震災から10年
こんにちは。
株式会社Kanatta代表取締役社長の井口恵です。
3月11日。
10年前のこの日は、私にとっても忘れられない一日です。
震災時
2011年3月11日、社会人一年目だった私は、クライアントのオフィスにいました。
地上17階。
都会にいるとそこまで高いと感じることはない階数でした。
しかし、揺れが始まった途端、突然ビルの高さを体感することになりました。
キャスター付きの椅子に座っていた私は、自分でコントロールが効かないくらい色んな方向に動き出しました。
ちょうど入社したばかりの後輩に指導をしていたところだったのですが、後輩も整理していた書類が床にバタバタ倒れていってパニックに。
冷静な判断をした先輩がドアを開けにいってくださり、避難通路は確保したのですが、突然の揺れにはほとんどの人が対応できないことが分かりました。
中でも一番パニックになっていたのはドイツ人の上司でした。
初めて経験する大きな地震にどう対応して良いか分からず、揺れが収まる前から部屋を飛び出して階段を駆け降りてしまい、揺れが収まる頃には外の芝生にいました。
揺れは収まったものの
その後、揺れが収まったのでみんなで外に避難したのですが、誰も何が起こったのか分からない状況でした。
交通機関が止まっているという情報は得られたものの、震源地がどこなのか、震度がどれくらいだったのか、分からないまま立ち往生する時間が続き、
「ビル内の方が安全だろう」と言って普通に仕事に戻っていく人もいました。
私はというと、とにかく家族が無事か確認しなければと思い必死に携帯で発信していたのですが繋がらず、焦るばかりでした。
やっと父からメールが届き、全員無事であることが分かったことを覚えています。
「しばらく電車は動かないだろうから、体力を温存して無理に帰らないように」
という父からのメールに従い、私は上司と一緒に近くの飲食店に行ったのですが、一向に電車が動かないので諦めて近くの友人宅にお世話になることにしました。
衝撃の映像
友人宅にたどり着いたのは深夜でした。
そこまで遠い場所ではなかったのですが、帰宅している人々の列で大渋滞しており、普段の2,3倍時間がかかったのを覚えています。
そして初めてテレビを見て何が起こったのかを目の当たりにし、言葉を失いました。
とてつもなく大きな津波に飲まれていく人や建物の映像は、とてもこの世のものとは思えませんでした。
あれから10年
忘れられないあの日から10年の月日が経ち、物理的な復興は進んでいると思います。
ただ、直接被災していない私でも今でも当時の映像を見るだけで怖くなってしまうことを思うと、直接被害を受けた方々の心の傷はまだまだ癒えていないことを想像しています。
あのとき、何もできない自分の力の無さや、想いだけでは何にもならないことを痛感し、次に同じような災害があったときには自分も何かしら人の役に立てる人間になっていたいと思ったものです。
まだまだこれから力をつけていく段階ですが、今年から東北をはじめ、地方でも仕事をしていければと思い、準備を進めているところです。
私一人にできることは小さいかもしれませんが、それでも少しでもお役に立てるようにこれからも日々努力していきます。
改めて、震災で亡くなった方々のご冥福をお祈りするとともに、被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。
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