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小説:偏屈オタクと相対性理論コピバンの女

 アコギを手にした広川がアゴを親指に載せた井上を前に、一曲歌ってみせた。

 酸素 水素 二酸化炭素 酸素 炭素 

「え、それが歌詞?」

「うん。面白いでしょ」

「意味わかんねぇ~」

「まぁ、井上くんには理解できないよね」

 暮色のさす放課後の部室。他の部員からは”やや”距離の置かれている二人がお互いを牽制し始めた。
 
「いやいや、理解とかそんなんじゃなくて、エンタメになってないって話。自分らしか分かんない曲作って売ってんのは、ただの逆張りでしょ
 
「視野せますぎて笑う。だいたいこの曲は元ネタがあって、1970年に発表された”スイート・ジェーン”って曲を相対性理論が"独自解釈”した曲で、ロックの歴史・哲学を踏襲した曲なんですけど」

「はいはい、分かる人にしかわからない曲ね。楽屋落ちとも言うし、広義的な内輪ネタ

「はぁ~っ!ムカつく!。てか私はこの曲で人生豊かになってるし、十分エンタメなんですけど。そんな井上くんが好きな曲はさぞ高尚で、わっかりやすい音楽なんでしょうね」

「俺の好きな曲?。え~なんだろ。"迷子犬と雨のビート"かな」

「でたアジカン。いかにもアニメオタクが好きそうなバンド笑」

「えw、これがアニソンって分かる時点で広川さんもオタクでは?w」

「はぁ?、それはそのアニメのEDが”やくしまるえつこ”だったから見てただけで、別に井上くんが好きな萌え萌えのキッしょいのは見てないよ」

「はい出た質アニメだけ肯定する厄介なオタク。どうせ今敏とかAKIRA見て”これはアニメだけど芸術だから”とか言ってんだろ」

「でも実際、美少女ばっか出てくる中身の無いアニメなんて時間の無駄でしょ」

「はい馬鹿。広川さんの言う”美少女ばっかの中身無いアニメ”の筆頭的作品”あずまんが大王”はメディア芸術祭で優秀賞とってるから」

「それ言うんだったら相対性理論だってCDショップ大賞とったバンドなんだけど?」

「あー、そうなんだ」

 そんな事を話している内に、この”不毛な争い”に巻き込まれまいと部室は二人だけを残してガラ空きになっていた。

 「いま調べてみたけど、このCDショップ大賞って要はマニア受け大賞だろ?。難解であればあるほど良いみたいな歪んだ価値観の巣窟」

 「いやそれこそ井上くんの主観じゃん。コレは知識あるショップ店員達の総評なんだから、客観的だと思うんだけど」

「まぁ、それはそうだな。認めるよ。でもそれで良いんだったらさ、広川さんもメディア芸術祭を受賞した作品として”美少女アニメ”の認識を改めてよ」

「まぁ、それはそうだね。認める

 ・・・・・・・・・・・・・・・
 ・・・・・・・・・・・・・・・

 一件落着とも見えた二人の間に、煮え切らない雰囲気が漂った。
 それまで自分がアコギを抱えたまま話していた事に気がついた広川は、スタンドにそれを置くと、井上の向かい側の席に腰をおろした。

 「まぁ別に井上くんに認められたって嬉しかなんともないんだけど、それとは別に、私だけ歌って見せたってのも不公平じゃない?」

 「え?、俺は別に音楽やりに来てる訳じゃないんだけど

 二人の口論が始まった原因、それは井上の”このスタンス”である。
 別段音楽が好きではない井上は、ただのアニメオタクだった。しかしアニメ好きだからと言って”それ系”の部活に入るのは、”個性の損失”だと考えていた。
 かといって帰宅部というのも、度を越した”個性の損失”だと思っていたので、まだ辛うじて分かる音楽を選択し、けいおん部に入ったのである。
 1学年上の広川は最初、部室の隅で楽器も弾かずじっとしていた井上を心配して話しかけたのだった。しかし、話せば話すほど程意固地になる井上に対し、いつからか広川も対抗心丸出しで接する様になったのである。

 「別にアカペラでも何でも良いんだよ。なんか歌って見せてよ。どうせ楽器出来ないんだし」

 「嫌だよ。俺歌ヘタだし」

 「でもアジカン好きなんでしょ?」

 「アニメの内容を上手く汲み取ってたからな、あの曲は」

 「いや好きじゃん、それ。歌って見せてほしいな」

 「だから、ヘタくそだから嫌だって」
 
 「でもさ、ヘタだからって何もしないで屁理屈ばっか言ってんの、普通にかっこ悪いと思うけどなー

 「……」

 自覚していても改めて人に言われると傷つく言葉。というのは誰にでもある。井上は黙り込むと、背もたれにかけていた学生鞄を乱暴に肩で背負った。鞄からは何枚かプリントが飛び出してしまった。

