「余裕」とは何か
私が所属する株式会社コンセントでは、「ひらくデザインリサーチ」という活動に取り組んでいます。この活動は、リサーチ・スルー・デザインを実践し、生活者の視点から課題を掘り起こし、問いを立ち上げ、社会に対して提示することを目的としています。
現在、16名のメンバーが参加し、3つのテーマ「土着的コ・デザイン」「普段づかいの創造性」「加速社会における余裕」を探求しています。
「リサーチ・スルー・デザイン(Research through Design)」は、製品やサービスの最適化を目指す「デザインのためのリサーチ」ではなく、答えのない課題に対して、デザインというつくる行為を通して探索し、新たな知を創出する、対象に対する理解を深めていく活動です。
なんか、いつも、余裕がない…
仕事はそれなりに忙しい。でも、余暇がないわけではない。なぜこんなにも余裕がないと感じているのか?「余裕」とは、一体なんなんだ。そんな課題感と関心が、リサーチの始まりです。
まず、「余裕」についての解像度を上げるため、自分たちが日常生活の中で、「可能な限り効率的かつ有効的に時間を使おうとしている行動」や、反対に「無駄な時間だと感じている行動」を洗い出すセルフ調査しました。
調査の結果、問題は時間、金銭、精神的なリソースが不足していることではなく、むしろリソースが余っている状況を受け入れられず、「何かをしなければならない」と自分に課題を課してしまう。その結果、リソースを無駄にしてしまうことに後ろめたさを感じていることが問題でした。
さらに、「何かしなければ」と考えることに疲れを感じながらも、タイパを求め、無益な断片的活動によって自分自身を多忙に追いやることで、悪循環におちいっていると分析しました。
「やりたいことがないから、やらない」という選択肢がなく、こうした悪循環におちいることで、余裕がますますなくなり、時間を無駄にしてしまうことを許容できなくなる。「余裕がない」とは、予期しないことを受け入れることができない状態だと言えます。
では、自己搾取や自己への過集中、過度なタイパ意識から逃れるためには、何が必要なのか?
求められる「余裕する力」
「余裕がある」「余裕をつくる」というリソースが足りないという話ではなく、「余裕する力」がないことが問題なのではないか?生活の中で、余ったリソースを使う能力がないことが、「余裕のなさ」の問題点だと捉え直しました。
そこで、「余裕する力」を「予期しないこと」を受け入れることができる能力と定義しました。
この「予期しないこと」について、三宅香帆(2024)「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」より、「偶然性に満ちたノイズ」という表現を知りました。
「余裕する力」を育むためには、日常の中に偶然性に満ちたノイズを取り込んでいく必要があります。しかし、偶然性を自らつくることはできません。そこで、強制的に「余裕する」ことで、余裕が生まれるのではないか?と考え、取り組んだのが「あっ」というフィールドワークでした。
「余裕する力」に必要な3要素
私たちは、普段いかに周りを見ないで過ごしているのか。
フィールドワークを通じて、自分の外に目を向ける難しさを感じました。しかし、強制的に外に目を向ける活動をしたことで、「余裕する力」に必要な3要素を整理することができました。
①余暇を「偶然性に満ちたノイズ」に割く姿勢
余裕する力のある人は、意識せずともノイズを日常の中に生み出せます。
フィールドワークでは、周りを見るきっかけをつくり、強制的に風景にノイズをつくり出すことができました。
②自分の環世界を拡張する他者の存在
余裕する力のある人は、自分の環世界をすでに広げており、そこからリッチなノイズを得られます。
フィールドワークでは、他者の存在によって自分の気づきの外に出ることができました。
③リッチなノイズを読み出す文化資本
余裕する力のある人は、考現学であれ、スポーツ選手の名前であれ、自分の好みのノイズに沿った読み取りの体系を構築できます。フィールドワークでは、色々なノイズに触れ、自分の好みのノイズの方向性をメタに認識することができました。
ポジティブに彷徨うことができる社会へ
「余裕する力」を育むためには、「偶然性に満ちたノイズ」をいかに生み出すかが重要です。今回は、強制的な観察行為と他者の存在を用いて偶然性を確保しましたが、日常生活の中で「偶然性に満ちたノイズ」を増やす機会をデザインすることが求められていると考えます。
現代社会において、日常に予期しないこと(ノイズ)を取り入れ、彷徨うことができる価値が高まっているのではないでしょうか。
今後もリサーチ・スルー・デザインを通じて探索を続けていきます。
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