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『残酷表現』についての考え事



 ここまで散々なことを書いておいてどの口が、と思われる気がしてならないのですが、私は残酷なお話が苦手です。
 正確には『苦手になりました』。

 特に年齢を隠しているわけではありませんが、少しぼかして記載すると、私の『the・中二時代』は2007年頃。
 ボーカロイドの流行でいえば『メルト』や『初音ミクの暴走』あたりになります。『恋は戦争』なんかもあったかな。ミクちゃんかわいいですね。どうしてネギを持っているのかは未だにわからないのですが、きっと好きなのでしょう。おいしいもんね、ネギ。

 その頃に自分専用のパソコンがあり(仕事でPCを使う母のお下がり)インターネットも自由に使うことができた思春期の人間は、少なくとも一度は、いわゆる『エロ』系の検索をするのではないでしょうか。
 怪しげな広告や無限に出てくるポップアップ・ウインドウ、巨大な警告音、文法のおかしな日本語と共にデカデカと表示される裸の女の人の画像、『あと15分でこのPCのデータは完全に破壊されます!』系の脅し詐欺カウントダウン画面に、ヒエッ!!と震え上がったのは私だけだとは思えません。

 令和の思春期の子たちも、専用のスマホと自由にインターネットを使って良い環境下で大人の目がなければ、エッチな単語やヤバめの単語をGoogle先生に質問しているのではなかろうか。今の子たちは賢いから、変な広告が出ても動じないかもしれないけど。


入り口はどこだったのか


 もちろん私もいろんな単語を調べました。
 『セックス』くらいならまあ、思春期の許容範囲でしょう。保健体育で習ったはよいものの、実際のことはよくわかっていませんでしたし。この頃には既に月経がありましたから、その辺りについては、実際に体の具体的かつ定期的な変化があるわけで、身を以て『不愉快だ』と分かっておりました。月経が神聖視されることもひっくるめて極めて不愉快でした。

 個人の不愉快さはさておき、月経と妊娠は密接な関係があるのはご存知の通りだと思います。ご存知でない方が私のnoteを読むことは一切想定しておりませんからこのままお話を進めて参りますが、女性は生物学上の想定では『子どもを産む側』の性別です。

 女性だから子どもを産む、のではなく、子どもを産む方が女性、と定義されているのですが、このニュアンスの違いを世間で話すと批難されるのはいったいなぜなのでしょう。仕事なので話していますが。

 それで、自分の体の変化についての不安や疑問も含めて検索をしているうちに、どんどん性的なサイトへ飛んでいきました。えっちな画像や動画を見たかったのではなく、『セックス』を起点にした単語がどんどん具体的になっていって、それらについて調べていくうちにエロサイトに迷い込んでいた、のほうが正確です。

 まだ人間がどういう手段で生殖をし、妊娠し、子どもが生まれ、という流れが理解できていない思春期の子どもには刺激が強すぎました。
 裸の女の人がなんだかとんでもない格好をしている、までは『わ〜😲』程度で済んだのですが、性癖にかかる単語がいけなかった。


『拷問部屋』という小説サイト


 私は再三申し上げております通り、ラブスパンキーの女性です。
 簡単に言えば、異性におしりを叩かれて性的に興奮する、いわゆる性的倒錯嗜好を持っていて、マゾヒストでもサブミッシブでもありません。細かいお話はここでは致しませんし、なんらかのご質問をいただいても一切お答えいたしませんが、要は『痛いこと』をされているわけです。

 そこが問題でした。
 おしりを叩く、となると、平手のほか鞭やスパンキング・パドル、ベルト云々が出てきます。
 ジャンルとしては『SM』や『拷問』に分類されていたようですから、『お尻叩き』とか『スパンキング』とか検索したが最後、とんでもない画像が次々現れ、慌てて引き返した思い出があります。

 もちろんある程度自分の性的な癖は把握していましたから興味はあったのですが、14歳のお嬢さんが見ていい画像ではありませんでした。当時の倍以上の年齢になった今なら『おっ、これはエッチないいおしり☺️』くらいでどうとも思いませんが、人間色々鈍くなるようです。

 画像の海からは逃げ出しましたが、今度は『エロ小説』に興味を示しました。
 単語をピックアップしてくるわけですから、様々な性的表現を含む小説サイトが次々出てきて、これもまた『大人ってやべえな』と思う材料になりました。 

