在独18年の私が書くドイツの嫌いなところ
愛想が無い、デリカシーが無い、チンチャンチョン発言、公共交通機関があてにならないetc。感情を動かされるととにかく疲れるので「セルフ麻痺」でやり過ごすことになっています。もちろん、内心、平気ではないです。傷つくしムカつくし、その日の夜は酒飲んだりしてますよ。ええ、だってムカつくもの。
冬が長いとか、食べ物が美味しくないとかは仕方ないので。もういいんです。
最終形態、本質的なところに気付いてしまった。それは「なぜここの人達はこういう行動をするの?どういう思考で?」の問に対する答でもある。それはずばり「正しい私達が大好き」ということ。
この10年間でよーくわかりました。遡ると、2015年から違和感を感じて、2020年からのコロナ政策でよりはっきりと可視化されましたね。
現在2024年10月ですが、化けの皮が剥がれて面白いです。グリーンウォッシュというのかな。脱炭素とか多様性とか人権とか。
なんか政治家筆頭に専門家とか有名人がテレビで綺麗事を言って、文化の違う他国にまで首突っ込んで正義の審判気取りして。第二次大戦での罪を反省して、忘れないように繰り返さないようにってそれはわかるんですが、無垢な子供にまで刷り込んでさ。まあ色々はしょりますが、なるほど、要するにエスタブ層とか投資家の為のものねって。
国民も偽善・直情脳というか。ここまでぼろぼろになって、今こそ国民の生活を守る政党を選ばなきゃいけないのに、メディア戦略にほいほい乗せられて。ナチ呼ばわりされたくない、極右(この呼称にも疑問符が浮かびますが)を勝たせたくない、その為に団結しよう!って人達。一度感情的になったら突っ走って、正しいアタシに酔って涙して。それでなにか社会を守ったみたいな?バカじゃないかと。
おじいちゃんやおばあちゃんが年金で老後を楽しむことが出来る、そういう政治をしてくれればいいだけでしょうに。某政党の主張は、「納税しない上に犯罪まで起こす外国人はドイツで面倒見ないよ」ってだけだよね。めちゃくちゃ普通のことだと思うんですが。
あとから「あの時のあれは間違いだった」とわかっても、「知らなかった。私は従っただけ。私は悪くない」と言うんだろうよ。ね。