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イノベーター弥太郎の独創的な日記

 今はありふれた存在である会社員が、初めて日本という国に存在するようになったのはいつ頃だったのか? ここですぐ質問に答えられる人は、私の書いた「会社の創造というイノベーション」という記事を読んだに違いありません。この記事は「岩崎弥太郎 幕末青春日記」を別アカウントで始める前に、弥太郎の業績を紹介する目的で記しました。弥太郎の日記を読めば、この創造的な起業家の青春時代を知ることができる、という趣旨でした。

 ところが、弥太郎の日記を紹介しつつ、江戸期の日記や紀行文について調べる内に、弥太郎の日記自体が独創的なものであることが分かって来ました。いま私は、世に知られていない弥太郎日記の真価を明らかにしたいと考えています。今回は、その一環として弥太郎の業績を再確認することにします。上記「イノベーション」の記事と重複する部分がありますが、新たな視角から見直すものです。

 会社員が生まれたのはいつだったのか? という質問に戻りましょう。これに、「明治維新の時期」という答えを示せば、学校で習った覚えはなくても、そういうものだと納得できるかもしれません。日本の近代が文明開化という社会、文化の巨大な変化と共に始まったことを私たちの常識として知っているので、会社員の誕生という一場面がその内にあっても不思議ではなさそうだからです。

 この答えは正しいのですが、社会の常識とはなっていません。学問の常識でもありません。会社員がいつ生まれたのかはほぼ知られておらず、研究も殆どなされていないのです。ずっと以前から同じです。私は会社員の起源を知りたかったので、自分で答えを探しました。結論は、岩崎弥太郎が後に三菱として知られることになる会社(営利企業としての会社)を創り出した時、日本に最初の会社員が生まれたということでした。

 なぜ私が会社員の起源を知りたかったのか、なぜ「三菱」が最初の近代的な会社と言えるのかについては、「イノベーション」の回に簡略に記しました。可能ならいつかもう少し詳しく書きたいのですが……。最下部に示した拙著を参照いただければ幸いです。

 ところで、弥太郎には、日本で最初の会社企業を作ったとか、その時に最初の会社員が生まれたとかいう自覚や認識はありませんでした。しかし、彼の「三菱」には近代的な会社企業としての実質が備わっていました。その一番の肝は、成員が弥太郎の求めに応じて自らの意志で「入社」したことです。これは革命的なイノベーションでした。当時の他の企業は、藩士や商家の店員が命令されて配属されたもので、身分によって職業が決まる封建制度から脱却できていなかったのです。

 三菱と他の商社との争いは、強いリーダーシップを持つ指揮官に率いられた志願兵からなる小さな軍隊と、規模は大きくても戦意の低い召集兵からなる軍隊が戦ったようなものでした。結果、三菱が国内海運において覇を唱えることになりました。なぜ弥太郎だけが、こうした強い組織を作ることができたのか、私は長崎や大坂、神戸での先進資本主義国の貿易商社との取引や、志願者からなる軍隊兼商社であった坂本龍馬の海援隊との交流からヒントを得たと論じて来ました。

 こうした論は今も維持していますが、弥太郎の初期の日記を精読した結果、こうした変革の基盤には、弥太郎の当時の他の人々とは大いに異なる認識や思考の仕方があったことが見えて来たのです。幾度か論じたように、弥太郎は言文一致運動後の日記のような私的な書き方で日記を記しました。また、漢文体と和文体を自由に行き来する文章のスタイルも他に例が見あたりません。

 弥太郎の独特の人間性が、日記の記述から究明できるわけですが、弥太郎日記の価値は他にもあります。長崎丸山での経験の赤裸々な告白は、実は意外に謎の多い遊郭の実態に思いがけない照明を当てるものとして貴重です。また、弥太郎が第一次長崎赴任時に記した日記瓊浦けいほ日録」は、一人の青年の希望と挫折の物語として読むことが可能です。こんな日記、当時他にありません。

 つまり、弥太郎の日記は、彼の起業家、経営者としての姿を知る手がかりとなるだけでなく、日記それ自体の意義を検討する価値のあるものだったのです。これから、「瓊浦日録」(とその前後の「西征雑録」)にどのような特長があるのか考えて行きます。それ以後の膨大な日記には手が回りませんが、弥太郎の日記の独自性と価値を検討するには「瓊浦日録」だけで十分です。「瓊浦日録」には弥太郎日記の特性が存分に示されているからです。

 ……と言いつつ、次回は(もしかすると、その次も)、起業家、経営者としての弥太郎について書くことになります。弥太郎がどれだけ誤解され、その結果彼の真価が見失われたかを確認しておきたいのです。弥太郎を(善悪、長短あわせて)正しく評価するのは、極めて難しい事業です。

 実は、弥太郎は「三菱は会社ではない」と堂々と宣言しています。この発言は、弥太郎が近代経営を理解していない証拠として挙げられることがありました。しかし、当時「会社」という言葉が何を意味していたかを知らないでは、この発言を正しく理解することができません。このことも後々誤解を生む素地となりました。この件に関しても、次回以降に記します。

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