 刺激が強いものに興味を示す時期だったといえばそれまで。
 私が検索したのはスパンキングから派生して『鞭打ち』や『拷問』。
 結果として表示された小説サイト、その名もまさに『拷問部屋』です。

 ご存知の方はいらっしゃるでしょうか?
 私のnoteを、残酷表現を目的にしてご覧になる50歳前後の方ならもしかしたらご存知かもしれません。
 もしご存知の方がおりましたら、私が覚えている限りの記載部分で間違っている場所などをご指摘いただけましたら幸いです。

 記憶があちこちおぼろな上、心当たりのある単語で検索をして該当のサイトへ辿り着いてみてもEUCコードで書かれているらしきページは完全に文字化けしておりました。確か『香月』さんという方が管理人をされていたかと存じます。

 その『拷問部屋』の二次創作を行っている方もいて、そちらの方のサイトの更新日ですら2001年か2002年となっておりましたから、もしかしたらオリジナルサイトは1990年代に開設されたのかもしれません。いずれにせよ『いにしえ』のアングラ小説サイトとしては伝説的な存在だったようで、ファンも相当数いたことが当時でもよくわかりました。ファンアートや寄稿のコーナーも確かあったはず。
 
 特によく覚えているのが『鮮血の城塞』と『ダークシティ・ブルース』。
 何をどう割引して考えても子どもが読んでいい小説ではありません。


 『でも、読んじゃった。』


 
 『拷問部屋』のお話は、性的表現が目的ではないというのも大きかった。
 ただひたすら残虐な暴力表現が続き、人が男女問わずぼろぼろ死に、いかに残酷に殺すか殺されるかに重きが置かれた、芯の通った小説サイトでした。
 言葉はよくありませんが『マジの人』だったのだと思います。
 もしかしたら『性的表現が目的でないこと』が『性的興奮』に繋がるタイプの人だったのかもしれませんが、ご存命かどうかもわかりません。
 仮に1990年代の半ば、1995年にサイトが開設されたとして、当時の管理人さんが大学を出てすぐの22歳だったとしても、現在の年齢は50歳。何が起こっていてもおかしくない人生の年数だと思います。
 そらそうでしょう、当時14、15のお嬢さんが三十路の既婚者になるくらい時間が経過しているのですから。

 本当に自分の性癖に真正面からぶつかり合い、当時、非常に残酷な事件が発生しては『オタク』のせいにされ、『2ちゃんねる』が問答無用で『危ない場所』とされていた時世だったでしょうに、すごいサイトでした。

 それでまた、文章が上手かったのです。
 読ませる文章でぐいぐい引き込まれました。残虐行為の表現を目的としていることは一切ぶれないまま、ジャンルが多岐にわたっていたように思います。
 確か他にも『緋号部隊』とか『キリシタン』とか『学園もの』、人気アニメの二次創作もあったような……どうだったかなあ、強烈だったので覚えてはいるのですが、確たるタイトルではないのが申し訳ない。

 基本的に美少女や美人が全く容赦情けのない残酷な拷問にかけられて殺される、というストーリーでした。中世の魔女狩りの際に用いられたとされている手法でどんどん殺人がなされるのが『鮮血の城塞』、反政府組織に属していた女性が警察の特殊部隊のような存在につかまって拷問にかけられるのが『ダークシティ・ブルース』だったはず。
 どちらもきつかった。
 どちらも、身体破壊と殺人がメインなのです。
 それも心ごと打ち壊すようなひどいものでした。

 鮮明に覚えている部分がたくさんあるのですが、ここに記載するのは、公序良俗の観点から良くないような気がするので控えます。とにかく凄惨な表現の連続でした。ご存知の方はきっとこれで通じると思います。

『硫酸フラスコ』

『ミミちゃん』

『身体改造』

『乳房の輪切り』

 私はどうしてあれを読めたのだろう。
 それくらい、今の私はすっかり『ダメ』なのです。
 当時は本当の思春期で、なんだってやってみたくて仕方なかった時期ですから、強い刺激を受けたら小説に書き起こしてみたくなったし、絵にもしたくて、とにかく手段を問わずに表現をしました。
 行き詰まったら『拷問部屋』にアクセスして、お気に入りのお話を繰り返し読む。それで妄想を膨らませて、日本語でどういう書き方をしたら残酷な表現になるのかを覚えて、自分でも書く。
 怖くなかったというよりも『わかっていなかった』から書けました。

