あの日から
人生に一度でも、こんなふうになにかを待ち続けることがあるとは思っていなかった。
あまりにも恋い焦がれて熱望しながらも、いつまで経ってもそれに触れることはできず、あまつさえ情報すらない。
そんな日々を幾年も過ごして、ついに鬱屈とした待機の日々が報われるときが来る。そう、BLUE PROTOCOL(ブループロトコル、ブルプロ)のサービス開始を以て!
これはブルプロに囚われ続けた哀れなゲーマーが、リリースを目前に控え、これまでの鬱々とした清々しい日々を振り返るために綴った備忘録である。
出会い
出会いはいつも唐突なものとは言うけれど、私とブルプロの出会いもまさにそうだった。
2019年の7月10日、夜。
当時盛んに遊んでいたゲーム(Soulworker)で仲良くなったフレンドの Z さんが、いつものように一緒に遊んでいたこの日、ふと話の流れで誘ってくれた。
── そういえば今度新しいゲームのテストプレイがあるらしいけど、一緒にやってみませんか?
DM で教えられるまま、『BLUE PROTOCOL』公式サイト(既にあった!)を開き、そこに並べられたデザインと洗練された雰囲気に一気に心が躍る。今思えば、このとき既に惚れかけていたのかもしれない。
すかさずテスト(クローズドαテスト、通称 CAT )に応募し、待つこと約 10 日。当選のメールが届き、そこから実際にプレイするまで 4 日。
正直、このときはまだ「面白そうなゲームだな、ちょっと楽しみ」くらいにしか思っていなかった。実際に触れたことは当然ないわけだし、それ以上にいつもやっている Soulworker に熱中していた。
それだけに、あの日、2019年の7月26日、CAT の開始とともにクライアントを立ち上げ、最初の街・アステルリーズに降り立ったあの時、その衝撃は甚大であった。
2019年 - はじまりの年
もともと私は、あまりゲームをする人間ではなかった。子どもの頃に多少ニンテンドーやプレステに触れた程度で、ふとしたきっかけからパソコンでゲームをするようになったのがとうに社会人になっていた 2010 年代半ば。ゲーム経歴といえば「鬼斬、Soulworker。以上!」という程度だった。
ここでちらっとそれらのゲームに触れておくと、『鬼斬』は和風の MMORPG で、世界観と音楽がとても良い反面、ガチャシステム等の集金周りが不評であったり、グラフィックがややチープという側面もあった。それゆえか、あまり人口の多いゲームではなかった。
鬼斬の後に始めたアクション RPG『Soulworker』は、鬼斬に比べて格段に洗練された UI や戦闘システムを備え、爽快感あるアクションができて、キャラの着せ替えも大変楽しいゲームだった。しかも、グラフィックはアニメ調でとても可愛らしかった。反面、コンテンツ量が少なく、移動できるマップもかなり小さめで、基本的にやることと言えばエンドコンテンツ周回くらいであり、こちらも人口はそこそこだった。
(ただ、どちらのゲームでも今に続く素敵な仲間を得ることができた。その一点をもってしても、私にとってはかけがえのないゲームたちである。)
CAT ショック
…からの CAT、開始直後の交易都市アステルリーズである。
グラフィックが格段に良かった(アニメ調でここまで違和感なく描き込まれた映像を初めて見た)。耳に入る BGM があまりにも素敵だった。そして何より、統一されたデザインとそこから生み出される世界観が圧倒的物量で迫ってきた。
建物も人々も技術も、どこか見慣れた、でもどこか見慣れない意匠をあらゆるレベルに内包している。未知の、けれどもきちんと意図を持っていそうな文字が随所に掲げられている。街は広く、綺麗だけれどもどこか雑然としていて、その中で NPC は会話し、散歩し、存在している。朝が、昼が、夜が来て、その度に世界の表情が変わっていく。
あぁ、この世界は生きている。自分は今、異世界に来たんだなと、そう感じることができる。
この空気にずっと浸っていたい、もっとこの世界を知りたい、心の底からそう思った。
つまり私はこのとき、ブルプロの世界に恋をした。
恋をした者の目線なので、そこから先の細かいことはあまり触れることがない。ダンジョン突入はお世辞にも円滑とは言えなかったし、サウンドエフェクトは改善の余地が大きかった。移動も大変だった。けれども、そんなことはどうでもいいと言えるほど説得力のある世界だった。この世界というベースがあれば、あとは如何様にもなる…テスターとしてはあまりにもダメダメな感想とともに私の CAT は終わった。
ただ、それでもまだこの頃の惚れ具合は大人しかった。やっぱり当時は Soulworker が楽しかった(&やりたいことが多かった)し、ましてやブルプロは CAT が終わったばかりで次がいつどのような形になるかも不明なのである。たまに「アステルリーズを散歩したい」などと宣っては居たが、まだまだ症状は軽かったといえる。そう、次なるテスト、クローズドβテスト(CBT)がやってくるまでは…。
2020年 - ほんとうのはじまり
年が明けてもブルプロ公式は依然沈黙を保ち、私自身もそこまで近いうちに何らかの動きがあると感じていたわけではなかった。
リアルでは最近中国で新しいウィルスが猛威を振るっているらしい、大変だねなどと言いながら、福岡・天神の職場オフィスに通い、帰宅しては Soulworker をする毎日だった。
今現在日常的に接している面々のほとんどとは、まだ知り合いですらなかった。Discord も Steam も、PC の片隅で起動されることもなく眠っていた。
CBT がやってくるぞ!
その知らせもまた、突然だった。
2020年2月3日。ひたすらに沈黙を守り続けていたブルプロ公式 Twitter が、突如として復活を遂げる。
これだけでも大騒ぎだったのだが、その後矢継ぎ早に、公式 YouTube チャンネルでの動画配信、CBT の開催が公式に発表された。
私自身もやたらテンションが上ったらしく、「(∩´∀`)∩ワーイ」などとツイートしていた。
ここから、これを書いている 2023 年の今日に繋がる「こさやん」の活動も幕を開けた…と言っても良いかも知れない。
自己紹介カードと Twitter 盛り上がり!
