働く、自分スタイルで(2)
(前回のつづき、内省)
もっと、自由に生きよう!
もっと自由にってどんな感じかな?
そう自分に問いかけたら、素敵だなって思っている魅力ある人たちの顔が浮かんできた。
その人たちの共通点を思ったら、自分の在り方を思い出した。
在り方のズレを、体はいつも教えてくれる。
自分をもっと整理しよう。
髪にも爪にも肌にも、サインが出てる。
ちょっとでも不快な時間を過ごすなんて、いらない。
もう、私のイニシエーションは終わったから。
あー、そっか!ってことは、もう私は悠々自適の状態なんだ!と気づく。
好きなことができる。自分に関して何の心配もない。
でも、一個だけ、これはやっちゃいけないって決めてたことがあった。やっちゃいけないことなんて、本当はなかったのに。
何が私を縛りつけてたのかな?
結婚ていう概念。
自分で好きで作った枠でも、変化とともに窮屈になる。
枠を広げるか、枠をとびだすか?
親子っていう概念。
そこを超えて、純粋に、人として付き合いたい。
兄弟っていう概念。
「教える、教わる」っていう立場への概念。
人間関係、立場、役割、
そのへんだなぁ、自由に制限かけてることに関係あるのって。自分で自分を縛りつけている概念。
縛っているもの。昔は頑丈な鎖だった。縄になって、紐になって、細いゴムみたいになった。
昔だったら気にも留めない程度の縛りだけれど、今はそれさえも、「不要」と感じられる。
自分に対しての感度、誠実さがアップしている。
鎖を巻きつけていた頃って
どんな服を着て、どんな役割を演じてたのか?どんな立ち位置にいたのか?を振り返って感じてみる。
できるだけ安くて、機能的で、可愛く見える服を買っていた。可愛く見られたかったんだな、当時。これはアルバイトをしてた頃。
それまでは、服はほとんど買ってもらえなくて、どうしても必要な衣類は親の選んだもの。
お利口さんで、はみ出さないように(普通にしてたらはみ出すから、目立たないようにしていた)親や人に好かれるいい子を演じようとしていた子供時代。そこにときどき感じるを上手に隠して。
今の私は?
安い、高い関係なく、自分の好きな服は何か?今、何を着ると自分が喜ぶか?買い物にも、着る服にも、時間もエネルギーもお金もかけている。若い頃、やれなかったことを今、やっている。楽しい。
しっかりした人、ちゃんとした人をやろうとする、時々。「しっかり」とか、「ちゃんと」の概念が漠然としている。
社会性のことだな。
もう一回やってみよう。
「私が今、演じている役割はなんですか?」と自分の内側に聞いてみる。
あー、なるほどな。でてきた答えはここには書けない。でも「それか!」って、一気に軽くなった。
今までこれがとてつもなく重く捉えてたんだよなぁ。たぶん、この役割を背負ってたから「できない」ってしてたことをやらないと、唯一、死ぬ時に後悔する。「やらなくても平気」って、ごまかしていたけど。
こんな風に、自分に問いかけながら、本当の自分じゃない部分を手放して、新しい未来を創造していく作業。地道だけども、着実だ。
そして、今から始まる、これからの未来の私は?
10年後の私はどんな服を着て、どんな立ち位置、役割を演じていますか?
(つづく)
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