見出し画像

人に魚を与えれば一日で食べてしまうが、釣り方を教えれば一生食べていける

想像してください。

今あなたは旅をしており、お腹がギュルギュルと音を鳴らすほど空腹ではないが、小腹がすいた状態です。

ふと先の道を見ると2人の男がいました。
Aさんは500円で魚を売ってくれるます。
Bさんは50,000円で釣りの仕方を教えてくれるそう。

あなたはどちらの男に話かけますか?

授人以魚 不如授人以漁

親が魚を子に与え続けるというのが私が両親から受けてきた教育。
両親から「子供の教育費を払ってくれたら、お前が大人になったら同じように子供にしてあげろ」と言われています。

私はこの教育モデルに対して大反対です
もちろん衣食住に困ることのない環境を提供してくれた両親には感謝しています。

ただし自分の子供には一定の補助はしますが、自分でお金を生み出す術を知ってもらうつもりです。

釣り方を知らないままでいると、こんな不安が生まれます。
「未熟な状態で魚を与えてくれる人がいなくなったらどうなる?」
「どうやって釣り方を覚えるの?」
「誰が釣り方を教えてくれるの?」

釣り方を知らず自分の将来に不安を感じた私は、19歳の頃に家を出ました。その結果、釣り方を勉強したり、時には教えてもらい、家を出た2年後に独立することができました。

親がなんでもしてあげる環境を与え続けた子供に待っている未来は残念ながら真っ暗です。

この記事では、僕がなぜそう思うのかといった考えと対処法や考え方をまとめました。
もし何か響く言葉があれば、また見返せるようにいいねボタンを教えてください。

労働者にお金持ちはいない

この記事でいう「釣り」とは「労働」のことを指します。

昭和も平成も令和も、お金を持ってる人は基本的に労働をしなくても良い環境を持っています。
なぜなら魚の釣り方を知っているから。

魚の釣り方を知り、生活が困窮する不安を無くした上で、好きな仕事をするなり、ゆっくり時間を過ごす人は多くいます。

逆に、釣り方を教えられてこない人は、考える力を手に入れる機会がなく、誰かの元で闇雲に馬車馬のように働くことになるでしょう。
一生労働から逃れられない未来、ラットレースが待ってます。

画像1

魚の釣り方を知らない人は労働して稼いだお金で魚を食べて、また労働して魚を買ってを繰り返すのです。

50,000円を払って釣り方を教えてもらえば、100匹釣り1匹500円で売ってしまえば黒字化しますよね。

釣り方を知った釣り人は、どんどん自分で魚を釣り続け豊かになる。

ただしずっと釣りをずっと続けるのも危険です。
なぜなら健康を損ねてしまう恐れがあるから。健康が失われると釣りができず餓死してしまう恐れがあります。

じゃあどうすればいいのかというと、「釣り方」を教えて稼ぐのです。
少ない労働力で大きく稼ぐ、つまりあなたも50,000円で釣りの仕方を教えてくれるBさんになるということ。

釣り方を他の人に教えて、コンサル料をもらって稼ぐ。
そこで釣り方を教えた人が釣った魚を買い取って、自分で販売し儲けることも可能。販売してくれる人を雇って、自分は何もしなくてもお金を回すことだってできます。

魚を例に使いましたが、これは現代のあらゆるビジネスに置き換えることができます。

さぁ、あなたはどうやって現代の釣り人になるか?

「勉強する(釣り方を知る)」と「時流に乗った商売をする(魚が釣れる場所を探す)」だと僕は思っています。

総務省の調査によると、社会人の勉強時間は1日平均6分
「大学を卒業したら勉強しなくても良い」なんて誰が言ったんでしょうか?
バカを治すために大学に行くのに、ますますバカに染まっているではないですか。

おかげで勉強をすればするほど、周りと差がつきます。
勉強、行動し、反省ないしはまた勉強するを繰り返す。

そして勉強や行動を通して、人に会うと「どこの池に魚が釣れるのか」がわかるようになります。
魚のいない池にずっと針を立てても釣れませんからね。

現代にはありがたいことにインターネットを使えば、簡単に有益な情報に触れることができます。

・本を読む
・セミナーへ参加する
・YouTube動画を見る
・SNSを通じて成功者に会う
などなど。

親が子供に魚を与えるのではなく、釣り方を教えれば家庭やあなたの周りの人々は益々裕福になります。
裕福になれば、心に余裕が生まれ、笑顔が増えます。

努力は報われない

「好きなことだけをして生きていきたい」
「お金持ちになって親孝行したい」
「自由な生活を手に入れたい」
これらはお金をたくさん稼ぐというざっくりとした目標を達成することで解決するでしょう。

そこには膨大な量の努力が必要だと思っていませんでしょうか?

現在フリーランスとしてパソコン1台で自由に好きなことをして生活してる僕は言いたい。

努力は報われないということを。

努力が報われると信じてやまない人を僕は努力信者と呼んでいます。
信じることは悪いことではないけど、身体に害だと僕は思っています。

なぜなら報われるという希望を抱いてしまうと、それが叶わなかったとき絶望し、恐怖、ないしはトラウマになるから。希望を抱かなければ人は絶望しません。

それなら「努力は報われない」と鼻から諦めていた方が人は幸福だと思うし、目標を達成しやすいと思うのです。

では努力なしで、目標を達成するのに大切なのは何なのか?

それは『好奇心』と『探究心』、そして『環境』

興味があることへすぐに突っ込める好奇心、
「結果が出たから次はどうすればさらに良い景色を見れるのか」「失敗しても楽しかった!」「価値がある行動だった!」とポジティブに次へ転換できる探究心。
努力は必須要素ではありません。

そして目標を達成させるには、環境が最終的には大切になってきます。
釣り方を覚えても魚がいない場所で魚は釣れません。

釣れる環境を見つける必要があります。

そんな環境を見つけるには、好奇心と探究心。
試してうまく行かなかったら、次の場所へ紐を垂らすなり、他の人にうまく釣れる方法やオススメな場所を教えてもらうなりする。

まずは行動してみよう。

行動すると見えてくる景色がどんどん変わります。
自分がしてきていることを努力なんて言ってるうちは報われない。

ハッキリ言おう。

努力は報われない。目を覚ませ。

最後に

資本主義においてお金持ちはどんどんお金持ちになり、低所得者は搾取されどんどん貧乏になります。

あなたは釣り方を学ぼうとしてますか?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?