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初めて走ったサーキットはいずこに

父は板橋区の大谷口で生まれ育ち、自動車鈑金塗装工として働き始めます。あまり昔話をするタイプではなかったのですが、オートバイ好きで、中学のときにのちの某有名レーシングドライバーと知己を得て、その方も所属していた城北ライダースと関わりを持っていたようです。城北ライダースはバイクのレーシングチームですが、そこから多くのプロフェッショナルドライバーが生まれました。

父自体はレースはしませんでしたが、興味は大いにあったようで、私は3歳で1969年日本グランプリの観戦につれていかれ、どうやらそのときに自動車レースの魅力を刷り込まれてしまったようです。12歳になるとオートスポーツやオートテクニックを読み始めます。当時はブームと呼ばれるほどレーシングカートが流行っていた時期で、私もそれに乗りたくてしかたなくなり父に相談(お願い)をします。

当時、自営業として工場をはじめたばかりの父にはなかなか厳しかったのではないかと思いますが、「じゃあ、いってみるか」と意外とあっさりOKが出ました。私は当時のオートスポーツ誌からカートライセンス講習会を探すと、東京周辺では埼玉県の日高サーキットというところでやっているのが分かりました。トップのサーキットの図はオートスポーツ1978年1月15日号から転載したものです。

埼玉・日高サーキットが初の走行体験でした。


白赤の点線のあたりが日高サーキットがあったところ。アップでみても遺構?はわかりません。

ということで、父のクルマに乗せられ関越道の鶴ヶ島ICからほどなくのサーキットまで連れて行ってもらいます。残念ながら当日はウエットでした。講習会をおそらく最年少で受講し、待望のカートに乗ります。遠心クラッチのヤマハKT100?だったと思いますが、入門用とはいえ本格的なものでした。路面からステアリングにダイレクトに入る振動で、手のしびれがしばらく残っていたのが気持ち良かったのを覚えています。

その当時カーラジオから流れていた「勝手にシンドバッド」や「みずいろの雨」を聞くと当時の気持ちが蘇ってくるのは不思議なものです。


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