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電子書籍に『してもいい作品、したくない作品』の個人的線引き


 なんだかここ最近私の身の回りで作品の電子書籍(特にKindle)がやたら流行っている気がする上、実際に『電子書籍にしなよ』とか『電子書籍で売りなよ』とかご意見を頂戴するので、その辺りの諸々についてちょっと記事にしてみようと思います。

 いつものことながら誤解のなきよう先に申し上げますが、私は電子書籍に反対するつもりもなければ、嫌いなわけでもないので、よろしくお願いいたします。紙の本もデジタルもどっちも好き📚📱✨




したくないパターン


 以前こちらの記事⬇️でもちょっと書いたのですが(リンク先にお飛びいただく必要はございませんのでお気になさらず☺️)

 私自身、自分の作品の電子書籍化に興味がないわけではないのです。
 機会があればやりたいなあ、といった距離感で、毎回『まあ忙しいから今度やな』と見送っております。
 
 表紙であれ挿絵であれ、自分の好きなように作ることも好きです。
 こんな風にね⬇️

表紙

結構凝っているでしょ
ページ数が右上にあるのはミズノさんが思いっきりミスをしたせいですね
(ver.2で修正済み)

 事実、長編(⬆️の『橘あおいの愛について』と『わだつみの沈黙』)のデータは、紙の本にする際にしっかり手元に残していることもあり、電子書籍にすることもそこまで困難な話ではないのです。
 雛形が日本仕様ではないため、Kindleにする際にはデータの見直しをしなくてはならないようなのですが、お話自体があれば、一番のハードル自体は越えられているようにも思いますし。

 ですが、長編2本とおまけ(主に『わだつみの沈黙』)は電子書籍化は致しません。以前にも書きましたが、特に『わだつみ……』の方は、うっかり目にして傷つく人がいる可能性が限りなく高いためです。それだけは避けたい。

 それから本記事のタイトル通り『電子書籍にしたくない作品』の線引きに引っかかるのです。

 電子書籍にする、特にKindleのような超メジャーどころで出すということは、それだけ『読む人』が増えるという事象につながります。作品を売る以上、それはもちろん良いことなのですが、私が引っかかるのはそこ。

 あんまり、ロミ子や春子さん、葵ちゃんを、大勢の人々の前に出したくないなあ、と思ってしまうのです。嫌がるだろうなあ、と可哀想に思っちゃう。

 うまく表現できませんし、架空の世界の人々ですから何を、とのご意見もよく分かるのですが、私にとって彼女たちは『生きづらさに苦しみ続けたけれど、ようやく解放されて、タフなパートナーと一緒に安心して生きていけるようになった、自分よりずっと若い女性たちの象徴』なのです。
 ミズノさんガードが発動するのです。

何とでも言えよ

 今はいずれの本編も下書きに戻しておりますが、note上で公開する分には、まだよかったのです。ロミ子のことも、春子さんのことも、葵ちゃんのことも、名前を読んで大切に扱ってくれる人々が感想をくださったり、スキをつけてくださったり、平和でした。
 特に感想やメッセージは本当に心強かった。
 ありがとうございました。大切にお守りにしております。

 しかし、Kindleとなれば別。
 unlimitedならともかく、有料の作品に対する評価ですから、どんなレビューがついても(つかなくても)それは当たり前のことであって、ある程度は受け入れなくてはいけません。
 読みづらいだの句読点知らねえのかだの官能小説じゃねえだろ詐欺だ抜けねえだの、ボロカスに言われようが星1にされようが、そこはいいのです。そりゃそうでしょうな、となります。
 
 私がおそらくとても辛く感じるであろうことは、ロミ子たちの人格や性的嗜好、彼女らのパートナーに対しての批判や、心ない言葉が投げかけられること。
 
 無理無理、それは受け入れられない。
 もうそっとしておいてくれ、本人たちが平和に生きてるんだから。
 やっと落ち着いたんだからほっとけよ、何が分かるんだよ。

 と、取り乱すに決まっているのです。

 望ましくありません。
 ネット公開とは、すなわち、日本語を読める読めないにかかわらず、全世界に対する公開です。
 どんな風に思われたって、どんな風に言われたって、仕方がない部分はあります。誹謗中傷や、迷惑行為を仕方ないと言っているのではありません。でも、残念ながら『金払ったんだから何言ってもいい』と思う人もいます。

 ですから、私は、長編2本については、下書きに戻して非公開にした上で、紙の書籍にして自分の手元に置いておくという選択をしました。これなら、ミズノさんガードができます。良い人々に読んでもらえてよかったなあ、という思い出と一緒に残しておくことができます。

 つい先日書いた『春の月』、お読みいただきありがとうございました。

 こちらのお話で一旦『わだつみの沈黙』のおまけシリーズの締めにしようと思っており、このお話までを、紙の本に収録いたします。多分2冊くらいになるんじゃないでしょうか。ミズノさんはおつむが弱いので、一回一回のおまけをアホほど長くする性癖があるのです。

 それで、こちらのおまけ話もまったく電子書籍にしたくない。
 むしろこちらの方こそしたくない。
 ミズノさんガードフルパワーになってしまう。 

 私にとって、生きづらさを抱く若い女性たちのお話を書くことは、小説として誰かに読んで欲しいという欲求によるものではなく、明るくて安全なところに救助したいという、『私の世界で苦しんでいる人々を救うためには私が書くしかないのだ』的な、使命感ではありませんが、助けにいかなくてはいけないと思って、書かずにいられないから書いた、といった理由による行為であって、各所で申しております通り、別に私以外の誰一人のためにも書いていないし、いや、『わだつみの沈黙』の方は読んで欲しいと思って書いた部分もあるにはあるんだけど、いずれにせよ私がどうにかしたくて書いてるだけなんだから周りのことなんかプロアマ問わず知ったこっちゃないというかなんというか……。

