言文一致という「言葉の罠」
1.言文一致は誤解を生む言葉
noteに書いている人で、「言文一致」という言葉を知らない人はまずいないと思います。しかし、正しく理解している人は案外少ない可能性があります。私は間違っていました。この四文字熟語は実は誤解へと導くトラップなのです。私は罠にかかった後になって、誤解の「危険性」がかねてから指摘されていたことを知りました(後述します)。
私が何となく理解していた言文一致は、次のようなものでした。「明治時代、それまで古文(文語)で記されていた文章を話し言葉(口語)で書けるようにした改革で、二葉亭四迷が、三遊亭円朝の落語の筆記本を参考に、口語文で小説や翻訳を著したことをきっかけに広まった」次に、Wikipediaの「言文一致」の項を抜粋して示します。
先に示した私の理解は間違いと言えますし、Wikipediaも正しいとは言えません。誤解の大本の原因は、言文一致という言葉が漢字の組み合わせからして<話し言葉「言」と「文」とを一致させること>を意味しているように見えてしまうことです。しかし、会話に使われる言葉をそのまま文章化したのでは普通はまともな文章にならず、長い間使われて来た古文の高い水準には到底及ばなかったのです。
言文一致は、正しくは、口語を元に新しく作られた文体(口語体)で文章を書けるようにする国語改革でした。二葉亭の作品がきっかけで広まったわけでもありません。ポイントは、明治以前に用いられていた古文や漢文に代わって、口語体できちんとした文章が書けるようになったことです。
2.言文一致以前の言文一致
単に話し言葉から声を文字に写すことなら、戯作者たちの作品や講義録などに例がありました(前回参照)。また、明治になって間もなく、庶民向けに仮名書きを多用して発行された小新聞(読売新聞が代表格)などでも口語が使われていました。
一方で、先進国である欧米の諸言語は、文章を話し言葉のように記すことが可能でしたから、文明開化の一環として日本語も話し言葉で文章が書けるようにすべき、という論者も現れました。これらの動きは、言文一致という言葉が生まれる前に生起していたのです。
3.二葉亭四迷の登場
二葉亭四迷は、こうした流れの中で口語文体を確立しました。二葉亭は明治二十年(1887年)に小説「浮雲」、翌年ロシア語から翻訳したツルゲーネフ「あいびき」「めぐりあい」を発表して、大きな反響を呼びました。二葉亭はやがて言文一致改革の立役者とみなされることになりますが、それは初めて文芸作品を言文一致で書いたからではなく(他にも試みた人たちがいました)、平明でありながら美しい口語文体の見事な実例を示したからでした。
では、小説「浮雲」は当時の青年たちになぜ支持されたのでしょうか? 野村剛史氏(現東大名誉教授)は、明治になって封建的な身分制度が否定され、職業選択の自由、結婚と恋愛の自由が実現されることで生まれた失業と失恋という新しい問題を二葉亭が描いたことをあげています。しかも、言文一致体によって「「考えることをそっくりそのまま写せる」=「日常の思いを述べる」」ことができたために、新しい時代の悩みを生きる青年たちの心をとらえることになったのだ、と。
4.誤解と忘却
二葉亭らの努力できちんとした文章を口語体で書く道が開かれると、やがて口語文が文語文に代わって定着して行きます。この国語上の大改革は、「言文一致」と称せられて今に至っています。実は、誤解の生じやすい言文一致ではなく口語体という言葉を使うべきという主張は20世紀初頭にはなされていました。しかし、用語として一般に広まったのは言文一致の方でした。トラップは放置されることになったのです。
また、言文一致改革における二葉亭四迷の役割が正しく理解されないまま過度に喧伝されたために、二葉亭の大きな影の下で口語文体が確立されるまでの、江戸期以前からの歴史的な経緯は(専門家以外には)忘れ去られることになりました。このため、江戸期以前の「言文一致」を発見して驚くうっかり者が現れることになったわけです。私のことですが。
5.言文一致の文献を探したら……
以前に書いた「カギ括弧」のない時代……」の記事を訂正をするために言文一致への言及が不可欠と分かった時点では、入門書、概説書を読んで何とかするつもりでした。ところが、私が求めていた言文一致を歴史的な経緯から解説してくれる簡便な本は、調べた限りではありませんでした。言文一致に関しては、改革後の標準語化との関連などの方が見つけやすいようです。
で、手探りをしていた時に見つかったのが野村剛史氏の以下の著書でした。上記拙文は、多くを野村氏の著作、特に『日本語スタンダードの歴史』によっています。この著書は概説ではなく記述は詳細を極める上に、「日本語スタンダード」という野村氏の提唱する説はスタンダードな学説とはなっていないようです。が、野村氏の著作は私にはとても面白かったので項を改めて述べようと思います。