を振り見ゆも 阿是小島はも)
嬢子が応えて次のように歌います。
あなたは、歌垣に集まった人が潮のように動き回る中に立っていますが 八十もの島に隠されていようとも、あたたはわたしを見つけて走り寄って来てくれます。(潮には 立たむと言へど 奈西の子が 八十島隠り 吾を見さばしり)
恋の行方
二人は親しく語り合いたいと願いながら、人に知られることを恐れて、自然に歌垣の遊びの場から抜け出しました。松の下に隠れて、互いの手をとり、膝をからめあって、あふれる思いをうち明け、心の苦しみを吐露しました。すると恋の苦しさによる病から解き放たれ、新らしい歓びの気持ちがしきりに湧き出て来て、笑みがこぼれるのでした。
今宵の二人には、これより楽しいものはないというほどの楽しさです。ひたすら二人で語り合う甘さにひたって、間もなく夜が明けようとするのをすっかり忘れていました。突然、鶏が鳴き、犬が吠えて、暁の空は日中の明るさへと変わっていました。
ここで童子たちはどうしていいのか分からなくなり、とうとう人に見られることを恥じて松の木になりました。郎子を奈美松とい、嬢子を古津松と称します。遠い昔に名づけられ、今に至るまで名を改めていません。
白鳥の里
郡役所の北三十里の先に白鳥の里があります。古老は次のように語っています。垂仁天皇の御代に白鳥があり、天から飛び来たって童女となりました。夕べには天に昇り、朝になると下って来ます。
童女たちは石を積んで池を造り、堤を築こうとするものの、いたずらに月日を重ねるばかり。築いても壊れてしまうので、堤を造ることができません。それで、「鳥の羽で堤を包もうとしたのに洗い流され……」と口々に歌って天に昇り、再び降りて来ることはありませんでした。このため、そこを白鳥の里と名づけました。
角折れの浜
その南にある平原を角折の浜と言います。伝えられるところでは、大昔、大蛇がいました。浜を掘って穴を造ろうとしたところ、その蛇の角が折れて落ち、それによって名づけたと言います。
あるいは、別の言い伝えによると、倭武天皇がこの浜にお泊まりになって、お食事を土地の神様に勧め奉る時、水が全くありませんでした。それで鹿の角を使って土を掘ったところ、角が折れました。それで名づけたのだと言います。
常陸国10 解説
「童子女の松」として知られている話の中に、二人の歌のやりとりがあります。この歌は双方とも、「いやぜる」という枕詞をはじめ、学問的にも解釈が難しく、上記は先学のいくつかの訳を参考に試訳したものです。地名の用字に異同がありますが、これは各種刊本にならったものです。
「笑みがこぼれるのでした」と「今宵の二人には」の間に、四六駢儷体を駆使した美文による情景描写がなされています。物語内容とほぼ関係がないので割愛しました。
白鳥の話には歌が含まれていますが、欠字部分が多く、歌としては訳しませんでした。白鳥の里は現在の鉾田市大洋村辺り。「角折れの浜」は所在不明のようです。