小綺麗にしているひと(≠人からの見え方を気にしているひと)
同じ授業を受けている学生で、いつもちょっとおしゃれで、身なりが整っている子がいる。
8:40からはじまる1限の授業であっても小綺麗にしていて、その品の良さは崩れることがなくて、憧れるなぁと思う。
私自身、自分が好きな服をコーディネートして身なりを整えると、気持ちが澄んで自信がつく。それだから、気持ちに余裕をつくるためにも身なりには気を遣って過ごせたらいいなと思っている。
そしてふと、「人からの見え方を気にするな」という考え方を思い出した。
「小綺麗にする」と「人からの見え方を気にするな」は、字面だけ見ると真逆のことを言っているみたいだなと思ったのだ。
でも「人からの見え方を気にするな」というのは「格好のことを気にするのは自分の事ばかり考えていて、周りが見えていないからだ。また、他人の意見に振り回されて本当の意味で自由ではない」ということなので、「小綺麗にする」のとは、言葉のベクトルが違うのかもと思った。
「小綺麗にする」のは、自分の気分を上手くコントロールするためであって、
「人からの見え方を気にする」のは、人の気分を(害さないように)媚びへつらってコントロールするためなので、自分の意思がほったらかしになってしまっている状態である。
媚びていないか、媚びているか。
自分を「マネジメントしている」か、他人に合わせて自分を「曲げている」か。
いったん整理してみるとだいぶ意味が違うことがわかってきた。
久しぶりに人に会うとき、いつもよりほんのちょっとお洒落したりすると、「あれ、なんか自分、自意識過剰かな」みたいに思ってもやもやすることがあった。
久しぶりに会う手前、「いいかっこしたい」という見栄というか媚びともいえるものが深層心理としてあったのかもな。
ただ、本当にただの普通の日であっても、新しくコーディネートを考えて自分を着飾ることが、気分を弾ませ心に余裕を生むのは確かだ。
これは制服生活から離れ、大学生になってから学んだこと。
そういえば私の祖母は、特に外出の予定がなくても毎朝8:00に化粧をするのが日課だと言っていた。そうしないと気持ち悪いんだとか。私が化粧を忘れるようになったらボケたと思ってね、とも言っていた。
いつでも小綺麗にして、自分の機嫌を自分でとって、心に余裕のある人に憧れる。そういう人でありたい。