 今は『わかっている』から書けないのです。
 具体的にどういうことか。


自分自身が女性であるということ


 自分が女性であること、一般的に男性と比較すると身体的不利な立場にあること、すなわち、性暴力について勝ち目がないこと、望まぬ妊娠がどれだけ残酷なことなのか、さすがに理解している程度にはいい大人です。
 『子どもを産む方』の性別である以上、不安は常に、自分の肉体そのものに付きまとっていることを理解しています。

 考えたくありませんが、たとえば深夜残業をした帰り、人通りが少ない道で拉致をされて集団レイプをされて殺されるのは、男性よりも圧倒的に女性に多い。そして私は深夜残業が発生するタイプの業務に就く女性ですから、考えずにはいられない。子どもを産むことができない体ですからそこはおいておいたとしても、そうではなく、体を損なわれることはもちろん、レイプは心の殺人とは真実で、立ち直れるかどうかもわかりません。

 でも残酷表現にはレイプも暴力も身体破壊も含まれる。
 そしてそれらの表現に興味を示し、性的に興奮する人もいる。

 悪いとは言いません。
 何度でも言いますが『それはそれ、これはこれ』です。
 それらのジャンルが好きだからと言って、実際に残酷な行為に及ぶ人はまずいません。私だってそうです。むちゃくちゃな話を書いておきながら、子どもたちに対する、根拠を明確にした性教育の重要さを保護者に説き、女性の心身にまつわる諸々を学問として修め、ガラスの天井にもジェンダー差別にも憤りを感じます。

 でも、これだもの。
 時々自分に絶望することがあります。
 どうして、私はこうなのか。

 冒頭で『苦手になった』と書きました通り、現在はさっぱりダメなのです。強めのブレーキがかかってしまって、表現したくても思い止まってしまう。
 ストーリーに必要な表現だと判断した場合はどうにかして書くのですが、辛くて辛くて仕方がないし、読み返すことも辛い。正直二度と読みたくないお話も、自分で書いておいてアレですが結構あるのです。

 それで、しんどい目にあった人には救いを用意する。
 生きづらい女性には絶対にハッピーエンドを用意する主義者になったわけです。

 これがいけない。

 読み手側を『どうせハッピーエンドになるんでしょ?』と飽きさせてしまうのではないかと思うのです。
 私はプロではないから、そんな部分は気にする必要もないのですが、書いて、読んでもらう以上は『びっくりした』とか『おもしろかった』とか『涙が出てきた』とか、そういう感想が嬉しいことも分かっている。
 したがって『またこの展開かよ』と思われることが怖い。

 たとえばロミ子であれ春子さんであれ、吉岡くんや安田がいます。
 最近気がついたのですが、ロミ子や春子さんは『過去のしんどい時期のとんでもなく若い頃の私』で、吉岡くんや安田は『色々乗り越えた現在の私』なのかもしれません。助けに行くことも寄り添うことも(私は奨学金の漬物ですから家計に余裕はありませんが)金で解決しようと思えばできますから。

 ですからあと10年くらいしてからもう一度、吉岡くんや安田を書いたら、もっと頼もしい存在になると思います。でも、彼らの年齢は本編中で34歳ですから、あまりにも精神性が成熟してしまうのも面白くありませんし、塩梅が難しい。
 どうあれ、彼らが可愛がっているお姫様たちは元気に暮らしておりますが。

 この『元気に暮らしている』ことを、いつか『お決まりの展開』と捉えられてしまうのではないか。
 それは面白くない。
 本心を言えば、私は、ぞっとしてほしい。傷ついて欲しい。私が書いたもので立ち直れなくなるくらい打ちのめされて欲しいと思う部分があって、時々『やっちゃおうよ』と囁きかけてくるファントムがいるのですが、振り払っています。

 だって、私は可愛い女の子たちに、辛い目にあって欲しくない。
 体や心を壊されたり、踏みにじられることがどれだけ苦しく、辛く、悔しいことか。自分が女性に生まれたことを憎んだり恨んだり、そういうふうに人生丸ごとおかしくなってしまうような、激甚な何かに飲み込まれてしまうのはよくない。


