経済政策論壇のフェーズ変化
私が経済政策論争に最初にコミットしたのは2003年にダイヤモンド社から『経済学思考の技術』を発刊したころから.翌年には岩田規久男編『昭和恐慌の研究』(東洋経済新報)の章を担当してからはいっそう「若手リフレ派」的な立場での発信が増えていきました.
2000年代から2010年代後半まで日本の経済政策論壇の課題は「いかにして需要不足に対処するか」にありました.この課題に対応する手段が――構造改革論であり,財政出動論であり,もちろんリフレ政策だったわけです(天命だからあきらめろ系の人もいたけどね笑).
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