顔の傷は生きた証
そういえば、と思う。これは時々思い出すことなのだけど、わたしの顔には傷がある。右頬の下部分、限りなく顎に近い皮膚に縫い傷がある。
ピッカピカの小学一年生だった頃、七歳。同じクラスであった友達と雑木林で鬼ごっこをしていた時に転んだ。地面には傾斜があり、足元が不安定だったのだ。転んだ先には小さな細枝が地面から突き出ており、ジャストミート、見事にわたしの右頬を貫いた。
痛みは全くなかったものの、顔の一部分に大きな違和感があった。恐る恐る指で違和感を触ってみる。ところがどっこい、あれよあれよと指は奥へと突き進んだ。そう、少年の顔には大きな穴が空いていたのです。瞬時に状況を理解してパニックに陥る。泣いた、兎にも角にも泣くことしかできなかった。異常に気づいた友達がわたしの元へ駆け寄ってきた。一瞥、わたしの顔を見た瞬間、大声を上げながら友達は走り去った。そりゃあそうだ、わたしは血塗れ、顔には大きな穴が空いている。リアルで見るその光景は、その辺のスプラッター映画よりも恐ろしかっただろう。
それでも当時の少年は悲しかった、「え、マジか」といった具合である。しかし、友達が走り去ってくれたおかげで(?)、わたしはふと我に帰ることができた。引き続き涙は止まらず血が溢れてばかりいるけれど、「とりあえず帰らなあかん」と若干の落ち着きを獲得した。幸い、事故現場は家から徒歩10分ほどの距離であった。「こんなもん誰かに見られたらあかん」と友達の恐れ慄く表情を思い出しながら、Tシャツで患部を押さえながら家を目指した。
当時のわたしを褒めてあげたい。Tシャツで露出した患部を押さえることによって、細菌感染を防げたのではないかと思う(既に土だらけの指を突っ込んではいるのだけど)。幸か不幸か、その日着ていたTシャツは飾り気の無い純白、みるみる内に赤く染まる白色がとても綺麗だった。この出来事が後にわたしの感性を大きく変えることになったのかもしれない。
「おかあさーん」泣きながら帰宅すると、「どうしたん、また泣かされたのん?」キッチンから母の声が聞こえた。「どうしよ、どうしよう」泣きじゃくるわたしを呆れた顔で一瞥した母親、瞬時に血の気が引く光景を忘れられない。「ぎゃーー!!」母が叫んだ、呼応するようにわたしの泣きじゃくりにも拍車がかかる。救急車を要請する母親、家中を右往左往する母親、そんな母を横目にわたしは、テレビから流れるおじゃる丸をみていた。家に到着して親子二人で阿鼻叫喚したその後、少年は随分と落ち着きを取り戻していた。「行くよ!」と声をかけられ、「まだ途中なのに…」と心の中で呟き、促されるまま靴を履いた。
結局、救急車を待つよりも車で向かった方が早いとのことで、当時同居していた祖父ちゃんの運転で病院へ到着。そこからはテンポ良く、流れるように手術、麻酔、気がついた時には全てが終わっていて、患部に当たられたガーゼの感触が気持ち悪かった。しばらくの間は毎日通院、一ヶ月もすれば抜糸、特に大きな問題もなく完治となった。
人生経験七年の少年にとっては大きな経験だった。顔には大きな傷が残り、しばらくの間はそれがコンプレックスだった。会う人会う人から「それどうしたの?」と質問され続け、その度に返答することに対して辟易していた。あぁ、もう俺はモテないんだなぁ。と何となく思い込み、学年のカッコイイお顔の持ち主を眺めながら、頬を撫でる日々であった。
少年の思い込みは杞憂に終わった。同年のバレンタインデーにチョコレートをいただいたことで、徐々に自信を取り戻していった。顔に大きな傷がある自分を好きだと言ってくれる女の子がいる。いかなる傷もその程度のものなのだ。給食を食べる速度だけが取り柄だったわたしのどこを好きになってくれたのかわからないけど、今でも彼女には本当に感謝している。
それから二十年以上が経過した現在でもクッキリ傷跡は残っていて、今でも質問されることがある。学生の頃は初対面で聞かれることが多かったけど、大人になってからは知り合ってしばらく経ってから聞かれるようになった。「ちょっと聞いていいことかわからないんだけど…」と前置きしてくれる方は、優しい人が多い。今とっては「穴が開いちゃってさー」と説明すること、案外楽しかったりする。
毎日鏡を見ているのに、そこに傷があることを忘れるなんて、人間って結構テキトーな生き物で、それと同時に"慣れ"の威力を痛感している。思春期の頃は形成手術を受けようか、とか考えていたけど、今となっては良き思い出である。別にこの傷があろうがなかろうが、わたしが私であることに変わりはないのだ。傷を褒められたこともなければ、気持ち悪いと言われたこともない。仮にそれを見た相手が何かを思っていたとしても、わたしには何ら関係のないことだ。これは後になって母から聞いたことなんだけど、もう少し刺さった場所がズレていたら、死んでいたことも有り得たらしい。額に刺されば死、眼球に刺されば片目を失っていた。人間としての機能に全く差し支えない頬に刺さったことは不幸中の幸いであった。
辛い時には「あの時死んでいればよかったんじゃないの」と思うのだけど、生き延びたことにも意味があったのかもしれない。あれから出会った色んな人のこと、好きだと言ってくれた女の子のこと、今日を生きるわたしのこと。たくさんの表情を思い浮かべながら、あの時触れた頬の中身の感触を、指先の上で思い出している。
了
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