『まあ仕方ないよ』がほしい


 ところが厄介なことに、罪を犯した、あるいはどうしようもないバカが『精算』という意味で暴力に晒される場合は全く大丈夫なのです。むしろ発散するくらいの勢いでやる。

 無実のか弱い女性が凄惨な暴力を受けて殺されることは無理だけど、極悪非道の所業を行ったなら『まあ仕方ないよ』と思える。
 罰を受ける理由があれば、むしろ生き生きとして読んだり書いたりする。

 でも純粋な暴力や狂気なんかは多分、罪があろうがなかろうが、全ての人間が等しく対象になるんじゃないか。
 それを避けて通っては、もう伸びないのではないか。
 いろいろ考えます。

 特にここ最近は、おそらくお嬢さんがいらっしゃるお母様やお父様、それから『お姉さま』たちが、私が書いたお話を読んでくださるようになったこともあって、ぐるぐる堂々巡りです。注釈する必要もないかとは存じますが、堂々巡りは私自身の問題ですからどうかお気になさらず。

 私の思春期に多大な影響を及ぼした『拷問部屋』の残酷表現。
 あれを、読んだことは正しかったんだろうか。

 途中でやめておけばよかったのかもしれない、と今は思います。
 でも読まずにいたら、きっと今の私の『書く力』は無いのです。


結局のところ私も書きたい


 女性が乱暴に扱われることを主題にした作品をnote上で読むと、じゃあせっかくだから私はべろべろに甘やかされる話書くか、と『勝手にじゅんばんこ』のつもりで書いております。いい刺激になります。私自身、書きたいなあと思ってストックしてあるネタ出しができて楽しいのです。

 ところがここ最近、甘やかしのお話に満足しつつある。
 いや、いくらでも『ハッピーエンドのそれから』は書けるし、書きたいし、楽しいのですが、今現在の時点で発表した『その後のお話』で、皆さまにも十分ご安心いただけたんじゃないかなとしっかりした手応えを感じているのです。 

 決定打が『おかえりなさいを言わせて』と『おかえりなさいのそのあとで』がそうですね。私自身、決定打のつもりで書いておりましたし、読んで欲しいな、届くといいな、と思っていた方々からアクションをもらえて、そしてその内容が、想像を遥かに超える優しいお言葉で、もう大丈夫だな、につながったわけです。

 そこでよ。

 もうこれ、私が『拷問部屋』みたいなのを書いても、読んでくださる側がきちんと『こっちはやめておこう』と判断して、スルーしてくださるな、ともばっちり分かってしまったのです。前々から私が『どうしよう』と悩んでいると『読み手はきちんと読み分けるから大丈夫だよ』ととある『お姉さま』が優しく接してくださったのですが、本当にそうだと思います。確信しました。遅くなってすみません。

 苛烈な表現が苦手な方はきっと、お絵かきや、甘々でちょっとえっちなお話の方を見て、好きな部分だけいい感じで楽しんでくださるだろうな、と。

 だったら、書いてもいいんじゃないか、私も。
 苦手になってしまった部分に再度挑戦して、当時の自分と今の自分の実力の違いを把握するのも、いいんじゃないか。センター試験にもう一度挑戦するような感じで……なに、今は共通テストですか? 難しくなった? いつそんなことに? 頭の天辺から足の小指の爪の先まであますことなくゆとり教育の産物のミズノさんに難しいことを言ってはいけませんが、わかりました、それでは、共通テストに挑戦するような意気込みということにしましょう。

 そう思うのです。

 でも、やっぱり、罪のない女性が性的に凌辱されたり、生殖に係る部分を尊厳ごと踏みにじられるお話は無理です。私の譲れない部分はそこですから、その辺りを避けて通ればなんとかなるのではないか。
 いけるんじゃないか。

 それで、もし私が書いた残酷表現たっぷりのお話を読んだ誰かが『うわこいつこんなん書いてる、じゃあこっちで優しい話を書こう』と『じゅんばんこ』してくださったなら、書く人も増えて、各方面がいい感じにおさまるんじゃないかしら。

 なんて、都合よく思っているわけです。





 

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