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走ることが嫌いだった

劇場版スラムダンク観てきました。

アニメ版から観てたので、どうなのかな?と思いつつ、前評判の良さを頼りに観てきました。ゴリが、りょーちんが、ミッチーが、流川くんが、花道が、息子でもおかしくない年齢になってて、なんだか不思議な気持ちで泣いてました。

自分の体から生まれた子が、歩き出して、走り出して、好きなこと見つけて、苦しんだししながら、自分舞台で活躍する姿みたら、泣いちゃうよね。自分の子なら尚更ね。産んだことも、予定もないけど。生命の連鎖の奇跡、みたいなものを見せて貰って、本当に人間ドラマとして最高の作品でした。アニメを観たのも割と遅く、でもその頃はわたしもバスケ出来たらな、男の子だったらな、スポーツで青春出来たらな、みたいなこと考えてたのに。この年になってわたしはついに、ステージの上にではなく、客席というとちょっとちがく、観客席、関係者席、まあ、そんなポジションに憧れる年齢になったんだなあ…としみじみ思いました。ちょっと、遅い気がするけど、まあ、そんな感じです。大人にやっとなりました。

映画で私がいいなあ、と思ったのは、りょーちんが浜辺ダッシュしてるとこが、妙に泣けました。もっとほかに泣くシーンあったと思うのでしたが、わたしはここでした。なんか、ロードムービーで風景が変わってゆくのを淡々と見せられてるような、良さがありました。

映画を見た後わたしはぼんやり、わたしは今どこに向かってて何処に行ってどこに辿り着いた時に満足するのか、そればっかり気になってる。ゴールがないなら、走る意味はあるのか。花道は俺の栄光はいまだ。とはっきり言ったけど、わたしの栄光は何処にあるのだろう?高校生の花道にはそれが分かってて、大人の私にわからないの、すごいなあと素直に思いました。

わたし、そもそも走るの嫌いなんですよね、小児喘息持ちだったから小さい頃からマラソンとか大嫌いで、苦しいのがずーっと続いて、早い子は楽々と先に行っていくのを我慢してるのがやになって、いつも後ろの方でノロノロ走ってた。一番じゃないなら、それ以降意味ないと思ってたし、だって苦しいし、歩いたほうが楽だもん。だって、わたし喘息持ってるもん、他の人と比べないでよって、すごい捻くれた子供でした。

大人になっても喘息の症状が落ち着いた今も、走るのは苦手です。

歩くのはね、嫌いじゃない。自分が歩いた分だけ遠くに離れられる。わかりやすくて、すき。ただ、昨年預けてた猫が脱走したと知らせが来たとき、当て所もなく半日我が子同様のスチャ探し、炎天下の中、探すのは本当にしんどかった。途方に暮れたように探し、足も体もあちこち痛いし、飲んでも飲んでも、汗はしたたる。まあ、猫は夜に発見されたのだけど、目的もなく、歩き続けなければならないというのは、結構つらいものがあるな、とわたしはその時思った。

ゴールは大小なりともあった方がいい。日々、目的もなく進むのは辛い。私のような人間は特に。ここまで頑張ったら、褒めよう。もっと遠くの目標決めたらもう少し頑張ってみよう。調子に乗って大ジャンプしてもいいかもしれない。走るのはやだけど、競歩くらいなら、いいかもしれない。

スラムダンクを観た後、ドッキョニンに、バスケしたくなっちゃうかもねって言ってたけど。バスケは始めないし、ボールもバッシュも買わなかったけど、筋トレちょっと始めたよ。

そんな日でした。
心のメモ。

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