正直、どういう経緯で作ろうと思い立ったのかはもう覚えていない。けれど、この年の2月20日、恐らくは深い考えなしに、「自己紹介カード」なる画像を作成して Twitter にアップした。
これが予想以上に、CBT 開催告知に沸き立っていた当時の Twitter ブルプロ待機民に受け入れてもらえて、人生で初めて 3 桁台のリツイートやいいねを頂いて大変恐縮しつつ喜んでいたのを覚えている。
色んな人がそれぞれにカードを書いてアップしてくれて、たくさんの新しい人と出会うことができた。我ながらあのときの自分にはグッジョブと言ってあげたい。(今日この日に至るまで、初対面でも「あぁ、あのカードの人?」と言ってもらえるのは結構嬉しかったりする。)
この 2 ~ 4 月の時期はモチベーションが上りきっていたようで、自己紹介カードを皮切りにどんどんブルプロ創作を行っていく。
お役所風の来者異動届を作ってみたり、3D プリンタを使ってクラスアイコンモチーフを印刷してみたり、写真立てを作ったり、「ウェブサイトつくる!?」と画面のラフを作ってみたり…と、今の自分がドン引きする頻度で色々繰り出している。どこにそんな時間あったんだろうコイツ。
そしてそのいずれも、新しく繋がったブルプロ待機民に温かく見てもらえて、更にはなんとブルプロ通信でも触れていただいて、私のちっぽけな承認欲求が 200% 満たされていた日々だった。
余談だが、この時期に繋がったブルプロ民が未だに自分のブルプロ交友関係の核の部分を形成しているように思う。フォローフォロワーもそれまでのせいぜい 200 人前後からどんどん増えて、年が終わるまでに 1,000 人近くに達した。
もう一つ余談だが、自己紹介カードでの交流をきっかけに所謂「ブルプロ婚」に発展した…というケースを後日お聞きしてめちゃくちゃ嬉しかった。
CBT - 愛しの相手との再会
そして 2020年4月23日。いよいよ CBT である。
その日はちょうど仕事が忙しく、開始時間の 19 時からスタートダッシュするのは無理だな~と思っていた。そのため、どうやら開始 1 分前に延期になったらしいと Twitter がざわついているのを「むしろありがてえ!」と眺めていた。(ゆえに、1分前延期については特に思うところがない。)
結局、私がブルプロを起動し、二つ結びの芋っぽい田舎娘のキャラクリをして、アステルリーズに降り立ったのが 21 時頃だった。
このときのことは今でも鮮明に覚えている。9 ヶ月前に訪れたっきりのこの場所の音楽と光景に触れた瞬間、全身に鳥肌が立った。恋い焦がれていた相手にようやく会えて、言葉にできない喜びが本当に心の底から湧いてきて、声にならない声を上げて悶えていた。
CBT は、やはりオンラインプレイ周りに課題を感じるものだった。パーティを組んでいても同じチャンネルに移動できないのは当たり前で、ダンジョンに入っても戦闘が開始されないバグもあった。チャンネルは任意で移動できないし、ゲーム内でのつながりも「フォロー」という仕組みでいまいち掴みづらかった。総じて、ゲームとしては荒削りだなあという印象はあった。
それでも、私はブルプロに恋する者であった。そんな細けえこたぁいいんだよと言わんばかりにストーリーと世界観を貪欲に摂取し、スクリーンショットを撮り(街は CAT のときよりも華やかになっていた)、寝る間を惜しんで開拓局前で他のプレイヤーたちと円形になってダンスを踊ったりした。誇張抜きに、夢のように幸せな 4 日間だった。自分のブルプロへの恋の感情を痛いほどに再確認し、さらに強くしてしまったのだった。
私こさやんのブルプロへの恋の、改めての始まりがこの時だった。
なお、CBT では Z さんをはじめ、鬼斬や Soulworker で親交を深めていた C さん、K さんなどとつるんでいた。私の世界はまだその辺りまでで留まっていたし、Twitter で絡んだ人とごくたまに出会ったときに一緒にスクショを撮る程度だった。
しばしのお別れ - 色々な出会いを添えて
幸せのあとには揺り戻しが来る。そういうものである。
せっかく再会できた愛しの相手と別れねばならず、次にいつ会えるかも分からない…そういう日々の再来だった。
それでも、 CBT が終わった頃の私はまだまだ幸せだった。何せ、当時は余韻と希望に満ちあふれていたのだ。
希望という点では、ブルプロ運営は「今後とも不定期で情報発信を行う」というスタンスであったし、たしかに改善点は多いにしろ、また数ヶ月のうちにあの世界に行けるかもな(だって CAT → CBT が 9 ヶ月だったのだから)、なんて思っていた。
余韻という点では、ともに CBT を過ごした待機民の方々と新しいつながりを深める期間にすることができていた。ふとしたきっかけから「SS 撮影班」という集団に入らせていただき、それまで私の文化圏には無かった「Discord で VC をつけながら Steam のゲームを一緒にやる」というスタイルを体験したりした(私は非 VC だったけれど)。G さんや R さん、B さんなど、今日でも交流のある面々との出会いもこのときであった。SS 撮影班として SS 投稿イベントを一緒にやったりもした。
また、自己紹介カードもそれまでに増して更にたくさんの人にご利用いただけるようになっていた。ブルプロのファンサイトを作りたいという思いも、撮影班のメンバーの助力を得て進められそうな状況になっていた。
5 月、かねてからやりたいと思っていた革工芸に自分史上はじめてチャレンジし、スカイブループロジェクトのロゴ入りのパスケースを作った。これもまた Twitter の皆様に良い反応をいただけて達成感があったし、やりたいと思っていたことを始めるきっかけをくれたのがブルプロだったことも嬉しかった。
6 月、これも自分史上はじめて、絵柄に一目惚れした P さんに絵を依頼してアイコン画像を描いてもらったりした。ブルプロをきっかけに、新しい文化が続々と自分の世界に訪れていた。
更に更に嬉しいことに、運営からも文字通りにプレゼントがあった。
おそらくはこれまでの自己紹介カードでの応援を見てくださっていて、「応援ありがとう」のブルプロ T シャツプレゼント対象に選んでいただけたのだ!
