はるかな昔 後書き
「はるかな昔 風土記の地名物語」は本編14回+番外編1回で完結しました。当初は風土記全体から抜粋して現代語訳するつもりだったのですが、常陸国風土記のみで終わりとします。その必要がなくなったからです。
先月21日、書店に行くと、角川ソフィア文庫版『風土記』(橋本雅之編)が「ビギナーズ・クラシックス 日本の古典」の一冊として、表紙を表に書棚に立てられてられているのが目に入りました。奥付を見ると令和3年11月25日初版。刊行日より前に書店に本が並ぶのはさほど珍しくありません。それより驚くべきは、風土記をダイジェストした入門書が刊行されたということ自体です。
風土記のダイジェスト版は、私が私訳版を作成し始めた今年、この時まで存在していなかったのです*。何という面白い偶然でしょう。古事記、日本書紀は、現代語訳や解説書など、多様な読者の求めに応じてあまたの本が出版されています。一方、風土記は、記紀と同時代の古典として知られてはいるものの、入門書がなく、初学者も接近するには丸ごと読む以外に術がなかったのです。
実は、風土記は記紀よりも抄録をするのにふさわしい内容です。なのに、人気のなさ故に、そうした本は出版されませんでした。風土記は基本的に行政文書ですから、無味乾燥だったり、単調な繰り返しだったりする部分が多くあります。それを省くだけで、ずいぶん読みやすくなるのです。私は、そうしたものを目指していました。
橋本氏の『風土記』は、抄訳にとどまらず、学問的な成果を取り入れた風土記の総合的な入門編になっています。私は学会や研究者の世界に不案内ですが、編者の橋本氏が、今世紀、活発に風土記関連書を著して来たことを知っています。この任に最適の研究者であり、本の内容も期待に違わぬものでした。ただし、それで私の試みが無駄になったということはないようです。
私が常陸国風土記を愛するようになったのは、全体を読んで、「はるかな昔」の人々や自然のかもす気配に魅せられたからでした。特に倭武天皇が泉に手をひたすエピソード(ブログ第1回参照)や、久慈郡での盛夏の憩いの場面(同じく第12回参照)の文章には心を動かされました。橋本氏の本では、文庫版の案内書という制約から、割愛された部分が多く、常陸国風土記が持つこうした、類書にないどころか、他の風土記とも大きく異なる味わいを感じ取ることは難しいでしょう。私の訳は、こうした面を補うことになります。
常陸国以外の四カ国の風土記や逸文について、私は抄訳を行う意欲満々でした。ただ、正直、それらを気に入ってはいても常陸国風土記に向けるほどの愛情はなく、橋本氏の本を発見したら、義務感から解放されて(?)安堵してしまいました。恐らく抄訳の完成には一年以上を要するでしょう。そろそろ小説の書き方を思い出す、あるいは再発見すべき時節が近づいて来たようです。
予告したように、このブログを「楽しい風土記」というタイトルの「マガジン」として、第1回から順番に読めるようにし、一部の内容を調整した上でアップします(令和3年12月18日)。
この私訳について、また常陸国風土記そのものについても、さらに語りたいことがあります。いずれ、note上に何らかの形で書こうと考えています。自己満足になりそうな内容ですが、もしこの私訳を読んで気に入ってくれた人がいたなら、面白く感じてもらえるものにしたいと願っています。