春は鎌倉暮らしが楽しい
鎌倉の春は美しい。2月下旬から民家やお寺の庭に咲く梅が色づき始め、路肩も少しづつ草花が顔を出し、3月にもなると、ベランダで洗濯物を干していたら、ホトトギスが発声練習を始める。ホトトギスの「ホーホケキョ」の鳴き声は努力の末の完成版で、最初からうまく鳴けるわけではないことを、鎌倉に来てから知った。
冒頭の写真の玉縄桜と呼ばれる早咲きの桜は、私の家の近くにある甘縄神社の桜で、すでに7部咲くらいになっている。鎌倉に来てすでに2回春夏秋冬を経験したけれど、特に冬から春への移ろいは、長い冬が終わって生命が芽吹くエネルギーにあふれていて、道を散歩するだけでとても気持ちが良い。甘縄神社の近くの友達のカフェ「喫茶あまから」には、ご近所の長谷住民の方も多く、どこの何が見ごろとか、色々な情報を頂けて楽しい。
少し話は飛ぶが、最近ランド・スケープデザイナーの田瀬理夫さんがインタビューをされた本を読んで、こんな言葉があった。
「とり戻したいのは緑そのものではなくて、それを通じて共有される空間の豊かさや意識、パブリック・マインドだと」
これは、田瀬さんの言葉を著者の西村佳哲さんが言い換えたものだけど、とても大事なことだと思う。私が東京に住んでて何がダメかというと、コミュニティの感覚の欠如や、自分の住む部屋の横の人や近所の人とも全く知り合いになれない感じが無理だった。物理的に同じ空間にいるのに、顔の見える関係性を持てなかったり、持っていても、非常に希薄であることへの危機感が、特に私はあった。なんで自分の国で暮らしているのに、こんなにも他者との距離が遠いんだろうと。田瀬さんの本の中で、東京オリンピック前の東京が描かれているけれど、自然が豊かで、ゆるやかに人とつながれた時代があったことに正直びっくりした。
それで、鎌倉。ほぼ平日は在宅勤務をしているものの、昼休みに余裕があれば自宅のガレージでコーヒーを販売するidobataのオーナーと雑談したり、前述の喫茶あまからのゆきさんに会いにいったりする。ちょうど今週喫茶あまからに寄ったら、観光客でごった返したらしく、「ごめん、ちょっと先に皿洗いさせて」と言われ、「いいよー、今日は予定がないからゆっくりオーダーする」と言って、お店の方にお客が合わせる雰囲気も鎌倉らしくて良いなと思う。3分に1本とかのペースで電車がやってきては大量の人を運ぶ、無駄なく動く東京と、その日の状況に合わせてゆっくりと時に止まったり(鎌倉のお店は予告なく早く閉まったり急に休むことが多い笑)する鎌倉と。どっちが良いかはその人それぞれの価値観によるのだろうけれど、長い冬がおわりゆっくりと冬眠から目覚めたくまが顔を水辺で洗うように(昔そういう詩を小学校で習った気がする)ゆるやかなスピードで進む鎌倉が私には合っているようだ。