これが本当に嬉しくて、今でも T シャツ用の額縁に入れて飾ってある。
10 月には、かねてより作成していたファンサイト asterleeds.com をリリースすることができた。機能といえばマップくらいしかないしょぼいものであったが、たくさんの人に見ていただけてやりがいを感じたのを覚えている。
またこの頃、フレンド G さんの企画したイベント「ウリボ杯」に参加し、これまた自分史上初めての金属鋳造で「ピンクウリボ賞」をいただいた。鋳造も依然から興味のあるクラフトであったため、ここで体験することができて大変楽しかったし、それをイベントで評価していただけたのはめちゃくちゃ嬉しかった。
こうして色々と活動を続けるうちに案の定ブルプロが動き、次の機会は CBT の数ヶ月後に訪れることになった。そう、因縁の「マッチング負荷テスト」である…。
どん底
「勝手に期待して、その期待が裏切られたからといって落ち込むのは愚かな行動である」
それまでの我が乏しい人生経験でもそう分かっているつもりだった。
けれど、分かっていなかった。ここでやらかした。
マッチング負荷テストは、11 月の頭、CBT で課題だったオンラインプレイ周りの修正の検証のために行われた数時間だけのテストで、時間からも分かる通り小規模なクローズドテストだった。
それでも、僅かな時間でもあのアステルリーズに帰れる貴重な機会であり、絶対に行く、行けるんだと思い込んでいた。そう勝手に期待していた。
「テスト参加不可」
それゆえ、この文字をサイト上で確認したとき、私が受けたショックは計りきれないものだった。何度確認しても、リロードしても、表示は変わらない。
周囲の待機民のほとんどが「無事にテスト参加できる!」と喜んでいる渦中のことだった。
これが機械的抽選の結果だとは分かっている。分かっているけれども、なぜ自分だけ行けないのか、何か至らない行動をした故に意図的に弾かれたのではないか、果てはブルプロから私という人間の必要性を否定されたのでは…とまで思った。(本当に。今考えると阿呆だなぁと笑えるけれど!)
悔しくて悔しくて、結果発表の日は涙ぐみ、一睡もできずにスターウォーズのゲームを買って一人徹夜でプレイし続けたのを覚えている。当日は、待機民が Discord に集まって話しながらプレイしている様子を見に行く気には全くなれず、Twitter を覗く気にもなれず、折角フレンドが送ってくれたスクリーンショットも一瞥もせず、憂さ晴らしに FF14 を始めてみたり、Grand Theft Auto をやったり…いろんな方法で気を紛らわそうとした(そして全く気を紛らわせなかったのはご想像に難くないと思う)。
有り体に言えば、恋する相手に振られたときの心理状態だった。大好きだったがゆえに、突き放されたときにその相手について何も考えたくない、そういう状態だった。
そう、これが勝手に期待して勝手に自爆した愚か者の末路である。
ただし、この時ひとつだけとても嬉しいことがあった。
同じく落選していた神絵師 A さんが、自キャラの絵を描いて送ってくださったのだった。本当に慰められて、この絵はご本人の許可のもと印刷して、いまでも大切に額縁に入れて飾ってある。
しばしのお別れ再び
そうは言っても惚れた者である。どん底まで急激に落ち込んだテンションは、しかしながら比較的速やかに(11 月中には)回復し、アステルリーズの建物の絵を描いてみたり、色々考察したり…と、ブルプロ関係のツイートも増えていった。
これはひとえに、GTA やスターウォーズなどで日々一緒に遊んでくれていた Z さんや C さんたちからのケアに負うところが大きいように思う(スターウォーズは私に合わせてみんな買ってくれたのだった)。
改めて心より感謝申し上げる次第である。
ゲームで言えば、12 月には Steam で安売りしていた Red Dead Online(RDO) を始め、ドハマリしつつあった。事実、RDO はこの後およそ 1 年にわたって私のメインゲームであり続け、このゲームの存在が私の虚無期間を大いに救うことになるのだが、それはまた別のお話。
年末、来年こそはブルプロ!というツイートとともに 2020 年とお別れした。「2021 年内にはブルプロできるかもしれない」と考えるのは、それまでのテストの間隔からしたら十分にありえる想定であったし、だからこそ長くてもあと 1 年の辛抱だと思っていたのだ。この時は。
だが、待機民の誰もが知る通り、ここからが長かった。
2021年 - 深淵を覗くとき
年が明けて CBT / マッチング負荷テストの翌年、ブルプロ公式 Twitter はそれなりに動いていた(なお、毎年のことだが特に年末年始の挨拶はなかった)。
イーの紹介、フォトモードの紹介など細々した改修内容を掲載してくれていたのだが、私自身はそれに対するユーザーの反応があまりにもネガティブで気になっていた(この程度のアプデしかないの? といったような)。この後訪れる公式沈黙期間は小出し情報に対するネガティブ反応への対策だったのでは…と邪推する次第である。
リアルでは、コロナが依然猛威をふるって仕事はフルリモートが定着し、通勤がなくなってありがたい反面、行きたいレジャーにも何一つ行けず、久々に訪れた色恋沙汰の気配もその威力の前に雲散霧消する日々だった。
それだけにブルプロ世界に行きたい気持ちは募り、まあ今年には行けるだろうという空虚な妄想ばかりが膨らんでいたのだった。
イベントをやってみたよ
この年の GW、個人発でブルプロ待機民向けのイベント『アステルリーズ空想風土誌大編纂会』を開催した。内容は「ブルプロの空想の設定集を作っちゃおう!」というもので、設定もなにも公式の情報がほとんどない状態で何を書くんだ…? という無茶振りイベントではあったが、ありがたいことにたくさんの待機民の皆様にご参加いただけた。
結果的には楽しく終えることができたものの、敷居の高さや参加数の見込みなど、あらゆる点で甘い想定のままにイベントを開催したことで、盛り上げることの難しさを嫌というほど学んだ貴重な機会であった。無事にイベントを終えることができたのは、ひとえに発案時から受賞作品選定まで並走してくれた仲間たちの助力あればこそである。心から感謝している。
今でもよくあの設定集見てるよ、とか、第二弾やってよ、とか、たまにそういうお声をいただくことがある。本当に嬉しく思う。
通信そして主題歌!
