居場所と体|小澤南穂子【ヒコウキグモ】

何かが大切になっていくということは、そこに居場所ができていく、あるいは、それが居場所になっていく、ことなのかもしれないなー、と、ふと思いました。

それは他人との関係でも、所属する組織との関係でも同じことで、

しかも、それは安定したもののようでそうではないように感じる。日によってムラのあるものだし、状況によって変化する。

その中で、私が最近、絶対に変わらない、むしろ離れられない、いや、逃れられない、ある意味「居場所」だと感じるのは、自分の肉体です。

開脚してストレッチしながらスマホを見ていて、ふと目線を足にやった時に、人形の足が自分の身体にくっついてるように感じる時があります。

気持ち悪くなって足を自分の身体に近づけようとすると、だれの足かわからなかった足が急に自分の足となって感覚を取り戻す。

変なの。

足は身体にくっついている、というか肉体の一部としてあって取り外し自由では決してない。

離れることも居座ることも出来るような処ではない。

返せていない連絡や、NOの数が増えると、自分がだれの手の中にも居ない、だれの視界の中にも居ない、自分が世界から切り離されたような小気味良い感覚を覚える。

このままあと何週間か外とのコンタクトを絶って、浦島太郎みたいになりたい。

変なの。

変なの。

変なの。

ほとんど意味不明なことを半分くらいしか回っていない頭で書いているから、本当はもう少しきれいにまとめをしないといけない気がしている。

薬をもらいにいく薬の主人公はスマホを機内モードにしていて、「生存確認」をされている。

今は攻撃的な周期なので、余計なお世話だとか思ってしまう。ひとりにしておいてほしいと思うのはわがままなんだろうか。

そこに居るはずなのにいない人と、そこに居る人が、いる。

迷惑はかけられたくないしかけたくもない。

身体はここにあるけど意識はあっちにある。

授業中に内職をする。

あなたと居るのに違う人の話をするのは失礼。

わたしはここに居ない人の心配をよくする。
それすらもわがままなんだろうか。

自分が自分の身体を使って、どこか特定の場所に立っている以上、我がままであることから逃れることはできないんじゃないのか。

変なの。

出家しても、出家の先輩がいるのよ。

変なの。


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