【自分と向き合うnote】#05 SNSの闇と依存
SNSに疑問を感じたのは・・・
やはり1月の能登半島地震がきっかけだった。
東日本大震災がフラッシュバックして、精神的に私もがっくり落ちていたのもあった。
嘘の投稿の拡散のニュースを見て気分が悪くなった。
そして、インプレゾンビの大量発生。
人の言葉なのか、機械の言葉なのか。
もう判断がつかなくなってきた。
そして、胸を痛めたのが、SNS炎上後の大好きな漫画家さんの突然の死。
人のこころや痛みを、ていねいにすくいとって、言葉にしてくれている作品が印象的で
命についてとても真剣に考えている作品が多かった方の自殺。
それほどに、SNSというものは、人を追い詰めるものなんだと・・・
発言をするのが怖くなった。
今まで、私も、粘着されたり、悪口を言われたり、非難されたり、トラブルになったり、色々あって、その度に、もうX怖いな、やめようかなと思ったりもしていた。
でも、励ましの言葉をもらったり、共感の言葉をもらったりできる場でもあった。
大事なフォロワーさんにも嫌がらせが広がったりしたら嫌だったので、誰と仲良くしているのかわからないように、誰かと遊んだ報告とかは載せないようにしていた。
(自意識過剰と思われるかもしれないけど、他の人からタグもつけれないようにしてたし、リプライもFFからしかできないように自衛していたこともある)
それでも、いいねの数が、心の支えだった。
でも、Xになってから、いいねも全然つかなくなった。
アルゴリズムの変化?
私の投稿、見えてないのかな?
もっと伸びる投稿を考えよう!
どういう言葉の出だし、内容、投稿時間
魅力的な投稿作り・・・
好きなことを自由に呟けなくなった。
そのうち、その努力も虚しくなって、
Youtubeの宣伝と、推しのRPくらいしか投稿しなくなっていった
何かを発言することで、非難されることが怖かった
人が晒されたり、炎上しているのを見るのがつらかった
でも、興味で、どんな発言だったんだろうって、元の投稿を見に行ってしまったり
野次馬をしてしまう自分にも嫌気がさした
そんな見るのが辛くなるような言葉の投稿ばかり興味本位に見ていたら、
おすすめにそういう類の関連ポストが並ぶようになってしまった
見たいフォロワーさんのポストも埋もれていって探し出せなくなった
私には3900人のフォロワーがいるはずなのに、
”いいね”が1つもつかない投稿もあった
でも、私も相手のポストに”いいね”と思えなくなってきた・・・
他人のリア充報告なんて、嫉妬心を助長するだけだった
XP○○○○到達しました!
チャンネル登録○○○○人行きました!
私は・・・達成できていない・・・
どこどこに行きました!なになにを食べました!
私は・・・行けない・・・
1日に100人以上に”いいね”周りをしていた時もあったけど、そんな”いいね”なんて、意味ある?やる意味を見出せなくなった・・・
ねぇ、本当に”いいね”と思って”いいね”してる?
既読感覚のいいねばかりになってはいないか?
これいいよね?すごい、いい!
そうそう、わかるー!あるあるだよねー!
良い情報教えてくれてありがとー!
とか、楽しいものを共感できる相手ができるといいなって
ただ、それだけだったはずなのに・・・
わざわざ、Xで呟くほどのことではないな・・・
不特定多数に向かって言う必要はないよな・・・
と思ったら呟きたい言葉も出てこなくなった。
Xは見るのがつらいものになった。
それでも、毎日気になって開いてしまうのだ・・・
―つづく―
【SNS依存について考える為に見た動画】
その動画のnote↓
【学び】
・SNSを辞めることにデメリットはない
・脳が休まらない状態が続く
・嫉妬心に気付き受け入れられるか
・人の意見には悪意が少なからず含まれる
・嘘と真実を見分けることはほぼ不可能