生活とは生きるための活動
昨日のGW最終日、鎌倉は朝から結構な風と雨で、何をしようかと考え、普段やりたくてもやれていない台所のシンク下の掃除をすることにした。掃除をするときや引っ越しの片づけをする時には、決まってアップテンポの音楽をかけるけれど、昨日はPodcastでモデルのTAOと小野リリアンさんが環境問題や気候変動、生物多様性などに取り組む活動家の方々をゲストに呼んでお話を聞く番組を初めて聞いてみた。そしてそれがとても面白かった。特に刺さる言葉が多かったのは、パーマカルチャーの取組みをされているソーヤー海さん。
カリフォルニア大学留学中に起こった9.11と分断の話やコスタリカのジャングルでの生活(!)の話も大分興味深かったけれど、パーマカルチャーの取組みを通じて、関係性を取り戻したいということを強く言われていたのが印象的だった。資本主義のシステムの中では、自分の身の回りのものが細分化され、サービスとして販売され、お金を稼ぐために色んなものを犠牲にしている。でもそうではなくって、自分や近くの人が作ったものを食べて生活する、そうした関係性の中で暮らすことでより豊かになるのではないかと。
そして最も「持続可能な」暮らしをしている先住民族の人々が最も蔑まれている、という指摘には深く共感した。前回の奄美大島の旅でも触れたカナダ人の森林生態学者のスザンヌ・シマ―ドの「マザーツリー 森に隠された「知性」をめぐる冒険」では、森林が菌類を通じて炭素を排出し合い相互に支えあっている自然界の知性を発見する。「….私たちの絶望感の大きな原因は、私たちの互いのつながりをーそして自然界が持つ驚異的な力についての力を失ってしまったことにあり、私たち はとりわけ植物をないがしろにしている。…..重要なのは、自然そのものが持つ知性に耳を傾けることである。」そして彼女は、木を人と見なす先住民族の叡智についても触れている。
あらゆるものが金銭的価値で測られる資本主義というシステムで生きていく上では、対価を払ってでしかモノやサービスを得ることができない。そしてモノやサービスを得るために、時には大切な時間や体の健康を害してでもお金を稼がなくてはいけないという強迫観念に囚われている。インフレや年金問題、子育ての費用などなど。でも、そうじゃない生活を取り入れてみることから少しづつスタートすれば良い、と海さんは朗らかに話す。自分で育てた野菜を週に1日でも良いからサラダにしてみるとか。自分が土から知っている、水源を知っている食物を食べることで、どれほどの安心感をもたらすか。そうしたことから始めたら良いのでは、とゆるやかに提案している。自分の身体を通して大事だと思ったことをやって生きている人なのだと思う。頭ではなく。GW最後の日に、海さんの正しい言葉を聞けて、雨の日の掃除も悪くないなぁと思ったりしたのでした。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?