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あれから30年 ルミナリエに向かう意味

ひつじ先生いいくぼです。

独立開業から2年目より
災害支援活動を本格的に始め
気づけば結構な年数になっています。

災害支援への気持ちが動き始めたのは
1995年1月。
そう、阪神淡路大震災からなのです。
その日、私はアメリカのロサンゼルスにいました。
ロサンゼルスも
前年に大きな地震があった場所のため
観光ガイドの皆さん
その当時のことと
それからの街の復活までを話してくれました。

帰国してわずかですが
被災現地に向けて寄付を続けていました。
そして
私は被災地を助けている自分は
良いことをしていると信じていました。

そんな中、
頭をハンマーで殴られるような衝撃がありました。
田中康夫さんが原チャリで
被災エリアの御用聞を続けていたのです。
このときに
自分自身の中にある「平和ボケ」を
痛感させられました。
でも
何ができるか、が私には見えていませんでした。

そして2011年の東日本大震災。
当時、全国区の活動がある環境での
会社員であったため
リモートではありますが
東北地方の拠点への行動もしていました。
教育産業のため
重要なのはお客様の安全。
そして、従業員の安全。
当然ながら状況を見ながら
安全確保が確実となるまで
活動が難しい日々が続いていました。
幸いなことに3月のこと。
受験のピークが過ぎてからであったことは
業界としては、不幸中の幸いでした。
とはいえ、
他業種より大量に押し寄せる求職者の波。
私たちは生き残れた業種。
でも、
彼らは生き残れなかった業種の被害者。
災害による被害って
直接的な被害だけではないことを
雇用という面で痛いほどに感じました。

自分の看板で生きていけない人は
被災時に自力で生き残ることができない

とこの時に深く感じ入り
ここから私の勉強会・イベントに
参加しまくり生活が始まります。

学びを広げるにつけ
自分がやりたいと思うことが
今の環境では
難しいと突きつけられる日々。

そして
意を決したところで
勉強会仲間のご縁で
ほとんど未経験にも関わらず
資産コンサルティングの仕事に就きます。

で、
自分の中で激動の波が
うねりまくっている中での熊本地震。
ここから本格的にチャリティの活動を始めます。

そして、
独立開業から少しして
サクラウーマンプロジェクトという
女性の活躍支援と
被災地への金銭的支援・教育支援を開始します。

ありがたいことに
個人的に防災、減災に向けての
ご相談が多くなり、
さらに本業の
多くが自動化されているため
今、私が忙しくしているものの
ほとんどがここになります。

ファイナンシャルプランナーとしての
仕事から外れているように
思われることも多いのですが
防災対策は資産防衛の第一歩であり
豊かな人生設計では外せません。
また
自然災害への知識と情報へのアンテナは
投資判断にも大変に役立ちます。
ですから、
全く本業から外れた活動ではなく
本業の真ん中を通る芯のようなものです。

私の「人のために」の活動の原点は
1995年1月からなのです。

そして
1995年1月から今年で30年。
私は30年も災害のことについて
考え続け、
2016年の熊本地震から
8年以上行動を続けているのです。

この冬も
神戸ではルミナリエの灯りがともされました。

メリケンパーク有料エリアでのルミナリエ 2025.1.31撮影

日本で生きる

という選択をした以上、
災害との共存を考え、行動しなくては
なりません。

人ともに幸せを創る未来

も考えなくてはなりません。

このルミナリエの灯りは
自分が
日本で生きることの覚悟を決めた
原点に立ち返る場所。

自分の活動の
原点を確認する場所。

そして
その原点の始まりは1995年1月17日。

だから
あれから30年となる2025年1月の
ルミナリエにはどうしても行かなくては
と思ってしまったのです。

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