5月末、唐突に公式が動き、ブルプロ通信番外編が行われた。巷で開発中止? と囁かれていた時期だったので、冒頭の下岡さんの「開発中止はしません!」には心底安心した。笑
この頃、公式からの発表は「開発を続けています」しかないのに、「更新がない=開発中止だ!」と騒ぐ層が一定数居て、待ちきれない気持ちはわからんでもないけどモヤモヤしていた…が、それも今となってはいい思い出。
この日の通信にて、CBT でのフィードバックへの対応があらかた終わったこと、今後は情報発信が少なくなること、そして主題歌が決定したことが発表された。
内容的に、これはサ開もそう遠くないのでは!? と思うのも無理からぬことだと、今から見ても思う。主題歌の発表は普通に考えればその作品自体の発表に近い時期であるし、CBT / マッチング負荷テストから一定期間が過ぎ、ある程度の対応が終わったと言われている。もしかしたらもうすぐブルプロをできるかもな! なんて無邪気に思っていた。
月末、主題歌担当アーティストが L'Arc~en~Ciel であることが発表された。発売は夏。ここまでで、期待は否応なく高まった。
(なお、このとき「ラルクって誰?」という若者の声が多かったことにショックを受けた。あのラルクだぞ!? 正気か!? …正気か。)
勝手に期待することなかれ
ここで再び、である。勝手な期待は自爆につながる。
8月25日の主題歌発売を前に、私は「そろそろサービス開始か、次のテストの情報あたりが来るな!」と勝手にワクワクしていた。そして当然ながら、その期待は爆散した。
(ただし、このときの期待はそれなりに根拠があった。前述のとおり主題歌発表ってそういうことでしょ? というのもあったし、何より主題歌発売の数日前から公式 Twitter が毎日ゲームキャラクターの紹介をするようになっていたのだ。キャラクターの紹介を順次行って、主題歌の発売とともにゲーム本体の大きい情報が来る! と期待してもそう責められることはないのではないか…と今でも思う。)
だが、その8月25日、ゲームのサ開やテストの情報は無く、ただ主題歌発売の案内があったのみであった。
翌 26 日、今度は開発人員の募集ツイートがあった。エンジニアリングはどの分野でも常時人手不足なので、これ自体に特に含意はないだろうが、(まだまだ開発期間が続くんだな…)と察するには十分だった。
そして、そこまでだった。
開発人員募集を最後に、公式 Twitter は再び長い沈黙期間に入った。
深淵もまたこちらを覗き込んでいた
当然だけれど、別に「この後しばらくツイートしないよ!」なんて宣言が公式垢からあるはずもない。当時は、毎日 17:00 頃に「今日もツイートがなかった…」という虚無の観測をし、そんなことを数ヶ月繰り返して「今は沈黙期間なのだな」と察するに至ったのみである。したがって、当時の心境たるやモヤモヤの極致であった。
確かに「この後しばらくは情報発信が少ないよ」というブルプロ通信番外編での通知はあった。そして開発を続けていることも分かっている。だから、私は、待機民は、ひたすら待つしかないのだ。
こうもひたすら待ち状態が続けば「ゲームの開始を待てるというのも今だけだよ!」というお得意の合理化理論も次第に苦しくなってはくるが、それでも待つしかない。
黙って待機し、待機し、待機する。それが 2021 年の後半であった。
そうはいっても、やはり苦しかった。延々と先の見えない暗闇を、方向が合っているかもわからずに歩き続けているような感じだった。きっと運営開発陣はもっともっと大変な思いをしながら開発を続けてくださっていたのだと思うが、ここはひとつ待機民の我儘として看過していただきたいところである。
この頃、大量の藁を燃料に燃え盛る炎に対してスプーンで水をかけるような感覚ではあったが、CBT で撮ったスクショを毎日定時にアップしていた。みんなの TL にブルプロ成分を絶やしたくない一心だったが、どれくらい意味があったのかは分からない。
いつか使えるだろうという目論見でカウントダウンページ作成企画を行ったり、相変わらずちまちまと 3D や革で創作も続けていた。
長距離走の最後に、ちょっとでも気を抜けば足がもつれてこけそうな、それでもなんとか走り続けているような、そんな状態になっているのを想像すれば、このときの私の状態に近いと思う。
それでも光はある、どこにでも
2021 年の後半は、この通り惨憺たるものではあった。けれど、楽しいこともたくさんあった。
まずは、Minecraft。今でも大好きなゲームのひとつだが、この年の秋に初めて触ってみて、ドハマリした。(それまではカクカクな所謂「ボクセル」の世界が食わず嫌いだったけど、始めてすぐにそんな気持ちは吹き飛んだ。)
そこからマイクラ勢の N さん夫妻を交えて恒常的に遊ぶようになり、それまでに固定メンバー化していた Z さん、C さん、S さんとともに 6 人で遊ぶことが多くなった。今でもこのグループには勝手に相当な親近感を持っている、大好きな面々である。もしもっとブルプロが早くきていたら、このメンバーでこじんまりとしたチームをやっていたかもしれないなと、時々思う。
もうひとつは、映画会『木曜映画館』をはじめたこと。プライムビデオを他の人と一緒に見れると知ってなにげなく始めたが、Twitter で参加者を募るとたくさん来てくれて、後日 Discord サーバーができ、日常的に交流するようになり…と、気づけば立派なコミュニティと化した。その萌芽がまさにこの時期だった。
私にできることはひたすら待機のみであった。それ故に、他にできることを精一杯楽しむしかなかったとも言える。
それでも振り返ってみれば、この時期があったからこそ今の楽しさがあるなと感じる。これも必然というものなのだろうか。
