飯島 秀明

川崎市に生まれ、大学卒業後、北海道の報道機関に勤務し、道内各地で勤務。札幌市在住。

飯島 秀明

川崎市に生まれ、大学卒業後、北海道の報道機関に勤務し、道内各地で勤務。札幌市在住。

最近の記事

沖縄の基地負担と憲法9条に関するT.T.氏の見解(2023/05/24)

東西対立が厳しさを増す中、日本の占領終了後、憲法9条の制約の下、いかにして日本の安全を確保するか。昭和天皇は米軍が引き続き沖縄を占領することで、日本の安全保障にコミットしてもらうよう、側近を通じ伝えた(1947年)。国民の目があるので、主権はあくまで日本に残し、長期租借という見せかけを整え、強制されたものでないように見せるため、形式も、連合国との講和条約でなく日米の2国間条約とするよう提案した。     また、マッカーサーも、日本の再軍備を考える本国に対し、沖縄に十分な空軍力

    • 「戦争と平和」 市民の記録⑯ 壁あつき部屋―巣鴨BC級戦犯の人生記

      勝者による裁きだと言われる第二次世界大戦後の戦犯裁判。「ずさんな調査で多くの日本兵が命を奪われた」としばしば言われるが、この本を読むと、正しくは「調査がずさんなため、裁かれるべき命令側の上官が責任を免れ、命令された側の部下が責任を問われて命を奪われた」と言うべきではないか、と思わざるを得ない。無謀な作戦の失敗に関する責任も、捕虜の虐待や殺害に関する命令の責任も取らず、部下に責任転嫁して恥じない「天皇の軍隊」の将校たち、その体質はどこから来ているのか。<以下本文から引用> ど

      • 菅原幸助著「現代のアイヌ」より

        1962年から66年まで、朝日新聞記者として道内のアイヌやギリヤークを取材した菅原幸助さんという方が68年に出版した「現代のアイヌ」から、印象に残った部分の引用。個人に対する具体的な差別事例については、読んでつらい記憶を思い出す人もいるかと思い、割愛しました。見出しは引用者によるものです。 <劣等民族なのか> アイヌ系の学童は知能、学力の点で全国の標準より劣っているのだろうか。〇〇先生はこれを調査するために過去五年間の資料を集めた。学力テストをくりかえした結果では--和人

        • 日本の植民地支配に関する私的メモ

          清の状況を横目に、欧米の植民地になるまい、との思いで進めた徳川幕府からの権力奪取と富国強兵路線。弱肉強食を当然視し、一定の防衛体制が整うと今度は隣国を植民地に。 わが国より強い、と見た西欧にはへいこらし、与しやすいと見たアジアには居丈高に当たる。「脱亜入欧」体質は戦前も戦後もなにも変わっていないのでは。

          日本国憲法に関する私的メモ

          軍。中国大陸では政治の判断を無視して戦線を拡大し、沖縄では「民より国、民より軍」という体質を露わにしてガマから住民を追い出した。   そうした歴史的体験があったから、GHQが他国にはない戦力不保持の憲法案を示しても、日本人は抵抗せずに受け入れたのだろう。   だが、「時に暴走する国軍という存在」を否定する一方で、自国を守るために国軍どころか他国の軍隊を引き入れ、しかもその他国の軍隊の拠点を、地域の意向を無視しして首都から遠い地方に集中させているのが日本の現状。それが憲法9条か

          日本国憲法に関する私的メモ

          9条=幣原発案説について 中公新書「幣原喜重郎」(2012年4月25日発行)より

          (1945年)10月11日、幣原はマッカーサーを訪問した。マッカーサーにとっては不満の残る会見だった。なぜなら、幣原が憲法改正問題を議論の俎上にのせなかったからである。 組閣当日の10月9日 幣原は木戸と憲法改正問題について意見を交わしている。その時幣原は、憲法改正にきわめて後ろ向きだった。 幣原には、帝国憲法の「運用次第にて目的を達す」という認識があった。 (近衛による憲法改正作業の情報を聞いても)それでも幣原は、内閣主導で憲法改正事業に当たることに消極的だった。 (1

          9条=幣原発案説について 中公新書「幣原喜重郎」(2012年4月25日発行)より