この本は、最近読んだ本の中でもかなり心に刺さった。特に、「営業」という仕事に対する姿勢について。 「営業の仕事は、商品やサービスを売るというのでは無い。相手が求めているのは、自分と同じ目線で、どんな未来を叶えたいのかを一緒に考えてくれて、自分の価値を認めてくれて大事にしてくれること。」という言葉は、本当にその通りだと思った。 営業では、ついつい、自社サービス・商品の特長をアピールしようとする。でも、この本に書かれているように、大事なのは「相手がどのような課題を抱えているの
サッカーの練習の後にサッカー場の近くにあるスシローに通っていたら、ひと月前ごろから話をするようになった男性スタッフさんがいる。一昨日、1週間程ぶりにスシローに行くと、「今日会えて良かったです!実はバイトでここで働いていたんだけど、転職先が決まって、明日が最後なんです。もう会えないかと思ってた!」と声を掛けてくれた。 その方はお店に入ると「また来てくれたんやね!」と息子ににっこり話しかけてくれるようになり、息子もその方とおしゃべりするのが楽しみの一つになっていた!7月にスポ少
朝起きると5時前。でも、窓の外が真っ赤に染まっていたので、玄関を出てみると、朝焼けで空と瀬戸内の海が真っ赤に染まっていた!わあ、なんて美しい朝焼けなんだろうって思った朝だった。 昨日は夏休みに入ったからと言って特別な週末ではなく、いつものように午前中にスポ少のサッカーに行った。そして、イオンに行ってかき氷機を買うついでにランチを食べて、午後からは図書館に本を借りに行った。そして、夕方まで家で親子で読書を♫息子は絵本や本に出てくるイラストにも興味を持ち、そのイラストを基にLa
小学4年生の息子が今年の4月から学童に入れず、学童が無い初めての夏休みが始まった。フルタイムの仕事と果たして両立できるのか・・と心配しながら始まった夏休みだったけど、過ぎ去った1週間の感想を息子に聞いてみると、めちゃくちゃ楽しかったと言う。「これまでで一番楽しい!」とさえ言っている! 振り返ってみると・・。 夏休みの初日(7月20日)の土曜日は、朝からスポ少のサッカー練習に。お昼ご飯を食べて少し休んでからは、小学校のグラウンドで行われた地域のお祭りに行った。息子が仲良しの友
2月末に、学童に入れないという通知があった後、同じような悩みを抱える親御さんも少なくないので、地区のコミュニティセンター(コミセン)で学童のような居場所作りができるのでは?という一つの可能性が出てきた! そして、地区の会長とコミセンのセンター長、民生委員の方々が集まって下さり、放課後と長期休み中にコミセンを使えないか?という話し合いをした。地区の方々はとても前向きに意見をして下さり、実現に向けて動こうということに!とても温かい姿勢に涙が出そうになった(>人<;) また、地
様々なメディアで無気力な若者が増えているというということを見聞きする。子どもも同様で、不登校の子ども達も増える中、この背景には一体何があるんだろう・・・と考えてしまう。でも、最近、もしかして・・と思うことが。 それは、経済発展に伴い、生活が便利になり、その便利さがもしかすると無気力を生み出しているのでは?ということ。というのも、便利なツールに頼ることによって、人間が本来持ち備えていた能力を使う必要が無くなるから。自分の身体を使って物事を行うという機会が少なくなればなるほど、
昨日、学童に息子を迎えに行くと、学童の先生から大事な話があるとのこと。聞いてみると、来年度から学童に入れないとの話だった・・。 息子は学童での時間をかなり楽しんでいるので、学童に行けなくなるのは辛いだろうし、9歳(小学3年生)で家で一人留守番というのは心配・・。でも、4月以降は放課後の受け入れ先が無くなるので、どうするのか来月末までに決めなければ・・という事態に。 そして、学校近くの学童を調べたものの、申し込みは終了との記載。通常、10月や11月に申込を締め切るので、今の
今朝、雨が結構降る中、息子の登校に付き添っていると、「こんなに雨が降っているんやったら車で行きたかった!!」と息子がプンプン怒り出した(・_・; 「もう帰る!!!」と怒っている息子をなだめながら歩いていると、息子と仲良しの旗振りのおばちゃんがこちらまで歩いてきてくれた。そして、息子にハグしながら「おばちゃんは嬉しいで!何でだか分かる?それは、雨の日なのに歩いて行ってるからやで!」と笑顔で見送ってくれた。 すると、息子は涙を流しながらおばちゃんに何度も手を振って歩いて行った
