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『授業の余白』で頭がグルグルした話

ぼく、めがね旦那さん好きなんですよね。(唐突に何w)

先日、前著『それでも僕は評価に異議を唱えたい』についての読書会の参加者をTwitterで募ったんです。
そしたら、めがね旦那さんが「参加させてください!」と仰ってくださって。
早朝6時からzoomで参加者2人の読書会ですよ?
そこに参加してくださったのです。
なんかその人間性に惹かれて、それ以来ファンなのです。

さて、そんなめがね旦那さんの新著『授業の余白』が4/28に発売されました~!パチパチパチ

本全体の感想としては、僕が好きな先生が言っていることだったり、過去に読んだ本と重なる部分があったりして、薄い本なのにかなり読みごたえがありました。この本をもとに、自分や周りの先生と対話をすることで、授業観がアップデートされること間違いなしの1冊です。

まえがきにある、

これから一緒に授業について考えていきましょう。思いついたことを、脈絡なく書き連ねていきます。その一部がみなさんの心にフックとして引っかかってくれれば幸いです。

この「一緒に考えていきましょう」という語りかけがなんかいいんですよね。

めがね旦那さんの授業論が、私の心にフックをかけてくれる部分が多数あったので、今回はその一部を有難く書かせていただきます。
※以下は、自分と対話するイメージで考えていくので、読みづらい部分ばかりかと思います。すっ飛ばしていただいてもかまいません。

ではいきましょう!
私がもっとも引っかかった部分それは、

学びには即興性が大切です。すべてを予知できるような、自分のモノサシで測れてしまうようなことを再現しても仕方がないのです。むしろ、自分の枠の外側にいくためには、見通しなんていう殻の内側にいたらダメなのです。(p101)

授業は常に「想定外の連続」なんです。だから、「即興性」こそが授業づくりにおける、最も大切な資質だと思っています。(p155)

「即興」という言葉にあまりいいイメージがないからでしょうか。
私は「即興」で何かをして、失敗した経験が多いからでしょうか。
この「即興」という言葉を掘り下げる必要がありそうです。

ここで思い浮かんできた問いは、
「計画したことの再現ではなく即興が大事なのはわかるけれど、それができるのは、深い理解に基づいているからじゃないかなあ。」ってこと。

これは推測にはなりますが、めがねさんは学習指導要領をむちゃくちゃ読み込んでいるはずなんですよね。過去のツイートからもそのことが伺えました。

(ツイート内検索するなんて変態…)って思われたら嫌なのでこの辺にしておきます。
前回の評価本を出す際にも、評価に関する本を大量に読んだとどこかで見聞きした記憶があります。(間違いだったらごめんなさい)

そう、だから、めがね旦那さんは授業や単元内における指導事項や教科の本質がかなりしみ込んでいるはずなんです。
子どもたちとの想定外が起こりうるコミュニケーションを楽しみつつも、(無意識的に?)本質を押さえた授業になっているんじゃないかと考えました。本書の中でエピソードとして述べられていた「サーカスのライオン」での「即興」はまさにそれかなと。

その背景知識をすっ飛ばして、教科の本質理解が浅い僕が「想定外を楽しもう!子どもたちとのどんなやり取りが起きるだろうな!」と真似すると、教師も子どもも彷徨う(新しい発見が生まれない)状態になるんじゃないかなぁと。

イメージとしてはこんな感じかなあ。

それすらも楽しむってことなのかな・・・?

ここまでで3時間も経過していました。言語化するって難しいけれど面白いですね。
ちょっと脳が疲れてきたので今回は第1弾として締めにいきます。

この本はTwitter上でも話題になるだろうし、めがね旦那さんはまたどこかで「即興性」について語ってくださる気がします。
現時点での僕の「即興性」のイメージを記して今回は終わりにします。

即興性を大事にするとは、

準備や想定はする。頭に入れておく。しかし授業が始まったら、準備してきたものを手放し、目の前の子どもたちとのコミュニケーションを、そこから生まれる想定外の学びを、一緒に面白がること。

引き続き考えていきたいです。


最後に、今回の話題とかなり似たことをイモニイ(井本晴久さん)が過去に語っていたので紹介させていただきます。


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