年末、またもや来年こそはブルプロ!というツイートとともに 2021 年とお別れした。根拠など全くないが、もう十分待ったのだし来年こそ来るのでは? というふうに思っていた。
2022 年は、またブルプロ世界に降り立つことができる記念すべき年になる。そんな願いとともに、年を越す。
それもまた、叶わなかった。
だがしかし、2022 年は土壇場でいい年となる。ご存知のとおりに。
2022年 - ラブ・ストーリーは突然に
2022 年もまた、公式からの挨拶などなく幕が開けた。待機民のみんなと、どこか空虚に「今年こそ!」と挨拶しあうのもすっかり慣れてきた。
コロナは相変わらず我が物顔で居座っていて、前年に引き続きたくさんの貴重な機会をリアルライフから奪っていく。
せめてブルプロが、ブルプロさえあれば…そんな思いも虚しく、この年もまた順調に時間を食い散らかしていくのだった。
消化される年初
この年、なんせブルプロはこないし、仕事も落ち着いていたし、時間があった。ゆえに、することと言えばひとつ。創作活動だった。
年初から、数ヶ月触れていなかった革工芸を再開し、手帳カバーやフレンドさんたちに贈るための小物ポーチやペンスタンドなどを作成。他にも、3D プリントした車のモデルを運営に贈ったり懐中時計(無可動品)をブルプロ仕様に改造したり、などとそれなりに充実していた。
木曜映画会は順調に続いていて、これまで見たことのなかったいろんな映画にふれることができた。メンバー同士でゲームや VC をする機会も増え、メンバー自体も増え、徐々に映画会が立派なコミュニティへと成長してきていた。(もちろんメンバーが減ることもあった。うちお一人は完全な行き違い案件なのだが、おそらくその方はこれを読むことはあるまい…が、私はあなたを全く嫌っていないし、馬鹿にしてもいないよ。今もこれまでも。)
また 3 月には、ずっと忌避していたお絵描きをついに始めた。これはひとえに、映画会に参加してくれていた絵師勢の H さんや M さんが優しく色々と手ほどきしてくれたおかげである。残念ながら今でも大して上達はしていないが、絵を描く楽しさは存分に吸収させていただいたなと思っている。
なおこの年のバレンタイン、敬愛する絵師 P さんから自キャラの絵をいただいて発狂した。あまりにも嬉しくて、これまたご本人の許可のもと大きなポスターにして、モニター上の一番目につくところに今現在も大事に貼っている。
春の日々はあっという間に
そうこうして、とうに春が盛りを過ぎてもなお、ブルプロは動かなかった。動く気配もなかった。(いや、外部の雑誌のインタビューなどでたまに情報がちらと出ていたので、全く無かったと言えば嘘になる。それでも、ブルプロ公式サイドからの発表は何も無かった。)
週次でウェブサイトのソースコードが変わっていないか見てみたり、決算資料の短信にブルプロの名前が載っていないか確認したり、そんな虚無の日々を送っていた。
ゲームで言えば、忌避していた APEX に触れ、これはやっぱり合わないなと一月もせずに離れ、マッチング不貞腐れ時以来となる FF14 にも触れ、これまた一月も、というか 2 週間も持たずに離れ、映画会のマイクラ勢と自由に建築するワールドで遊び、RDO のプレイ時間が 1,000 時間に到達し、フォールガイズ無料化を受けて色んな人と遊び、ガラージュという奇ゲー(と言われていますがそんなことないよ)をひとりで堪能し、ちょっとだけ VRChat をやってみて…と、とにかく色々なゲームを点々として日々を食いつないでいた。そんな日々であった。
ひたすら待つ。それが常態化していたし、そうするしか無い日々だった。
さすがに主題歌発売から 1 年経つまでには──つまりこの夏の間には──何か情報あるでしょ、と仲間と冗談のつもりで言い合っていた。
その夏、またもや情報は何もなかった。
過ぎていく夏、そして秋
この夏、RUST というサバイバルクラフトゲームを始め、これが RDO・マイクラ以来となるガチハマりゲーとなった。だいたい 1 ヶ月間隔ですべてが水泡に帰す「ワイプ」があるタイプのゲームだが、それゆえに毎月まっさらな状態から遊べるゲームでもあった。
P さんや Z さん、徐々に仲良くなっていた L さんなど、色々な人と色々な鯖で RUST をして、結構楽しく夏から秋の間を過ごしていた。
そうでもなければ、あまりにもやることがなくてそれこそ発狂していたかもしれない。RUST のプレイ時間はあっという間に 300 を超すに至ったが、これはいかにこの年の後半を RUST に救われたかの証左であると言えよう。
この頃、映画鯖の M さんにオススメしてもらった Lamp というアーティストをしきりに聴いていた。そのため、今でも Lamp の曲を聴くと RUST で色んな人と遊んだ色んなシーン、そしてそのときのリアルの部屋の情景が脳裏に浮かび、とても懐かしくなる。大事で素敵な思い出である。
また、2020 年の秋にリリースした asterleeds.com も、更新頻度の波がひどいのは確かだが、徐々にアプデを繰り返して改良を重ねていた。今では自己紹介カードの生成やスクショの共有、マーカーの設置などができるようになっていて、それなりのファンサイトになってきている自負はあった。
これが実際に役に立つようになるのは一体いつなんだろう? そんなことを思っていた。
何もないことがあまりにも当たり前になっていた。ブルプロ通信がある日々がまるで夢のような、そんな感じだったと思う。
ラブ・ストーリーは突然に
忘れもしない。2022 年もこのまま終わろうかという気配を見せていた、11月4日のことだった。
その日、プログラムを書いたはいいもののほとんど動作する機会のなかった「公式ツイート検知システム」が動き、Discord の自鯖に通知が来た。
かの有名な、ブルプロ復活ツイートである。
この日、年単位で沈静化していた TL が爆発した。
