私が信じ込んでいたこと
私が信じ込んでいた「ありふれた家庭に育った」という生育歴は、どこかから取ってきたような不自然に薄いものでした。
何不自由ない家庭で育った。
仕事ができる父親を尊敬している。
母親はごくありふれた専業主婦。
姉がいる。
私は高2で起き上がれなくなり、少しの間不登校になったけれど、立ち直 って大学を卒業して就職した。
現在は体調を壊して退職して体を休めている。
姉にはよく、真面目過ぎる、考えすぎる、気にしすぎる、神経質、自意識過剰と言われる。
FAP療法の初回面接で答えられたのは、このくらいだったと思います。
お父さんとお母さんはどういう人ですか?と聞かれた気がするけれど、私はそれ以上何も浮かんでこなくて、宙を見ながら一生懸命に思考を巡らせたけれど、結局、それ以上は何も答えることができなかったことを覚えています。
何も問題はない、どこにでもある環境、なのに私の精神が弱すぎる、甘えている、そう自分に言い聞かせていました。
でもそれは、自分で思っているというよりも、そう思わなければいけないという圧力を両親から感じていたからだと思います。
というのも両親は、外から見ると常識的で感じがよく、母親は上品で優しいお母さん、父親は会社での地位も高く仕事ができて家庭思いのお父さんだったからです。
そんな家庭で育ったのに普通に生きられない私は、どこかに欠陥がある。
それを見つけて治してほしい。
当時の私はそう思っていた気がします。
自分をそう信じ込ませることで生き延びていたことが見えてくるとともに、実際のグロテスクな現実を自分の中に封じ込めて、外向きの綺麗な家庭像を守ってきたことが次々に見えてきます。
その様子を書いていこうと思います。
(つづく)