先日、ふと、香川に戻ってからもう10年以上が経つんだ・・と思いました。高校の時は、ここ(四国)から出たくて出たくて仕方がなくって県外の大学に行き、県外に出たら、今度は日本を出たくてうずうずして、結局15年以上も海外で生活していた私・・。一番遠くはアフリカまで行ってました! そして、日本から遠く遠く離れたガーナの地で、なるほどと思う言葉に出合いました。それは、「アフリカの水を飲んだ人は必ずアフリカに戻る」という言葉。アフリカの魅力を理解したなら、アフリカを離れられなくなるとい
ポッドキャストを聴いていると、「春よ、来い!」が流れてきた。懐かしい・・と思いながら聞いていると、ふと、京都の大学に進学した当時のことを思い出した。 香川から京都の大学には通うことができないので、初めての一人暮らし。母は兄弟の世話をする必要があり、父が京都まで連れて行ってくれた。一人暮らしがスタートする場所は、女子大生だけが暮らしている一軒家の下宿先。不動産探しが遅くなってしまって、マンションもアパートも高級物件か学生寮のようなものしか空きがなく、大学から遠い京都駅近くで見
20年程前に、ネパールにプロジェクトコーディネーターとして赴任した時の話です。ずっと忘れられないできごとなので、文章に残して置きたいと思い、書いてみました。 私は、岡山県を拠点に医療保健のプロジェクトを開発途上国で行っているアムダという非営利活動法人で働いていました。そのアムダがネパールで病院の運営に携わっていて、タライ平野が広がる南西部にあるブトワール市と南東部にあるダマック市の2つのエリアに分かれていました。 その2つのエリアは車で7時間以上掛かるので、運転手さん付き
朝、渡り鳥が飛んで行った空を見上げながら「そらはひろい〜な〜、おおきいなあ〜♫」と思わず口ずさんでいたら、息子が「ママ、それ海やで!」とのツッコミが(^◇^;) でも、ゴジラのように白い息を吐きながらも、朝空を見上げながら息子に付き添ってウォーキングをしているといろんな発見があって楽しい♪ そして、数日前、息子と登校していると、水曜と木曜に見守りで立っているおばちゃんが寄ってきて、「先週はどしたん?体壊しとったん?車で行ったん?おばちゃん、会えんかったから寂しかったんやで
大学時代に3年間留学していた韓国で、最初に感じたカルチャーショックは、率直に自分の意見を言うということだった。初対面でも、嫌なこと嫌だと、嫌いなものは嫌いだと言ってくる人が多く、「この発言をしたら相手はどう思うかということは考えないのかな・・・」と思った。でも、韓国での生活が長くなるにつれて、率直に、そして、正直に意見を言ってくれる方が、その人の考えが分かりやすいので楽だなあと感じるようになった。 そして、韓国人からは「日本人には表と裏がある!」と言われることが多かった。そ
私は大学時代、韓国に3年間留学していた。最初の1年間は語学留学で全く韓国語ができないゼロからのスタート。そして、次の1年間はソウルにある延世大学に交換留学で、そして、最後の1年間は延世大学の大学院進学で。今から考えても、ものすごく濃ゆーい3年間で、いっぱい笑って、時には泣いて(泣き笑い?)、ほぼ毎日お酒飲んで、本当に数多くの思い出ができた国だった。その後、私はいろんな国々で仕事のために暮らすことになるけれど、韓国程思い出ができた国は無かった。毎日が充実していた。 そして、今
昨日、国際交流員として働いている上海出身の女性が転職活動のために高松に来たので、屋島に一緒に行くことにした。ある夏の日に初めて屋島から見た夜景を目にした時、とても感動したことを思い出したから。 1年以上ぶりに屋島に行くと、「やしまーる」という全面ガラス張りの建物ができていて、とっても素敵な空間が広がっていた。SNSや地元メディアなどで目にしていて、行ってみたいと思っていたけど、夜遅くまで中に入れるようになっていて、暗くなってからのライトアップされた風景がさらにステキだった。
高松から数時間の所に位置する四国カルスト四国カルストという名前は聞いたことがあったけど、特に興味は無かった。でも、夫が、標高1,300メートル以上の所に「星ふるヴィレッジtengu」というホテルがあって、そこから見える星は格別らしいから行こう!というので、先週末行ってみることに。標高1300メートルって、すごく遠い場所なのでは・・と思っていたけど、高速を使うと3時間程度で着き、意外と近かった。 そして、四国山脈を360度に広がっている風景を目にし、こんな場所が四国にあったん