みんなどこに隠れていたの? と言いたくなるほど、久しぶりに見る人がたくさんツイートしていた。みんなブルプロの情報に浮かれに浮かれていた。
そして勿論、私もその一人だった。
とにかく、とにかく嬉しかった。ブルプロ公式が情報を出した、しかも来週にもまた何かある! 開発中止だなんだと喧伝していた連中、ほら見たか? などと叫びたい気分だった。
希望がふつふつと心の底から湧き出てきて、今なら何でもできる! という気持ちになった。何もなくても笑いが零れそうになった。ずっと非 VC を貫いてきたけど、もう VC でもなんでもやったるわ! というテンションになっていた(これは後日実際に解禁することになるのだけれども)。
本当に、果報は突然やってきたのだった。何の前触れもなく、そして盛大に。
喜びは続いた。
11月15日、ブルプロ通信 #5。前回の番外編からじつに 1 年半である。それだけでも嬉しいのに、ついに発表された。「サービス開始見込み」そして「ネットワークテスト」の開催についてである。
サービス開始は 2023 年の早春と発表された。早春とはいつぞや? と仲間内で議論にはなったが、もはや細かいことはどうでもいい。大事なのは来年にはブルプロが始まり、いつでもあの世界に行けるということなのだ。
そしてネットワークテストである。無論、前回マッチング負荷テストの失敗は痛いほど記憶に残っている。今回もどうやら抽選のようだし、過度な期待はすまい…と思っていたが、なんと今回は友達招待があるとのこと!
私にはこの待機期間にできたたくさんの仲間たちがついている。きっと外れたとて救済してもらえる! そんな気持ちもあって、かなり心は軽かった。あの虚無の待機期間があってよかったなと、少しだけ思った。
さらに12月15日、ブルプロ通信 #6。
海外展開の話や具体的なゲームの改良点、課金体系の紹介が行われ、再度 TL が爆発する。チームについても詳細な仕様が発表され、(これは通信より前からだったが)早速チーム結成の動きがどこそこで見られるようになる。
私個人としては、冒頭で黙示的に asterleeds.com について触れていただけたことも大きかった。いちファンサイトに過ぎないのに、運営・開発の皆さまがあのサイトを実際に見てくれていたことを大変うれしく、そして誇らしく感じた。
月内にはいよいよネットワークテストの抽選結果も発表され、私はマッチング負荷テスト以来 2 年ぶりの雪辱を果たした。
抽選戦争に大勝利を納め、ともに遊べそうな仲間に恵まれ、運営の方からのエールまでいただき、まさに順風満帆我が世の春よという状態で、2022 年は幕を閉じることとなった。
けれど、すべてが上手くいくことなんて早々ない。それが人生である。
2023年 - これから…
2022年は、敗色濃厚なところから一気に逆転大勝利となった年であった。その勢いそのままに、今年も勝つ!
そう思っていた。ネットワークテスト直前までは。これまた皆さんご存知の通り。
ちゃぶ台がえし
あまりにもキレイなちゃぶ台がえしであった。
2023年1月11日。あと 3 日でネットワークテスト開始…というタイミングで、突如テスト延期の通知が入る。
今回に限っては、「勝手に期待して~」パターンではない。14 日からネットワークテストだよ、と公式に発表されていて、行けるかどうかの抽選もとうに終わっていて、あとはその日を迎えるだけだった。
だが、できなかった。
このとき、正直に言えば私はそこまでショックを受けていなかった。良い子ちゃんぶるようだが、それよりも「開発陣大丈夫かな、すぐ直るといいな」と思っていた程度である。
なんせ、2 年前にマッチング負荷テストで地獄を見たのだ。この種のショックは経験済みで、抵抗ができていた。他のマッチング落選組もだいたい同じような感じだったように思う。
けれど、フレンドの多くはそうではなかった。彼らの嘆きようは様々だったが、悔しい、悲しいという気持ちは痛いほど伝わってきたし、マッチング負荷テストのときの自分を見ているようでいたたまれなかった。(なお、このときのフレンド R さんの発狂動画はめちゃくちゃ面白かったので今でもたまに見返している。)
大丈夫だよ、ちょっと延期するだけだよ、と焼け石に水な言葉を呟いたりもしたが、ひたすらにこの時の仲間たちは耐えるしかなく、大して何もできない自分がもどかしかった。
25日、改めて状況説明のブルプロ通信が行われた。
このときの運営 3 人衆の落ち込みようは凄まじく、他の回はどれも何度も見返したが、このときの回だけはリアルタイム視聴時以外見れないほどだった。
けれども、このときの発表には私は内心とても安堵していた。原因が特定済みで、しかも対処を行うことができている。要するに時間の問題だった。残る問題はその対処にどれくらいかかるか、という一点だが、その情報についてはもうしばらく待つしかなかった。
人が増えれば問題も起きる
そういえば、この 12 ~ 1 月の間にはまた別の問題も発生していた。
規約で明確に禁じられているにもかかわらず、案の定ネットワーク参加権を転売する輩が沢山いたのである。
私自身も比較的オープンな鯖をひとつ運用しているが、そちらでもひょっとすると転売目的ではないかと疑われるような(あくまでグレーではあるが)、招待参加権を収集する行動を示すユーザーがいた。
結果的にサーバー内で大きな問題に発展することなく収束したものの、人が増えればそれだけ問題は起きることを改めて痛感する事態であった。
余裕を見せたその隙に
年末から延期でできた空白期間に至る間、実のところ私は結構楽しんでいた。なんせ時間があるのだ。
この頃にはもう映画鯖でチームを組もうという話がまとまっていたし、ちょっとずつチーム内部で一緒に遊ぶ機会を設けたり、みんなで話したりしていた。チーム地固めの時間だ、と思ったのだった。
