【🆗/SM/R18】 Fused Glass （3）

前回⬇️

◇ ◆ ◇

　明るいブルーのジーンズの丈が、アザをそのままにした太ももの半ばまでではなく、踝まで長かった。白いシャツにライトグレーのパーカーを合わせている。黒いキャップと目にうるさい金髪は変わらなかったが装いに春の軽やかさがあり、正己に気づいて、ごく自然にニコッとした。

　勘弁してくれ。

　苦笑とするよりは引き攣り笑いに近いそれが正己の片頬に浮かぶ。ああ、これは無理だと思いながら近づいていく。

　ホテル街の近くで夜待ち合わせるのは物騒だから夕方にしないかと提案していたのは正己の方ではあったが、春の夕方、新菜は本当にただの大学生で、ちらほらと狭い通りの暗がりから現れる東南アジア出身らしき客引きの女性らの真っ赤なドレスの群れからまったく逸れて、ぷかぷか、馴染めずに浮いていた。ともすれば、心細そうにも見えた。

　こんばんは、と新菜が挨拶をする。
　三度目にして初めてのことだった。
　胸の底をざらざら撫で続けていた『いいのか？』が突如として、どすんと突き上がってくる。目の粗い罪悪感の感触が意識の膜を破って、口から飛び出しそうになる。
　ニーナさん、やっぱりやめよう。進級おめでとう。危なっかしいことなんかやめにして、ご馳走するから、好きなものを教えて。
　そんなどうともない言葉になって、出て行こうとする。

　しかし、新菜は何をされるのか、どんな目に遭うのか分かってここに来た。
　来たなら、応えなくてはいけない。
　正己は迷いたくなかった。
　分からないことだらけの世の中で、せめて自分の中に見つけた一粒の光る石のような確たる感覚を、たとえそれがどんなに馬鹿げていようと、猥雑であろうと、信じたかった。
　ただ、人間が気を失うまで殴ることで守ったその光る石に、一体どんな価値があるのかは分からない。
　新菜を、この可愛い女の子を、バラバラに引き裂いて、そして守られた光る石がたとえ宇宙にひとつしかない真っ青な至高のダイアモンドだったとして、それで、そのダイアモンドは、正己にとってどんな価値があるものなのだろう。

　分からない。

　迷いは瞳の真裏に滲む。
　そして、同じように迷う人というのは、滲み出した迷いに恐ろしく敏感であることを知っている。
　新菜には、気付かれた。

◇ ◆ ◇

　人間を殴った時の音は、コミックによく用いられる『バキッ』とは異なって、もう少し重い。骨が折れる時は『バキッ』に似るが、肉と肉がぶつかる音は、『バチッ』や『メチッ』、『バンッ』とか『ドスッ』に近い。
　鼻柱だけは『パキャッ』と軽く聞こえたりする。軟骨は脆い。耳の軟骨からはしない。
　殴り続けていると、途中から皮膚が破けて、顔面であれば鼻血や涎や涙で濡れて、『ビチャッ』とか『グチャッ』に変わる。
　悲鳴も変わってくる。
　鼻も口も腫れて塞がるから、意味のある言葉は次第に薄れ、ぶーっ、ぶふーっと意味を成さなかったり、単に、あーーー、あばあああーーー、だったり、息と一緒に出る音と化して凄惨になっていく。
　性的な興奮に結びつけたい、すなわち前戯としての殴打プレイを希望するmasochistの人々は『助けてください』とか『許してください』と下位的立場のセリフを言いたがる傾向にある。悪いとは言わない。楽しみ方には種類がある。正己は聞き入れないというだけだ。

　新菜はどんなに殴られても、蹴られても、セリフは言わなかった。ただ悲痛に泣き、もがき苦しんで逃げ惑い、最後には沈黙する。

　たとえば、許してくださいと言え、と言ったなら、新菜は素直に従うのだろうか。
　彼女はそれで興奮するのだろうか。
　痛みと性を結びつけられるだろうか。

　散々、頬を打たれ、身体中を蹴られた新菜が床に転がっている。もうじきに死ぬ芋虫に似て腹側に丸まっている。

　正己は高いところから、『脚、開け。』と命じた。新菜がすぐに応じなかったので、尻を蹴る。泣き声が掠れている。
　開かれた脚の間はカラカラに乾いて、竦んで冷えているように見えた。

　まだ殴れる。
　まだ全然、人間の限界ではない。

　ただ、正己の限界だった。
　masochistではない者を、女性を、いくら本人が望んでやってきたとはいえ、これ以上はだめだ。どういう事情があるかは知らないが、新菜はmasochistではない。submissiveでもない。致命的に、特殊性癖に特化しているはずの出会い系掲示板における性癖が一致していない。
　これは暴力だ。
　正己が人間ではなくなってしまう。

『やめだ。帰ろう。それで、もうこういうのはよそう。』

　新菜はそれを聞いて、しばらくの間これといった動きも見せず、黙って脚を閉じた。最近の子らしくすっかり脱毛している綺麗な股間だった。
　正己は沈黙する新菜の顔近くにしゃがみこんで、起こそうとして、彼女が何かを言っていることに気づいた。
　顔が腫れて喋りづらいのか、不明瞭ではあったものの、やっと『やらないの？』と尋ねられていると理解した。

『もう殴れない。ニーナさんとは、SMにならない。』

『ちがう』

『違う？』

　新菜はもう一度『やらないの？』と尋ね、正己が『何を』と問う前に『セックス』と続けた。

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