 なので、まあ要は、『売る用ではない』のです。

 ところが実際に公開してみたところ、読んでくださる方がいて、紙の本にしたよ〜みてみて〜☺️としたら、欲しい、と言ってくださる方がいた。
 驚くべきことに、イラストについても受け入れてもらえた。
 
 文章は書き手の姿をぼかすことができますが、絵はできません。
 
 あ、この絵嫌い。と思ったら、もうそこで終わり。
 描いた人とはまず反りが合いません。

 私は、絵も文章も『いいじゃん』としてくださる方のためであれば、自分の作品を紙媒体やデータでお渡ししても構わない、と思うようになりました。
 嫌な言い方ですが、お渡ししたところで、私の世界の中にいる人々がどうこうなるわけではありませんし、多分『いいじゃん』としてくださる方々は、ロミ子たちに対して負の感情がある人々ではないとも思います。

 したがって、電子書籍にしたくない作品は、生きづらさを抱えていた若い女性たちが登場するお話で、且つ、性的表現を目的とした作品ではなく、私がその女性たちをなんとかしたくて自分の力だけで自分のために書いたミズノ節全開の作品、が相当します。
 (紙にはなってるんだけどね。欲しいって言ってくれた人のためにBOOTHも作るだけ作ったんだけどね。踏ん切りがつかないのよね。)


では、してもいいパターンとは


 非常にアレな例えで恐縮なのですが、セックスとオナニーは違いますね。
 セックスは信頼関係のある二人がきちんとお互いを尊重して行うもの、オナニーは自分一人が全く好きに行うもので、何をどう想像したって構わない完全に自由な行為です。
 そういう違いです。
 どういう違いやねん。

 つまり、アレなのです。
 はじめっから『どうぞお好きに抜いてください』と『性的表現を目的として』書いたオナニーサイドの作品は、別に電子書籍にしても構わないのです。
 
 私がそういう目的で書いた作品には一定のパターンがあります。 
 大体、どうしようもなくだらしない男女や、罪を犯した男女が登場します。
 ひどい目に遭おうがセックス狂いだろうが激烈なマゾだろうがdominantだろうがsubmissiveだろうが、読み手が罪悪感を感じない設定の男女です。
 
 全く無実の女性が凌辱されて妊娠堕胎した挙句性奴隷にされて衰弱死する、という設定で興奮する人もいるでしょう。
 それはそれで結構。実行しなければ何でもよろしい。
 しかし私はそれでは興奮しないし、書きたくないし、利益も得たくない。

 結果として、よく同情しようもないダメな女を登場させます。
 この場合の『ダメ』は様々ですが、大体『性的に自己中心』だったり、『誰かを著しく傷つけている』ことが多くなっています。
 罰則的というと支障があるかもしれませんが、便宜上罰則的意味合いで身体を性的に踏みにじられてそれで興奮して喜んでいる、ような存在を書いています。

 『したくないパターン』では、私は『この女の子たちを助けなければ、信頼のおける人間に出会わせなくては』と思って、かなり気を遣って書いています。作品を書く上での目的が全く異なるのでそりゃ当たり前ではありますが、とにかく『こっちだ!こっちまで生きるんだ!大丈夫、私がついてる、こっちだよ!』と必死こいて呼びかけてる感じ。寿命が削れています。

 しかしこの『してもいいパターン』では『もうどうしようもねえなこいつ……どうでもいいな、こんなやつは』くらいの感覚でいるのです。
 
 生きようが死のうが、殺されようがどうでもよいのです。
 むしろ『ああどうぞ、そこに置いておくので好きに抜いて』くらい。
 ストレス発散のために書いているときのお話は、『してもいいパターン』に当たります。
 そうなると、今のところ『シノブ』くらいしかない。
 じゃあ……と思って表紙の案も募って、パターンをお選びいただき、決定もしました。ご協力いただき、ありがとうございました。
 Kindleかどうかはわかりませんが、何かしらの形にはしたいなと思っています。


最も重要なこと


 やってみたいなあ、やろうかなあ、と思っていることは事実ではあるけれど、多分、私、電子書籍化に向いていません。
 気持ちが掻き乱される気がしてならないのです。
 どうでもいい男女が出てくるとはいえ、買う買われない評価されるされないが前提になっていると、私は通知怯えマンになると思うのです。

 私、自分のために書いているだけなんです。
 誰のためにも書いていないんです。知ったこっちゃないんです。
 助けてくれ!!と思いながら、待ってろ今いくぞ!!と自分で自分を助けにいくような感じで書いているんです。
 だから他人のことなんかどうでもいいんです。勘弁してください。
 私には『全員振り落としてやる🙂』の前提以前に『私が書きたいから書いてるんだよお前誰だよ去ね』があるんです。ほんと勘弁して。

 伝えるということの難しい点ですが、⬆️のように思っているけれども、作品をお読みくださって、さらにロミ子たちが元気でいることを喜んでくださる人々に対しては、心底、その存在に救われているんです。

 私以外の誰のためにも書いていませんが、親切な人々に対して、私も親切でありたい。

 ロミ子ちゃんよかったね〜☺️とか、春子さん可愛いね〜😊とか、葵ちゃん元気でよかったね〜😆とか、してくださる人々がこの世にいることが分かっただけで、私は嬉しいんです。

 なので、電子書籍にするしないは、忙しくて作業の暇がねえ!!という現実問題はさておき、私が何か書く理由と、電子書籍化がうまく結びつくまで、ずっと保留のままだと思うのです。





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