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2023年6月25日閉店予定 アミュージアム茶屋町店インタビュー

はじめまして。ゲーセン閉店botです。2015年1月から閉店するゲーセンをひたすら投稿してきました。もう1000店舗以上の閉店を見送ってきたので、だいぶゲーセンの閉店に対する気持ちもマヒしてきているような気がします。

8年間で一番閉店の反響が大きかったのはウェアハウス川崎だと思います。閉店から3年以上経った今でも、まだまだ人々の話題にのぼるくらい印象的な店舗でした。

ツイッターで1万件を越えるリツイート
香港の九龍城砦を模した独特の店舗

こうして失われていくゲーセンを惜しく思う気持ちもある一方、衰退するゲーセン業界に対して何ができるのだろうか、と無力感も覚えます。

そんな中、久しぶりに衝撃的な閉店情報が回ってきました。

アミュージアム茶屋町(通称:アム茶)の閉店告知

こちらは1997年に「チルコポルト茶屋町店」というKONAMI系列のゲームセンターとしてオープンし、2002年から「アミュージアム茶屋町店」と運営母体が変わりつつも、BEMANI作品のロケテストが頻繁に実施されたり、店外に設置されたDDRや太鼓の達人などを華麗にプレイするパフォーマーたちで盛り上がったり、当時から有名な店舗でした。

ウェアハウス川崎とは知名度の方向性が違いますが、それでも音ゲーマーにとってはかなり印象的な店舗です。またこうして一時代を築いた店舗が閉店していくというのがとても残念で、だまって見過ごすわけにはいけない気がしたので、店舗に突撃インタビューしてみることにしました。

アミュージアム茶屋町店2階

閉店決定の反響について

――ネット上では反響が大きく、閉店を惜しむ声がたくさん聞かれます。閉店の発表以降、来店するお客さんも増えましたか?

あまり変わらないですね。コロナでお客さんが大きく減りましたが、それ以前の水準には戻っていないです。

――お客さんが戻らない要因はなんだと思いますか?

大型筐体の体感ゲームも家でできるようになって、ゲームセンターにくる意義が減ってきていますからね。音ゲーは家庭用がでて、格ゲーも自宅でオンライン対戦できるようになって、今のゲーセンはUFOキャッチャーが中心になっています。そのUFOキャッチャーですらオンラインでできるようになっています。そんな状況の中、ゲーセンとしての新しい魅力を発信できていないのが原因でしょう。

――最近はKONAMIのBPLのようにゲーセン対抗イベントで盛り上がりをみせる面もあると思います

大手企業さんならそういうイベントもできるかもしれません。その場合でも、配信を見るだけで満足してしまうお客さんが増えていると思います。自分でプレイせずにゲーム実況動画を見るだけ、という方が増えて盛り上がってもゲーセンの客足にはつながらないですね。

「居場所」としてのゲーセン

――ゲーセンの魅力の一つとして、ゲーセン仲間に会える、自分の居場所としての役割があると思います

10~20年前のゲーセンは、まさにそんな感じでした。茶屋町店でも、屋外にDDRや太鼓の達人を設置して、プレイしにくる人、それを見にくる人が集まり、ゲーセンが一つのコミュニティとして機能していました。

今は、一人で遊びにきてリザルト画面を撮ってSNSの仲間と共有する、といった人が多いです。コミュニティの部分をネットにとられてしまい、ゲーセンで他の人とつながるというケースは減っていると思います。

――ゲーセンの客層は変わったでしょうか?

昔のゲーセンを知っている人たちの年齢が高くなってしまったと思います。ゲーセンはいい場所だと思っているお客さんも、ライフステージが変わって仕事が忙しくなったり家庭を持ったりしてゲーセンから足が遠のいてしまっています。

だから、もっと若い人を取り込んでいかないといけないと思います。例えばKONAMIのゲームをやっているのは年齢が上の、昔からずっと遊んでいる方がメインです。学生さんにはチュウニやmaimai、あと太鼓の達人などが間口も広く始めやすいようです。

店舗ごとの特性もあると思います。店内が広ければメダルゲームなども置けるでしょうし、家族連れが多ければカード排出ゲーム機を増やすのもいいでしょう。

いずれにしても大手さんが強くて、地方や中小には厳しい時代だと思います。業界全体として縮小する傾向は続くでしょう。

歴代のポスターが飾られた店内

ゲーセンのためにできること

――私たちがゲーセンのためにできることは何でしょうか?

お店に来ていただくことですね。「昔はよく遊びに行ってました」と言われることも多いのですが、こちらとしても今が苦しくて困っているので、今きていただかないと閉店するしかなくなります。

――お店としてはどんな施策が考えられるでしょうか?

今は雨の日PASELI割や三脚貸し出しなどを行っています。

――半年くらい前に音ゲーフリータイム遊び放題のイベントをやっていたと思いますが、反響はいかがでしたか?

結局、人があまり来なかったですね。一部の方からは歓迎されましたが、長期的に続けられるようなイベントにはなりませんでした。

――ゲーセンという居場所を復活させる良いアイデアだと思ったのですが、うまくいかなかったのですね

東京のミカドさんのように、うまく場を作っているところもありますが、なかなか難しいですね。人口が減っていて、ゲーセンだけでなくパチンコ店も減っています。娯楽がネットに移行してしまい、店舗は今後も縮小していくでしょう。

――なかなか厳しい状況は続きそうですね、いろいろとお答えいただきありがとうございました

編集後記

今回、インタビューに応じてくださったのは、ゲーセンの店員歴が20年以上というベテランの方でした。長年ゲーセン業界を見てきたからこそ、生半可なことでは変えられない時代の流れを感じているように思いました。

個人的な感想になりますが、ゲーセン文化というのは「若者の文化」ではなく、「昭和の終わりから平成にかけて流行した文化」なのかなぁ、という印象を持ちました。最近の若者がゲーセン離れしているのではなく、当時のゲーセン黄金期を知っている人が年月を経ても愛好している、というのがメインターゲットに思えました。

こうしたゲーセンを、経営者として令和の若者向けにアップデートすると、「ギガクレーンゲームス」みたいな形になるのかもしれません。昭和を知る人からすると「そんなのゲーセンじゃない!」と感じますが、リアルな消費の実態をあらわしているのでしょう。

音ゲーの聖地としての「アミュージアム茶屋町店」は、その役割を終えたのかなぁ、と思いました。

キーボードマニア愛がつまったオリジナルデザインカード

はじめてのインタビューで、なかなか勝手が分からず十分にお話を聞き出すことができなかったですが、もし次があるなら、上でも話題が出てきたミカドさんなどにもお話をうかがってみたいな、と思ったりしました。

おまけ動画

それではまた。

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