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【新聞記事】[検証 スポーツ賭博]<2>際限ない刺激、依存招く
男性はさらに刺激を求め、1回30秒ほどで勝敗が決するオンラインカジノの「ルーレット」に手を出した。スマホを手放せなくなり、食事、入浴、勤務中にも賭けを繰り返した。
貯金が底をつき、妻にばれた。やめると誓ったが、それでも衝動を抑えられない。妻はクレジットカードをポーチに隠したが、3桁のダイヤル式の鍵を解錠して持ち出した。妻のブランド品のバッグも勝手に売って賭け金に換えた。
「このままではまずい」と今年5月に自ら支援団体に駆け込み、賭けをやめた。消費者金融などからの借金が1200万円に膨らんでおり、自宅マンションを売りに出し、子どもの学資保険も解約した。
自分はそんなへまはしない。
記事の例を読んで思う。
依存症への危惧は、限定的なものに留まるから、それほど心配ないのではないのか。
そもそも、賭博は違法と言うけど、競馬、競輪、競艇は合法だし、宝くじもギャンブルの一種だ。
なのに、どうして今更、スポーツ賭博に限って、新聞は大反対の論調なのか?
大衆に浸透しているプロ野球を例に自分のケースで考えてみる。
馴染みのチームの勝敗は、毎日気になる。
「今日は相手が調子のよいチームだから、勝てないだろう」とか
「今日はこのピッチャーが登板だから勝てそう」とか
いつも考えている。
テレビで観戦している時には、次のバッターに期待しようとか
頑張ってほしい気持ちも込めて掛けてみようと思うかもしれない。
スポーツの勝敗は感情が乗っかる。感情が乗っかった状態で賭博をすると、強い依存症に陥るのではないかと思った。
一度手を染めて、初めに勝ってしまうと、快感になって抜けられなくなるのかもしれない。
もし、賭博を行う人の割合が増えていくとどうなるか。
借金から生活苦を強いられ、犯罪に手を染めることにもなりかねない。
安全は、日本が世界に誇る財産だ。
記事の締めくくりに
東京都立大の星周一郎教授(刑事法)は「スポーツ賭博を解禁するには、賭博を許容するほどの公益目的と、社会的な合意の両方が欠かせない。・・・」
公益目的と社会的な合意が必要なのはうなずける。
2日前の記事を読んで、スポーツ賭博、財源確保のための選択肢の一つだと
考えていた。
今日の記事で少し堀さげて考えると、財源確保以上のリスクが大きいなと思った。
そうなると、政府が進めているカジノ構想はどうなのかとも思い始めてしまう。