私たちは生きているだけで誰かを傷つけているかもしれないという可能性について
少し変な話をしよう。
私は時折街を歩いていて、
友人に似ている人、
また友人の昔の姿(髪を切る前であったり、高校の時、小学校の時の姿)に見える人、
想像の中の友人のもっと大人になった姿(ベビーカーを押していたり、お年寄りであったり、スーツを着こなしている姿)に見える人を見かけると、
少ししんどくなる。
「その時こういうふうなことを考えていたのか」とか、「あの人は昔からそうだったのかな」
とか、「彼女はこういうふうな人生を歩むのかな」とか、伝わる人は少ないと思うが確かにそう感じるのだ。
もう少し細かく話すと、
例えば目の前のベビーカーを押したお母さんが、Aさんの大人になった姿に見えた時、私が考えるのは、
「今のAさんはこんな感じだけど、こんな感じの男性を見つけて結婚して子供を産んで、それでもたまに学生の時を思い出して楽しかったなって思いながらも幸せに暮らすのかな」とか、
目の前の中学生がBくんの昔の姿に見えた時は、
「Bくんは昔からこんな感じなんだな、行動力があって、少し無鉄砲だけど、でも少し自分より大人びていていつも数歩先を歩いているような。
自分が中学生の時はこんな風に動けなかったな。」
とか。
頭の中で少し暗い想像をかんがえてしまうのだ。
そして少し胸がピリリと痛むのだ
そうして自分が傷つく時、
自分もまた誰か、同じ考えを持つ誰かの、
誰かの思い出に重なっていて、
誰かの胸をピリリと痛めつけているのかと考えると、
少しだけホッとするのだ。
誰かの姿と重なっている。
誰かの常識の中で普通の姿をしている。
自分は1人じゃない。
そんなことを感じてホッとするのだ。
こんな、こんなわけのわからない感覚を、
誰が共感してくれるだろうか。
きっと歌や漫画を作るアーティストの中にきっと1人はこう言う人はいると思う。
そういう希望も考えるが、
今まで周りの人間から同じ話を一度も聞いたことがないから当社比でも自分だけのように感じる。
先日、こう言う感じの話を友人達に話そうとすると、
「またこう言う話始まった。」
「サッと聞いてサッと終わらせよう」
と、言われてしまった。
ああ、すまない。私はこう言う人間なのだ。
許しておくれ。できる限り関わらないようにさせるから。心の中の彼には。
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