 「逃げるの?」
 
 井上はもう、広川を見下してルサンチマンを起こす気も沸かなかった。
 いつもの事だ。広川と不毛な議論をして、最後にはこう言い負かされる。
 そろそろ退部届を出して身の丈にあった部活動でも探そう。そんな事を考えながら井上は出口に向かう。

 「NeverKnowsBest(ネバーノウズ ベスト)。なんだよ。井上くん」

 広川の問いかけに井上は背中で答える。

 「えw、よくそんな古いアニメのネタ知ってるな」
 
 「いやあのアニメはよくわからなかったけどね笑、私ピロウズ目当てで見てたし」

 「ふぅん」

 「だけどこの言葉はホントだよ。誰も最初っから自分に一番あった方法で何かを初めてる訳じゃないし、やっていく途中で見つけていく事なんじゃないかな」

 「まぁ、そうだな」
 
 「だからさ、せっかくけいおん部に入ったんだから、ヘタでもいいから聞かせてよ。井上くんの歌」

 「いや…‥‥」

 しばしの逡巡。井上が一番恐れていた”個性の損失”がもう目の前まで来ている。それを享受する道と、恥を忍んでも立ち向かう道が、Y路地になって井上の前に広がっている。
 ヘビに睨まれたカエルの様に硬直した井上は、だんだんと心臓の鼓動が早くなり、額には脂汗が滲んだ。声帯はカラカラに乾き、まともな声も出せそうになかった。

 ここまで言って駄目だったらもう関わるのはやめよう。広川はそう考えていた。自分で言うのもおこがましいと思うけど、自分が与えられる最後のチャンスを井上が受け取るかどうか、広川も多少緊張した面持ちで井上を見上げる。

 「ひ、ひ……人々は厚い雲で顔を隠して~…」

 井上は振り返り、広川の頭上の何もない空間を見つめる。


 「行き場のない 想いをずっと待って研いでいる
  
  何もない 街に埋もれても それでも 今でも」

 上ずった声が部室の天井にこだまして、広川の耳に届く。方向音痴の歌声が音程のレールを時々踏み外しながらも、懸命に走り出した。

 「連なるウィンドウに 並び立つ人形の 悪い夢
 
  それとも倉庫に隠れて塞いでいたって

  埃だけ被って見つからない    

  誰の手にだって触れられない 」

 顔真っ赤。耳までパンパンに熱くなった井上が片足でリズムを取る。広川の”獲物を見定める”様な視線に耐えきれなくなった井上は両目を瞑った。

 「僕たちの現在を
 
  繰り返すことだらけでも そう
 
  いつか君と出会おう

  そんな日を思って 日々を行こう  」

 ………、井上は目を閉じたまま、拳を強く握りながら、今にも逃げ出したくなる気持ちをなんとか抑え込んだ。
 お互い黙り込んでいると、今まで聞こえてこなかった吹奏楽部の練習や、グラウンドを走るサッカー部の喧騒が室内を満たした。退屈な授業で時計の針を見つめているだけの様な時間がしばし続く。
 
 パチパチパチ…

 先に静寂を破ったのは広川のやる気ない拍手だった。

 「正直、笑いを堪えるので精一杯だった笑」

 「…っな、なんだよ…チクショウ、もう二度とやらねぇ」

 「アハハ、でもいい曲だったよ。井上くんはこーゆーのが好きなんだね」

 「そうだよ。もう帰っていいか?」

 「うん。いいよいいよ。車に気をつけてね~」

 「…」

 井上は部室を出て足早に校門まで行くと、先程まで自分の居た部室のある棟を見上げた。
 別段何が変わった訳でもないし、俺は歌が下手なままだし、明日も同じ時間に広川はいるのだろうな。それだけを思うと井上はバスの停留所に向かってあるき出した。

 一人きりの部室で片付けを終えた広川は、下手くそな井上の歌を思い出しては笑っていた。
 あんだけ理屈こねくり回しても実力はあんなもんか…笑

 「あーあ、元の曲がどんなんだったか忘れちゃったよ。」
 
 帰りにあの曲の入ったCDでもレンタルしていこうかな…。


 
 誰も居なくなった部室のゴミ箱には、クシャクシャに丸まった退部届が捨てられていた。

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