2021年12月27日
昔は歌うことが苦痛だった。でも今は、やっと歌って表現したいと思えるようになった。
なんでもかんでも遅いな僕は。
音楽を始めた思春期の頃は、理想とするミュージシャンとしての在り方みたいなものがあった。
つまりは、己の中での格好のよさってやつ。
けれど、実際に音楽業界で裏方の仕事をするようになった20代、たくさんの波が押し寄せて、そんな考えは、あっという間に飲まれてしまった。
携わったアーティストの心を深く傷つけたこともあった。
本当にごめん、当時の僕にはわからなかったんだ。
仕事どころか、自分自身や身近な家族や仲間のことすらね。
見失ってた。
前のバンドが解散して、サラリーマンにもなれなくて、途方に暮れた僕は、なんとか業界内で生き残っていこうと、奔走した。
商業音楽的な曲を量産して、そのほとんどがボツになったし、かつてのバンドメンバーに「この曲どう思う?」と訊いたら、「飯濱さんらしくないですね。正直全然よくないです」って答えが返ってきた。
事務所から給料をもらってたから、売上のない月には追いつめられるような焦燥に駈られて、バイト先の倉庫に積み上げられた荷物の山を見上げながら、一体なにやってんだろなって、なんのために東京きたんだっけなって、ずっと、悪い夢でも見てるみたいだった。
このままじゃ近い将来本当にダメになると思って、スタッフにお願いをして、お金にはならない楽曲制作のための時間をもらった。
その期間に書いたのは、今でもタイトルがないんだけど、2年前の12月にメンバー募集の記事をTwitterにアップした際のデモソング。
「いつか嫌いになることを離れ離れって呼んでたんだ。こんな狭い部屋の隅も照らせない光を貪ってた」
不思議なもので、あのデモは様々な人に伝わった。
「飯濱さんらしいですね」
「飯濱君らしいね」
そんな言葉を幾つももらって、まるで溺れそうだった水の底から浮上し、水面から顔を出して、息を吸えたような気分に救われた。
だから、二度と自分に嘘はつかない音楽活動をしていこうと決めたんだ。
だから、今年は何本かのプロデュースワークを断った。
僕の音楽性が、そのアーティストにとってプラスになるとは思えなかったから。
理論やテクニックを塗りたくって無理に作品を拵えても、お互いにとって、ろくな結果にならないからね。
これで仕事がゼロになっても、一向に構わない。
音楽の仕事がないなら、働けばいいだけ。
新しくバンドをスタートしたのは、自分らしく、ブレずにミュージシャンとして生きていくため。
僕という人間は本来どのようなシンガーソングライターなのかを、作品としてこの世界に残しておくため。
僕が変わってしまっても / 朔