あとから考えると多少滑稽ではあるが、ブルプロの開発者たちのインタビューが載った雑誌をみんなで買って、メンバーそれぞれに開発者役をさせて朗読会をしたりもした。それくらいみんな同じようにブルプロに飢えていて、ブルプロを切望していた。こんな馬鹿な会も大真面目に楽しくやってくれる、そんな仲間たちがいることをとてもありがたく思った。
また、ちょうどいい機会にと asterleeds.com の強化も行った。この頃までには、同じく待機民の方が開発されていた素晴らしいファンサイトが他にもできていたし、よきライバルであれるようにこちらも更新を怠っている場合ではなかったのだ。今後ともファンサイト同士、仲良く切磋琢磨していけたらなあと勝手に思ったりしている。
個人的には、空いた時間を前々から一緒に遊びたいと思っていた方々と遊ぶ時間に充てた。Warlander や No Man's Sky などの色々なゲームを通じて、もっと仲良くなれたら良いなぁと思っていた方々と実際に仲良くなることができた。ネットワークテスト前にこの準備時間を持てたことに今ではとても感謝している。
余談だが、しかるべき段階を経て丁寧語がタメ口になったり、名前のさん付けが外れたり、そういうのってめちゃくちゃ嬉しいよねと、このとき久々に思った。
また、それまでずっと非 VC を貫いていて、マイクを付けるだけでめちゃくちゃ緊張していたこの頃の私に何度も優しく付き合ってくださった P さんに改めて心より感謝申し上げる。
そして時は巡る
さらに一月ほど経った 2023年2月28日。
改めて行われたブルプロ通信にて、ネットワークテストの開催時期が3月末~4月頭に確定した。この通信の前まで、可能性としては「開催時期確定 / 依然開催時期未定 - もうちょっと時間かかる / 長期延期 / 無期限延期」等があったわけで、そしてそのいずれも可能性は低くないと思っていた。それだけに、一番マシな結果が出てきたことに心底安堵したのを覚えている。
さらに、CBT 後からずっと待望されていた「ベンチマーク計測ソフト(キャラクリ機能つき)」の公開が発表された。
かなり細かく設定したい部分であったキャラクリを事前に行い、それをネットワークテストや本番でも利用できる…とあって、仲間内が色めき立った。キャラクリさえあれば 1 ヶ月くらい余裕で過ぎる! とも思っていた(実際はそこまでではなかったけれど)。
早速自キャラを作る。色々と新しい選択肢が増えていて心が踊る。
フレンドのキャラクリ画面を見ながら、一緒にどのパーツにするか考えたりする。
他のプレイヤーのデータを取り込む方法を S さんが発見してくれて、チーム内でキャラデータを交換しあって擬似的に PT を組んだりする。
うちのこ、新しい髪型にしてみたけど、やっぱり CBT のときと同じような見た目にしたいな…なんて改めて悩んだりする。
スクショをたくさん撮る。自己紹介カードの更新が活発化して、Twitter を賑わせているのを嬉しく眺めたりもする。ここ数年の虚無期間とは比べ物にならない速度で反応があって、Twitter 上での盛り上がりも肌で感じる。
チームでは、みんながいつテストに参加できるかをスプレッドシートにまとめてチームイベントを設定したり、ジョークアイテムだがしおりを作成したりして、楽しみつつ準備を進めた。
そうやって、だんだん抑えられなくなっていたワクワク感をなんとか抑えていた。(リアルでごはんを食べながら唐突にニヤニヤしたりしていたので、きっと抑えられていなかったのだろうけれど。)
幸せに、そして着実に歩みを進めた 3 月が終わろうとしていた。
ネットワークテスト - 愛しの相手との再会ふたたび
3月31日。
この日は普通の平日で金曜日、しかも年度末というタイミングではあったが、私を含めてお休みにしていた人が周囲には多かったように思う。スタートダッシュ(スタダ)できる! ということからチーム内ではスタダヒカルなんて呼ばれていて、皆の浮かれ具合が楽しかった。
13時。
チームのサブリーダーを務めてくれている I さんと、改めてこういうところに気をつけていこうねという話をする。いよいよ出発間近という感じがして、これまた心がそわそわしていた。
13時半。
チームの Discord に続々と人が集まってきて、皆早くも興奮している。私も事ここに至っては非 VC を貫く理由もなく、マイクのミュートを切る。
一刻一刻、ようやくまたあの世界に行ける! という高揚感と、何か忘れ物してないかな、まだ心の準備が…という心地よい焦りを懐きながら、みんなと一緒にその時を待つ。
そして 14時。
今度は延期も何もなかった。(もし延期など発生しようものならサービス開始に影響大であるため、これにもほっとした。)
最初はどうしてもログインできない等の問題が発生したが、そのうちに続々とログイン報告が上がる。私もご多分に漏れず、Loading の画面が終わる。
ムービーが始まり、チュートリアルになる。
えぇ、こんな風になったんだね! とネタバレに注意しながらみんなと話しつつこなしていく。
キャラクリ画面になる。今回はもうデータがあるんですよ、と内心ほくそ笑みながらデータインポートをして、キャラクリをすぐに終わらせる。
3年ぶりのアステルリーズだった。
正直に言えば、CBT のときのように歓喜が込み上げて思わずうめき声をあげるようなことはなかった。スクショもほとんど撮らなかった CAT と違い、CBT では動画もスクショもたくさん撮った。それを 3 年の間ずっと見返していたから、懐かしさのような感情は特になかったのだった。
けれど、自分のキャラがまたアステルリーズを歩いている、BGM を生で聴いている、他のみんなのキャラが動いている…その感動がゆっくりと自分の中に満ちてきた。この場所に帰ってこられた、そして今回は、また帰ることのできる未来がおぼろげにだが既に見えている。そんな希望とともに!
