他人が怖い
とある出来事により、僕は不信となってしまった。
通り過ぎる人、僕と一言を交わす店員さん、清掃の人、誰もが僕に怒りの感情や、嫌悪の感情、総じて負の感情を抱いているのではないかと勘繰ってしまうようになってしまいました。
トイレに行き、清掃員さんがいる。僕は清掃員さんを横目に用を足すが、清掃員さんは、今掃除したばっかりだろう、汚すな、私がいなくなってからどうぞ便器を汚せばいい、しかし私が掃除した直後の便器を汚すなんて「なんて非常識で醜悪な餓鬼なんだ。」と思っていそうという憂慮で僕は恐怖で震え上がってしまう。
通りすがる人も、僕は喫煙者なのだが「何だか煙草臭えなこの餓鬼が、死ね、死んでしまえ」と目で訴えかけられている様に感じてしまって、僕は見ず知らずの通行人に土下座を行い、少しばかりのお金を差し上げたい念に駆られてしまう。
怖い、いっそ家の中に引きこもって他人に迷惑をかけずに生きていきたい。他人を幸せにしたいとか、楽しませたいとかそんな段階に僕は至っておらず、最低限相手を不快にさせない様に将来は生きていきたい。これが僕の将来の夢なんです。
だがそんな職はこの世界にはない。
この世界の経済は他人との実存的交わり、愛しながらの闘争により成り立っており、人は一人では生きていけないのである。
そんな交わりにはどうしても不破や摩擦が生まれ、熱が生まれる。僕は生きていけない。
死んでなくなりたい、灰になりたい、殺して下さい、できれば痛くなく、安楽な殺人をお願いしたいです。そんなことは絶対と言っていいほど実現することはないでしょう。
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