見出し画像

【父親考察#1】永遠の末っ子長男な父親

いつまで続くかわからないが、子から見た父親の考察を記す。

前提

そもそも我が家は機能不全家族で、家庭が崩壊しているが
その起因となったのは間違いなく父親だ。
以下、家庭崩壊に至った経緯を時系列で示す。

~以下経緯~
①両親、結婚を機に神戸に転勤する
②私誕生(0歳)
③父「親孝行がしたい」という希望で神奈川県の実家で両親との同居がスタート(3歳)
④嫁姑バトルスタート
⑤父、逃げるように母に無断で単身赴任をスタート
⑥母、子ども2人の子育て+と祖父母の介護に追われる
⑦母、ストレスから子どもたちに暴言+暴力を振るうようになる(4歳)
⑧同居開始から4年後、一番の問題だった祖母が死去(7歳)
⑨父、母に無断で勝手に会社を辞め神奈川の実家に帰ってくる(8歳)
⑩単身赴任中の諸々と仕事を辞めたことを巡り両親が毎日喧嘩。結果、「両親が仲がいいのが一番」ということで子どもを無視し毎晩性行為に励むようになる
⑪もともと危うかった姉の精神が壊れ、妹(私)に暴言+暴力を振るうようになる
⑫両親、姉にも妹にも何も対処せずスルー
⑬完璧に家庭が崩壊する(9歳)

見て分かる通り、まず父親が嫁姑バトルから逃げなければ、母親もあそこまで爆発することはなかったのだ。
そもそも自分の意思で実家帰ったんだから、実家にいろよ、と。
あと、父親が自ら希望を出して単身赴任になったのは、義母の死後、
数年経ってからだが、なぜそんなことを告白したのか甚だ不明である。
父親にはこういう、言わなきゃよかったのに言ってしまうことが多々ある。
その上で「俺は正直に言った!受け入れろ!」と逆切れするのだ。

永遠の末っ子長男

父は、姉二人の下に末っ子として生まれた。
父が生まれた時代は戦後間もないときで、時代的に今よりも長兄が喜ばれた時代だ。
父も、姉二人にくらべ、明らかに優遇され育ち、それを「俺は姉貴より愛されている。」と自慢にしていた。(じゃあ介護してあげろよ、とムスメは思う。)

その優遇っぷりはというと、夕飯に、姉たちは魚なのに自分は肉だ。といったもので
さぞ姉たちは複雑な気持ちであっただろう。
しかしそんな父にも、影を差す存在がある。
それは生まれて間もなく亡くなった、兄だ。
義母(私にとっては祖母だが、祖母より義母のほうがしっくりくるので義母で行かせていただきます。)は、幼い父に向かってこう言ったそうだ。

「アンタなんかより、死んだ○○のほうが可愛かったんだから!」

・・・なんかうちの家系って言わなくていいことばっかり言うよなぁ~。

もちろん父は深く傷付き、私の考察では父の自己愛傾向は
この歪な愛情形成が背景にあると睨んでいる。

自己愛傾向が強い

父は自己愛が強い。
ネットで「自己愛性人格障害」と検索して、出てきた条件のほぼすべてが父に当てはまる。
ただ注意したいのが私は父を「自己愛性人格障害」とは思わないことだ。
「自己愛傾向が強い」と「自己愛性人格障害」には、かなりの隔たりがあると個人的に思う。

父は自己愛傾向はかなり強めだが、いちいち他者と大喧嘩するわけではない・・・とここまで書いて思ったが、いちいち他者と喧嘩していた。
会社だって、上司と揉めて辞めた。

「自己愛性人格障害」とは姉のように、どう考えても否定じゃない言葉を否定と捉え、場所を選ばず怒り叫ぶことだと思ったが
姉は姉で別の何かな気がしてきた・・・
(私はこんなモンスターとともに幼少期を過ごしていたのか?!)

まぁいいや。
父は自己愛傾向が強めだ。
・間違いを認めない。
・謝らない。
・人の意見を聞かない。
・他人を認めない。
・子どもの手柄は全部俺の遺伝のおかげ!
・容姿に自信がある。
・・・とまあ色々だが、こうなった理由は2つあると思っている。

それは
①もともとの気質
②母親の偏った愛情

①については、文字通りなので特筆することはない。
ちなみに私にも自己愛傾向は見受けられるので、父も本来の気質で自己愛と考えるのは自然だ。

次に②だが、これは先に語った母親の優遇と冷たい言葉の合算だろう。

「俺は母親に愛されている。」
「姉貴より俺が大事なんだ。」
といった優越感と
「俺より死んだ兄貴のほうが可愛いかったんだ。」
という劣等感。

これがうまくバランスが取れず(あるいはバランスを取った結果)
ああいった自己愛人間が生まれたと私は考察している。

いまだに残る幼児的欲求

私が父に一番思うのは「子どもだなあ」ということなのだが
実は父はかなりの晩婚で、私は今29歳なのだが、おそらく父は80代だ。
(おそらくというのは、私が親の年齢を把握していないため)
そんなもうおじいちゃんの父だが、母に対していつまでも
「俺を見て!俺の話を聞いて!俺を優先して!」という欲求が溢れている。
大学時代なんかは、バイトで毎晩は家にいない私に対し、たまにバイトがない日なんかは母は私の好物を作ろうとするのだが
それに対し機嫌を損ね、ひどいときは怒りを露わにした。
その様は、兄弟の誕生日に対して主役ではない子どもが拗ねる態度を彷彿とさせる。

おそらくだが、幼少期に母親にいっぱい甘えられなかったので
今でも幼児的な甘えの感性が残っているのだろう。
(義母は夕飯の材料こそ差別したが、ヒステリー気質なので心的な愛情表現は無かったと思われる)

まとめ

今回思ったのは、子ども時代に満たされなかった思いは
大人になっても解消されない、ということだ。
また、幼児的欲求が叶えられなかった子どもは
大人や「親」になることが難しいということだ。

これから母親考察や姉考察へと続くと思うが、この
「幼児的欲求が満たされないと大人になれない」は共通事項だと思われる。

また私も、”子どもではいられなかった子ども”なので、意識的に自分で幼児的欲求を満たす必要があると感じている。
(まあ私の場合は家の外で存分に子どもをしていたので、両親ほど深刻ではないと思っているが。)

とりあえず、眠くなってきたのでこの辺にするぞ。

今日は進撃の一期を見まくってしまい何もしてなかったが、なんとか取り返したか?

ま、いいや。

以上。

デストロイ拷堕

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?