実際のところ、ネットワークテストは相当に忙しかった。
本来であればちょっとずつ進めるべき内容を、わずか 56 時間でこなさなければならないとなり、チーム内にはほとんど一睡もせずに完走した方もいたほどである。メインストーリーを終わらせてはどこそこにレアアイテムを掘りに行き、アドベンチャーボードなるタスクリストを少しずつ消化し、その合間にスクショを撮り、フレンドさんたちと会い…忙殺されている間にあっというまに最終日を迎えたように思う。
けれど、これがまた格別に楽しかった。遅くまで色々話しながらクエストをこなし、起きてはすぐに VC チャンネルに入って「おはよー」などと言いながらアステルリーズに戻り…と、学生時代に所属していたような、仲の良いサークルで合宿に行ったときの感覚だった。
チームの N さんや C さんを筆頭に、沢山のフレンドと長い時間をともに過ごした。旧知の仲である Z さんと S さんがほとんど参加できなかったのは悲しかったが、正式にサービス開始してからの楽しみにとっておくことにする。
ネットワークテストは、本来オンラインプレイ周りのネットワーク機能の検証のためのテストであった。けれどそんなことをほとんど意識させないほど、普通に「ネトゲ」ができたテスト期間だった。
単純に 56 時間という時間制限があるだけで、そしてテストだというお祭り感覚があるだけで、それ以外は普通にネトゲをしている時間だった。つまり、テストは既に大成功していた。
そんなこともあって、テストが終わる頃、サービス開始はもう遠くないと、私は確信していた。
それで、"次"はいつなのか。
Twitter では、しかし、相当な数の不満が溢れていた。
アイテムのドロップ率やアドベンチャーボードの仕様など、やっていて辛いポイントは人さまざまではあろうけれど、その辺りの不満が多かったのだ。
こればっかりは個々人の志向によるところが大きいので良いも悪いも無いが、多くの仲間が言っていたように、こういう不満を真に受けてサービス開始が遠くなるのだけは心配していた。
そして、4月25日。
ブルプロ通信 #6.3 が開催され、テストの総括が発表された。
課題点の洗い出しとその対応がかなり進んでいて正直スピード感に驚いたが、めちゃくちゃ雑にまとめれば「問題なし!」という内容だった。
テストで挙がった仕様上の問題を適宜取捨選択はしつつもしっかりと取り入れて、それでいてサービス開始に大きくは影響しなさそうな範囲に抑えていただいていることに安心したのを覚えている。
中盤、「(とある改善点について)改修を進めているが、サービスインまでに間に合わせるのは難しい」という福崎さんの発言に色めき立つ。
そして終了直前、下岡さんの発言。
「次回の通信のナンバリングが(#6.4 ではなく)#7 だった場合、皆さんが期待している情報を出せると思う。」
CAT から足掛け 4 年に亘る待機期間の終わりが、他ならぬ最高指揮官の言葉により、ついにはっきりと見えてきていた。
そこからさらに 20 日が過ぎた 5月17日、水曜日。
「ブルプロ通信 #7」の放送が予告された。
そして今日、この日へ。
5月23日、火曜日。
一日中どこか緊張していた。一刻一刻がとても長いのに、気づけばどんどん通信の時間が近づいてくる。言い知れぬ期待と焦燥感がずっと付きまとっていた。
そして 20 時、いよいよブルプロ通信が幕を開ける。
鈴木さんの「ブルプロ通信~~~~!」がいつも以上のテンションではじまる。そして…その後はもはや言うまでもあるまい。
全待機勢は、この日完全勝利を果たした。
ほんとうのはじまり・ふたたび
サービス開始が 2023年6月14日と発表され、Twitter と Discord が沸きに沸いたあの瞬間が、私の 4 年に亘る待機期間の終わりの始まりとなった。
振り返れば、2019 年のあの夏の日の夜から、沢山の年月が流れた。沢山の人と出会い、仲良くなった。沢山のゲームと映画に触れて、知らない世界を渡り歩いてきた。リアルもまあ、それなりには頑張った…ということにしておく。
そうやって過ごす日々の中でも既に自覚していたとおり、私のこの 4 年間のモチベーションは、ずっとブルプロに依っていた。自分がブルプロを楽しむために、そして周りのみんながブルプロを楽しむ一助となれるように…そんな一心がすべての原動力になっていた。たかがゲームと言われればそれまでだが、私の恋した相手はそれほどまでに魅力にあふれていたのだった。
今こうして、再びあの世界に行ける目処を明確に立てることができた。
本当に長かった、みんなお疲れ様! という気持ちと、めちゃくちゃ嬉しい、楽しみ! という気持ちがごちゃまぜになって溢れているが、ようやく待機民の仲間たちと一緒にスタートラインに立てることを何よりも感慨深く感じる。
一緒に待機してくれたみんな、本当にありがとうございました!
これからもどうぞよろしくお願いします。
そして、末筆ではございますが、途中での大幅な方針変更やコロナ禍での不慣れな環境での開発など、多くのハードルを課されながらも見事にこれほどのものを作り上げてくださった運営・開発のみなさま、本当にお疲れ様でした。そしてありがとうございます。
これからが本当のスタートとはなりますが、今後とも精一杯応援させてくださいね!
というわけで、サービス開始が決まった夜に寄せる感傷的長文でした! 読んでくださってありがとうございました。
6月14日はスタダヒカルの再来を目指すぞ!(`・ω・´)
以上!
謝辞
大切な仲間たちへ。
今私がこうしてここにあるのはすべてみんなのおかげです。いつもありがとう、大好きです。これからもよろしくね!
こさやんを知ってくださっている、まだ交流の浅い方々へ。
なにぶん私が骨なしチキンのコミュ障なもので、自分からなかなか絡みに行けずにすみません。ぜひぜひ沢山絡みましょう~!
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